カテゴリー別アーカイブ: ただの日記

ありがとうございます

母の境遇を知った方々から、

母に、

色々な、

お菓子や、

お届けもの、

そして、

温かい・お心遣い、

励ましの・お気持ち、

いっぱい・頂き、

ありがとうございます。

お陰さまにて、

毎朝、

菊池寛通り・の光景に、

あ〜・高松だねぇ!

で、

診療所の階段を、

蟹歩きで、

両の手で・シッカリと手すりを・握りしめ、

登ってき、

院長室の・お仏壇のお供えをする私を

腰掛けて・じっと・眺めて、

熱いお茶を・お供えした処で、

蝋燭に線香に火を灯し、

1日が・始まるのが日課となりました。

人の一生とは・長いようで・短く・儚い・線香花火。

美味しいものと、

清潔な衣服、

そして

暖かい人の気配。

贅沢はさせて・あげられないと・思いますが、

人としての・尊厳だけは、

母には・担保して、

そんな風に・思いながら、

同じ話の繰り返しに、

うなずくのも・繰り返す私。

綴る

私が・文章を書くようになったのは、

大学院に入ってからの事。

文献の翻訳から・始まりました。

指導教授から・返された原稿用紙は、

訂正の赤ペンで・真っ赤に・なっていました。

それを見た瞬間、

私の顔も・真っ赤に・なっていたんだと・思います。

恥じらい・プラス・怒り。

私の入った世界では、

教授を始め・先輩の言うことは・絶対服従。

今とは・雲泥の違いです。

不条理という・現実も・しみじみ実感しました。

そのような環境下で、

文を綴る・という行為を・学んだんです。

医療行為は・ある種の矛盾を・はらんだ行為です。

身体を傷つける行為によって・成り立っているからです。

その・やるせない日常を・解決するために、

さまざまなジャンルの書籍を読むことが・日常になりました。

それが、

私が文章を綴る際に、

大きな影響を持ったことは・間違いありません。

なぜ・このような話題に触れたかと云うと、

後進から・問われたからです。

働く・喜び

58歳を・迎えた・今日、

世間は・休日なのですが、

私は・診療しています。

これだけ・祭日が多いと、

患者さんの治療が・予定通りの段取りで、

できないので・困ります。

ですから、

診療所を・開けて、

と云う・塩梅。

しかし、

これは考えように・よっては、

幸せな・ことです。

歯科医師過剰の昨今は、

どこの歯科医院も・まるで商人のように、

血眼になって・患者集客に必死になっているとのこと。

ありがたいことに、

そのような・競争には・無縁にて、

好きな歯の手当てを、

マイペースで・行えているのですから。

歯と云うモノは、

誠に・奥深い・大宇宙のようなモノです。

何処まで行っても、

真実に・至らない処が、

私の興味を・そらさないのだと・思います。

宮本武蔵の言葉に、

万里一空という・何処まで行っても空は手に届かない、

歯科医学というモノも・同じ。

大変な・仕事に・就いたモンだと、しみじみ感じます。

母を引き取って、

凡そ2週間が・あっという間に・過ぎました。

今夜は、

熱めの・風呂に入れてあげようと、

この母あっての・私なのですから、

そんな事を・思いながら、

長生き・について、

なんとも言えない・気持ち。

ホスピタリティ

春の陽気のなか、

郊外の先祖の墓地を参拝し終わった母は、

安堵したようです。

朗らかに・昔話に・花を咲かせます。

東北地方の施設に、

本人の意思とは関係なく、

半ば強制的に入居さされ、

お小遣いも・持たされず、

お菓子をお裾分けするなど・もってのほか、

何も・持ってきてはくれない、

放置状態だった訳です。

生まれ育った・讃岐の空気に包まれて、

母は・人間性を・取り戻したのだと・思います。

痴呆症と診断されていたようですが、

それは、

家族が作りだした・高齢者の心の叫びだったのだと・思います。

医療の原点は・手当てという・言葉から。

手の・温もりは、

心も、

精神も、

癒してくれる事を、

母を通じて・学んでいます。

穏やかな日々

それこそ・死にもの狂いの・想いにての、

東北の施設からの逃避行から・1週間が過ぎ、

母は・穏やかな日々を過ごしています。

当地にて・痴呆扱いされたことに、

まぁ・失礼な人っ‼︎

と・憤り、

高松の光景と・空気が、正常なる母を蘇らせたのです。

孫たちに・手を繋いでもらって・近くのコンビニに行くのが

今の母の楽しみに・なっているようです。

お小遣いを1000円渡すと、

これだけじゃ・足らないわ!

孫たちのも・あるんだから!

もう少し・頂戴!

私に・掌を出すのです。

で、

中央公園へと・孫に手をひかれて、

お散歩し、

故郷の空を流れる雲を仰ぎながら、

おしゃべりしながら、

あ〜・此処は高松だね?

本当に・帰ったんだね!

と・孫が辟易するほど、

高松を楽しんで・いるようです。

歯科医療は・愛の仕事

タイトルの・言葉は、

内村鑑三氏の・遺した有名な台詞です。

この頃、

日々・実感しています。

私の母は、

今から凡そ30年前に、

上下全てを・インプラントにて、

私が施術したものです。

当の本人は、

今では・全て自身の歯だと・思っていますが。

私の歯は丈夫なの・と云う台詞を、

微笑んで・聴いて・うなずいている私です。

母とは縁の・薄かった環境で・過ごしてきました。

私の中での・母の記憶と言えば、

幼児であった私にとっての母の手は・大きく感じていたことです。

手を繋いで歩く際に、

母の親指を・掌で・シッカリと・握りしめていた事。

それほど・母の親指に・安堵感を持っていたのだと・思います。

それが、

58歳を迎える私が、

母と手を繋いで、導くようになりました。

母は・私の掌を・シッカリと・握りしめて、

転ばぬように・息子に迷惑をかけないように・と云う

必死さが・温かさから・感じとれるのです。

私が・このような心境の大きな変化に至ったのは、

まさしく・患者さんを診る仕事に就いたお陰だと思います。

患者さんにとっての私は、

母にとっての・私の掌に相違ない・と云う気持ちで、

大切な・人の身体の手当を、

心を込めて・尽くすことに精をだすのが務め。

歯科医療から・学んだこと

夜になると、

怖がるのですが、

大丈夫!大丈夫だ‼︎

誰も・来ないから、

此処は・高松だ!

そう・声がけすると、

そうだ・そうだ・此処は高松だったと、

安堵する母。

それ以外は、

幼児の様に・笑みを浮かべ、

穏やかな・日々を過ごして・います。

あなたの・周りは・みんなが・優しいね。

あなたは・みんなに・あんなに・頭を下げて・ビックリした!

お母さん、

鏡に映った・自分の姿を・思い浮かべて、

大学の学生さんや、

後進の歯科医師たちや、

私の患者さんたちに、

恥をかかす・ことは・できない・からね。

後悔するくらい・ならば

久しぶりのブログ。

多忙・多忙を口にするは、恥だと思っていました。

が、

多忙でした。

お正月が明けた頃だったと・思います。

診療所に・88歳になる母から、

毎日、何度も電話が・かかって来るように・なりました。

そうです。

東北地方の田舎町の施設に、

本人に意思とは反して、

半ば姥捨山のような状況下で、

余生を過ごす羽目に陥った・私の母です。

2年ほど前に・母の境遇を知りました。

それも、

母からの・助けを求める電話があったからです。

迎えにゆく約束をしたのですが、

翌々日には、

母の携帯電話は解約されていました。

そのあと直ぐに、

母を介護する筈であった姉の代理人の弁護士から、

父の遺産放棄を求める書状が届きました。

母の所在を知らぬ私は・悶々とした日々を・過ごしていました。

その母からの・再びの電話だったのです。

116番の電話番号案内のダイアルを・知り、

高松市、菊池寛通り、デンタルクリニック・と云う

朧げな・記憶をたどり、

私に必死の想いで・電話した様子が、

切に・伝わってきました。

何度も・何度も復唱させて、

母の携帯電話をメモし、

母にも・私の電話番号を記録させたのです。

で、

密かなる・母救出のための準備に・取り掛かったのです。

毎日・毎日、

繰り返し・繰り返し・段取りを・

記憶させました。

妨害から・無事に母を・高松まで連れて帰るためです。

で、

実行したのです。

2月10日。

診療所を休診とさせて頂き、

伊丹空港まで・車を走らせ、

その後、

空路・仙台空港まで。

レンタカーにて石巻市へと向かう車中、

流石の私でさへ、

鼓動が・高まりました。

施設の責任者と・裏口で・押し問答。

ただ、

私は・何を言われても・頭を下げるばかり。

最後に、

武士の情けですと・懇願した所で、

責任者は・恐らく姉に電話を入れに奥へと・向かったのでしょう。

その刹那、

表玄関へと周り、

薄暗いロビーに座る母らしき人影に向かって、

大きな身振りで・両手で・手招きする私。

母でした。

足が不自由になっていたのが・判りました。

必死で・杖をついて、

トボトボと、

でも、

当の本人は・必死で駆けているのが・伝わります。

新型コロナウィルス感染防止のために、

私は・施設内には・入れません。

誰もいませんでしたが、

それは、

ルールですから。

母は・やっとの想いで・私の指先を・掴んだしゅん感、

私は母を抱えて、

レンタカー内に・押し込み、

ハンドルを・ターンしたのです。

優雅であった母から・染み付いた尿の匂いがしました。

優雅であった母の88歳の人生で持ち帰った荷物は、

ボロボロのビニール製のキャリーバック一つきり・でした。

私の顔を見つめて、

高松に帰れるんだね!

本当だったね!

車中、ずっと泣きながら・話し続ける母。

途中、

姉からの電話が・母の携帯電話に入ったきました。

詰る・大声が・聞こえます。

母所有であった自宅は、

既に姉に所有権が移ってい、

もう母のモノではないから・入らせないという声。

中には・私のモノがあるのよ・という母に、

中のモノの・所有権は・自分にあると云う声。

唖然とする母に、

身体一つ・それで・いいやないか?

なだめる・私。

そんな会話・会話の中で、

施設から出るときは・恐かったね!

と・繰り返す母。

夜の高松の街灯が・蛍のように・高速道路から・見えました。

あ〜・高松だね!

何で・こんなに高松が・恋しんだろうね?

ずっと、

朝日を見ては、

流れる雲を見ては、

お月様を見ては、

高松に帰して下さいと・お願いしてたのよ。

長い間・見ないうちに・立派になったね・と、

私の頬を触ります。

ありがとうを・100回は聞きました。

迷惑かけたネモ・100回は聞きました。

ただ、

この数日、

穏やかな表情の母の顔色に・こちらまで優しい気持ちになりました。

目の前の母は、

穏やかで・可愛い・お婆ちゃまに・変わっていました。

母の入居していた施設の1カ月の食事代金は15000円でした。

母は、

何を出しても、

こんなご馳走・食べても良いの?

と・聞きます。

両手を合わせる母の姿を・美しいと・思いました。

慌ただしく

年々・1年が過ぎるのが

速く・感じますね。

この間、

お正月だったのに、

もう2月です。

風車のような・日々を・過ごしています。

今月の末には、

手術室の診療チェアを・新しいものに・交換します。

新型コロナウィルスの蔓延の影響にて、

ドイツの工場が・稼働停止に陥り、

発注してから・随分と、

時間を要しました。

一般の方には・お分かりにならないと・思いますが、

診療チェアは、執刀医にとっては、

身体の・一部なのです。

自在に・メスを操るためには、

診療チェアの性能は・とても大切ナノですよ。

自動車業界でも、

日本は優れた・品質を誇って位ますが、

残念なことに、

ドイツ車を・未だに凌駕することは・できません。

歯科用機械において、

その傾向は・もっと大きく、

どうしてだろう?

と、

考え込んで・しまうのです。

そんな・こんな・最近の私です。

誠実な・根管治療

困った・症例ですね。

第1大臼歯の根管には、

金属製のファイルが・破損、

そのまま・放置されています。

第1大臼歯の・根管治療の精度も・極めて低いですが、

隣の第2小臼歯の・根管治療も、

どうした・モノでしょう!

この歯科医師の手先には・感覚が・無いのでしょうか?

また、

レントゲンを見る・目が・無いのでしょうか?

先ずは、

超簡単な・第2小臼歯の・根管治療を・片付けました。

日本歯科大学の保存学の・伝統的なレントゲン像です。

ただ・強調したいのは、

レントゲンでは・決して見えない・根管の内壁の状態です。

カンナを・かけた位・

ツルツルです。

治療時間は、

3時間半・でした。

この頃は、

このような・手当が・とても多い・モノですから、

なかなか、

ブログ更新が・できて・おりません。

インプラント治療に関しても、

根管治療以上に、

私のメソッドは・確立しているのを・実感します。

毎日が・充実しています。