日別アーカイブ: 2013年9月17日

昔の匂い

 久方ぶりに
大阪から神戸へと足を延ばした。

 台風の後先にて
通りの落葉が石畳に張りついて
ともすれば
足元が危ない坂道であった。

 北野坂を上り
山本通りを
もう少しの処に在る
赤テントの
カフェ.ド.パリのテラスへ
腰をおろしたマリリンと私である。

 肌に冷たい海からの風に
昔の様に
熱いカフェオレとでもいきたかったが、
生憎、最近珈琲を辞めた私は
酸味の利いた紅茶を啜った。

 幼い頃より
馴染みの在る風景も
震災の後は
随分と
近代的な味気ないものに
変わっていくが、
此の辺りだけは
当の私だけが
年老いていくだけで
鼻腔に入り込む
街の匂いも
以前のままである。

 慌ただしい日常を
忘れさせてくれた
至福の一時であった。

歯科医学と料理道の共通の匂い

 旨いものに目がない私である。
但し、此の旨いものであるが
私は他人の評判や
グルメ本などは
当てにしない。

 通り歩きの
セレンディピィティー、
気の向くままの
偶然の産物的な
店の前の
ある空気を重要視して
ふと立ち止まり
木戸を開けて
カウンターへ
腰掛ける。

 私の直感は
まず外れる事はない。

 但し、
私は所謂グルメではない。

 素材をどの様に手間をかけての
下仕事を施したのかの
職人仕事に重きを
置いている。

 家でも
自ら米を磨いでいる。

 手当ての仕方で
炊きようも
違って来るからだ。

 手当ての仕方で
身体にも
優しい命の源となるのが
食の真髄である。

 私は越後の白い米を
こよなく愛する者である。

 コシヒカリは
白くなくて
どうしてと云う者である。

 素人の聞きかじりの
玄米食や五穀米健康法など、
阿呆のくそ食らえである。

 舌を肥やし、
五感を豊かに鍛える
至高の修行が
料理である。

 歯科医学と料理道に
相通じる共通の
特有の匂いを
感じるからこそ
私の食への拘りも
素人には判るまい。

週末日記

 台風で大荒れの天候の最中、
週末を関西で過ごす羽目となった。

 なぎ倒される通りの自転車。
アスファルトをうち叩く様な
凄まじい雨脚のなかを
転がる様に跳ばされてゆく
骨の壊れた笠群。

 ビルの屋上に設置された立看板が
風に煽られて
今にも暗黒の空へと
舞い上がらんとする
夜も更けた中を
宿へ入った。

 頭の先から全身
ずぶ濡れであった私は
部屋から浴室へと直行した。

 今宵の宿は
マリリンと伴である。

 最近はペットと同伴可能の宿が
増えたようである。

 私の様な者には
大変有り難い。

 風呂を終えた後に
階下のスペイン料理店へと
マリリンを従えて
顔を出した。

 暴風雨に怯えたマリリンであったが、
今は足元で
自分の料理に舌鼓、
極楽至福の時である。

 小腹を起こして
部屋へと帰って
ソファで並んで
深夜まで
テレビに明け暮れた
関西の夜であった。