月別アーカイブ: 2013年12月

私が患者の立場になっての病院撰び

 私も人間であるから
風邪をひいたり
体調が優れない機会が在る。

 忙しさにかまけて
なかなか病院へは行けない。

 それでも
観念し、渋々病院へ
行く事になる破目となった時に
素人には先ず何処が良いのか
聞くことは無い。

 知り合いの医者数人に
先ずは評判を聞いてみて
その病院の玄関を覗いてみる。

 患者さんの脱いだ靴、
待ち合いのスリッパが
乱雑であれば
引き返す。

 この様な診療所は
スタッフ教育が為されて無く
目利きが行き届いていない。

 受け付けの対応は
最近の事であるから
何処も同じ様なもので
此れは余り当てには為らない。

 トイレの清掃状態は
ひとつの目安となる。

 診察室に入って
医師が優しいのと
技量の関係はないから
医師が嫌な人柄でなければ
これも余り重要視はしない。

 但し、治療器具の滅菌機械は
確りとチェックし、
使用する器具が
どの様な状態で出されるか
此処も更にチェックする。

 診療に行って
感染でもさせられたら
堪ったものではない。
又、この辺りは
医師の仕事に対する気構えが判る。

 で、最後は
医師の指を眺める。

 案外と器用な指を持つ医師は少ない。

 偏見かもしれないが
頭と指先は比例すると
私は思っている。

 但し、
この頭と云うのは
偏差値の事ではない。

 人間としての
頭の回転の事である。

 後は、
医師の仕事の段取りを
然り気無く見ていて
後は
全体の雰囲気で
医師の生まれ育ちが判る。

 卑しい心持ちの人でも
医師国家試験に合格すれば
医師となる。

 ホームページで
自画自賛が多く、
頁の数の多い処は
腕より
商人であるので
最初から行かない。
序に、
センスに欠けた処には
先ずもって
此方の気持ちを酌んで貰えないので
其れも
問題外である。

インプラント治療は危険な治療?

 私の友人である
香川こまちの山田氏は
流石に情報通で、
仕事柄、様々なものに
目を通している事に
驚かされる。

 毎月、雑誌を創ると言う作業は
これ程までに
四方八方に
アンテナを張り巡らせなければ
為らないのだろう。

 氏から
歯科に関連ある記事が
送られてくる機会が多い。

 先日、インプラント治療に於ける
医療裁判の記事がファクシミリで届いた。

 目を通し終り
被害をうけられた患者さんに対して
大変お気の毒な気持ちになった。

 インプラント治療に限らず
人の身体を預かる仕事に
事故はつきものである。

 故意でなくても
不慮の事故は生じ得る。

 想うに、
インプラント治療が
一般化する迄の
歯科医療は
余り危険な仕事が多くなかったので
歯科医師の側に
人の身体を預かる認識が
欠けていたのだろう。

 歯科医師である私が
この様に思わざる得ない程に
完成度の低い仕事に
遭遇する機会が多かった。

 愚鈍な位に
真面目に丁寧な仕事を
心掛けないと
患者さんにとって
良い治療は出来ない。

 ステップ.バイ.ステップを
的確に踏んだインプラント治療は
私は患者さんの為になる
良い治療だと確信している。

インプラント治療

 インプラント治療が此処まで
一般化するとは
四半世紀前には
考えてもいなかった。

 インプラント治療は
インプラント以外の
歯の状況が
インプラント治療の成否を左右する。

 丁寧な診査と
丁寧かつ的確な治療を
心掛けねば成るまい。

口には出さぬが

 此処十数年程は
毎日、インプラント治療に
明け暮れている。

 と云っても
通常の歯科治療を
全くしない訳ではない。

 むしろ、
初期の虫歯の治療や
根管治療等の
保存治療をしっかりと丁寧に
する様になった。

 私の診療所で消費する
ラバーダム防湿の為の
ラバーシートの量は
歯科材料会社によると
群を抜いている様である。

 ラバーダム防湿は
無菌的治療の第一歩である。

 ラバーダム防湿無くして
保存治療は出来ない。

 削った歯の象牙質に対する
象牙質コラーゲンを損傷しない配慮も
永く歯を保存する為には
必須の行程である。

 患者さんには
いちいち云わないが
何かと私の拘りを満たすには
色々あるのである。

懐かしい景色

 若かりし頃、
新潟で過ごした経験のある私にとって
新潟の地は
第二の故郷と云って良い程に
特別な感慨在る
特別な処である。

 遠く離れた
四国の高松市にて
住まいする様になって
時々に
新潟の風景を思い出す。

 特に信濃川に架かる萬代橋を
万代岸側よりオークラホテルを望む方角より
眺めたるを
私は最も好む。
IMG_20131216_115756
 新潟に暮らして居る頃に
無性に瀬戸の景色が
恋しい時があった。

 讃岐で育った愚息も
今は越後の雪を踏み締めながら
あの時の私の様に
此の景色を思い出している事であろう。

友とは善きもの

 先刻、
越後よりの旧友を
高松駅まで
見送った。

 二人して
大阪心斎橋のナチュラにて
イメチェンの挙に挑んだが
カットの技術は
流石に凄いと
得心しつつ
オーナーである後先生には
初老の男二人して
ヘアスタイルを変えた処で
歳が十五も二十も
若返る筈等も無いのだが、
両手を合わせて
お願いですから


若返らせて下さいと
無理強いした事を
反省しつつ
互いが互いの頭を眺めて
大笑いして仕舞った。

 私は自身の診療所を
同業の輩に
見せる事は無い。

 但し、
お世話になった師匠
旧友は例外である。

 

 

香川県高松市に暮らして

 当たり前の事には
感謝の気持ち等
涌く筈もないのが通常であろう。

 が、普遍を
そうでないとの
指摘を受けて初めて
嗚呼、そうなのかと
もう一度
日常を見つめ直す機会が在る
経験をする人は多いであろう。

 雪に閉ざされた
越後より旧友来たりて
冬でも
青い空と
波静かなる蒼い海、
そして穏やかなる陽射しにIMG_20131216_120059
恵まれた
青い国、四国
讃岐の国の都、
高松市を
見つめ直したる私である。

旧友来る

 大阪で新潟県に在住の旧友に再会した。
少しの間、雑談に興じ
各々が所要を済ませた。

 大学同期というのは
かように互いが気を遣わなくて
気が楽で良いものである。

 夕刻、
心斎橋のナチュラの近くで
待ち合わせ
旧友を助手席に乗せて
高松市迄
車を走らせた。

 明石大橋を背景
瀬戸に沈む夕陽を眺めながら
既に雪の舞う
越後の厳しい気候の中に
暮らす此の友は
羨ましいと
呟いた。

 高速道路から
高松の市街の街の灯火が見えた。

ー 此処が三枝の住む街か ー

と、再び
此の友は呟いた。

ー 饂飩でも喰うか ー

 私は友に返し
車を街へと向けた。

最後の職人

 銀座の
天婦羅近藤の主である
近藤文夫氏を
最後の職人と称した
本を購入し
一気呵成に頁を捲った。

 本職の文筆家の認めたものより
近藤文夫氏自身が
書かれたものの方が
断然面白かった。

 私も近藤ファンであるが、
此の本自体は
ツマラナイ本であった。

 書く始めから
書き手が
近藤文雄氏に飲まれて
これでは
近藤文雄氏の揚げる天婦羅の様な
躍動感は
表現出来ない。

 書き手にとって
近藤文雄氏が大き過ぎたのか
或いは
書き手にとって
職人のなん足るかの
消化が足らなかったのか、
とにかく退屈で
近藤文雄氏を書き足りていない
ツマラナイ本であった。

旨いもの

 断っておくが、
私は決して食通ではない。
単に美味しいものが
好きなだけである。

 此処で云う
美味しいものと云うのは
私が美味しいと
感じるものであって
他人の舌で
美味しいと評価されているものではない。

 江戸前の天婦羅屋などで供される
上等な白い胡麻油を潜った
天婦羅は格別であるが
私は普段の調理には
小豆島のかど屋の胡麻油を
贔屓にしている。

 そもそも家庭の味と云うのは
肩肘張らずに
心持ち和むを一番とすべきである。

 油を使う際に
私はサラダ油を使う事はなく
専らかど屋の胡麻油派である。

 生の野菜を食べる際にも
塩と胡椒を少々降ったる上から
胡麻油と醤油をかけてが
一番旨いと
感じたる私である。