日別アーカイブ: 2013年10月3日

親の仕事

 親に逆らい家業を継がず
歯科の道に入った私である。

 が、今になって想うのは
恵まれた境遇で
育ったと云う事である。

 観る目は自然と
養われるものである。

 其れには年季が必要だ。
付け焼き刃の講釈などは
たかが知れたものである。

 難しい人と言われるやも知れぬ。

 私は器、食器の類いには
ウルサイくちである。

 料理を活かすも殺すも
器次第であるからだ。

 料理屋へ出向いた際に
季節感、食材と
似つかわしくない器が
供される機会が多い
昨今である。

 プロの程度も堕ちたものだと
嘆かわしい。

 主婦も立派な職業である。
女性としてのたしなみは
些細な事柄から
伺いしれる。

 洋菓子であれ
食材を際立たせる
器とフォークの準備も出来ぬでは
性転換手術でも受けるか
表から消え失せ
納戸の奥で昼寝でも
するが善かろうと
思うものである。

 かように子育てと云うものは
決して手抜き出来ない
大切な親の仕事である。

一子相伝

 京菓子屋の伊織ではないが
私は三枝デンタルオフィスの
眼に触れない部分の
コダワリは
公表しない主義である。

 但し、
私の此のコダワリは 
未だ進化の過程にある。

 昨年在籍してたスタッフが
三枝デンタルオフィスではと
他所で物識り顔で言っても
既に私の診療所の
やり様は
その時既に
変わってしまっている。

 物事を表面的に掴もうとするは
稚拙な行為である。

 物事の本質と云うものは
決して表面からでは
伺う事が
出来ないか、
判る眼を養った者にしか
見えないものである。

 歯のキチガイと云われて
久しいが
此の言葉は
お誉めの言葉として
受け取ろう。

 私には量産車のポルシェの良さは
判らぬが、
ベントレーの美しさには
溜め息が漏れてしまう。

 手作業の美しさの真髄が
感性を揺さぶるのであろう。

 そもそもコダワリとか
美しさの感じ方と云うのは
幼い頃よりの
育った境遇で決まってくると
私は固く信じてる。

 その様な意味では
家業と云うものは
歴然と存在し、
其の形は
矢張、
親だからこそ、
子にだけ伝え得る
一子相伝とも言えよう。