月別アーカイブ: 2014年10月

今日の日

私のような歳の人間には実感がわきませんが、今日はハロウィーンなのだそです。

幼い娘たちは、少し前から何やら変装めいた奇妙な工作に夢中です。

時代は変わったものです。

24年前の今日、新潟市は満天の星空に輝いていました。

澄み渡った大気のなか、国道を急ぎ足で歩く私を今でも覚えています。

途中、道脇のコンビニに立ち寄って、記念にと其の日の新潟日報を購入したのも鮮明に覚えています。

今では群馬県の医療系大学にて解剖学の教授を務めている浅見先生の待つ大学近くの寿司屋へと、急いで歩く私を覚えています。

寿司屋の暖簾をかき分ける様に店に入って、この同級生からの祝いの言葉に実感が無かった自分を変だと感じたのも覚えています。

今では社会人となった私の娘が、この世に生を賜った日が今日。

星を仰ぐように娘の幸福を祈るだけしか出来ない自分の無力を実感しています。

インプラントの選び方

今ではポピュラーな治療になった?インプラントです。

ひとくちにインプラントと云っても様々なインプラントがあります。

メーカーによって器具や道具が違ってきます。

ですから、大概の歯科医院では何処其処のメーカーのものと決めているのが通常です。

私も当初の時代にはブローネマルク.インプラントを使ってきました。
当時のブローネマルク.インプラントは、インプラントの中の王さまと云って良かったでしょう。
チタンと骨との結合条件を発見したブローネマルク博士の開発したインプラントであったからです。
メーカーの歯科医向けの講習会の講師もしていた関係で、
このシステムだけで10年程、浮気しないでインプラント治療に携わっていました。

しかし全てが万能なインプラント.システムがある筈はありません。

優れたシステムでしたが、ヤハリ欠点もありました。

欠点は欠点として、工夫し補いながらの毎日でしたが、
時代を経ていくに連れて
その欠点を補うシステムも次々と出てきました。

先行するモノの定めでしょう。

ブローネマルク.インプラントと併用して、同じスウェーデン製のアストラテック.インプラントを使い始めて14年程になります。

このアストラテック.インプラントは随分と気に入って使ってきました。
歯周病治療の大家であるイエテボリ大学のリンデ教授が開発に携わっており、
ブローネマルク.インプラントの開発に携わっていた研究者やエンジニア達がアストラテック.プロジェクトに参加して、
ブローネマルクの欠点を解消していたからです。
このアストラテックの講師も遣らせて頂いていました。

ある時期から、他の医院でインプラント治療を受けた患者さんが来院される機会が増えました。
ここで様々なインプラントの実際を身をもって体験出来ました。

よく考えて造っているものから、オット!そんなのアリ?と云ったインプラントも目にしました。
少し位のトラブルに際しては、なんとか工夫して対応しています。

そんな風で、結局は殆んどのメーカーのシステムが揃うに至りました。
メーカーのご協力のお陰ですが。

で、行き着いた結論は、インプラントそれぞれの特徴を活かして、
症例によって使うインプラントを変えよう!と。

中心はアストラテックとストローマンですが、
スウェーデン&マルティナ.インプラントもそのラインナップに追加しようと思っています。

私は〇〇インプラントを使っています!
〇〇インプラントだから安心です!
等と云った商業コピーは、最早時代遅れの不勉強でしょう。

インプラントは材料に過ぎません。
が、使う場面に応じて変えるのが正しい使い方だと思います。
内科医が症状に応じてクスリを変えるのと同じだと思います。

私としては、インプラントの材質はチタン合金ではなく、純チタン製で、
構造としては3ピース構造のシステムが基本だと思っています。

それぞれの部品の連結状態にメーカーの考え方が反映しています。
私は、この辺りの考えの違いを、症例に応じて使い別けています。

最近では、価格重視、治療期間短縮に重きをおいて、コマーシャルされているインプラントも見かけます。

このコマーシャル通りの結果を、私は自分の症例での長期のモノを持ち合わせていません。

また、実際にインプラントをと決意された患者さんの選ぶモノは、
確かな実績のあるシステムであったのも事実です。

この辺りが興味深い処で、関心があると云うオーダーと、実際に選ぶ事とは違うと云うことです。

果報者

この間の大学での講義中の写真が新潟から届きました。

プロカメラマンの熊木さんの腕が良いことを実感しました。

素材が悪いので、大変ご苦労なさったことでしょう。

講義中の自分の姿を観ることはできません。

照れくさい心持ちで写真を眺めておりました。

ただ、講義のタイトルの通り、

私は良い仕事に就けて大変な果報者であると実感したのです。

ブログ

毎日ブログを更新して、よくネタがアリマスヨね!

と、言われます。

診療所へ出ている日にはブログを更新すると、何年か前に決めました。

出勤して直ぐに机に向かって最初にすることは、ブログを更新することと、メールを確認することと決めて今に至っています。

朝の慌ただしい時にすることなので、時間は割けません。

5分か10分くらいでの戯言です。

想うがままの戯れ言ですから、予めなにかテーマを決めての事ではありません。

母校である日本歯科大学で教務部長を務められて居られる藤井教授より、
学生たちへの日々のメッセージをと依頼されて始めたものです。

その様な訳で始めたブログですから、中途で止める訳にはいかなくなりました。

始めた頃の初々しい学生も、今では国家試験を目前に控えた6年生になりました。

校門をくぐって校内に入りし時などは、
学生さんが近寄ってきて声をかけてくれます。

徒然なるままに書いている故に、当の私は既に記憶には無いのですが、

あの時のあのブログは面白かったです等と云われた時には、

あぁ、そうかい?

と、適当に応えてひょうひょうとタイムカードへと向かう、

これもまた、新潟での常習となりました。

私の名前

私は、サエグサ ヒサトと言います。

ミツエダでもサンシでもありません。

ナオトでもありません。

文枝師匠が、三枝と名のっていたときに、

師匠に由来して、サンシ、サンシと言われた若い時分には、秘かに傷ついたものでした。

あの【いらっしゃい!】のイメージが強烈過ぎて!

商家を営んでいた私の実家は、私が産まれた時には相当、シンドかった様です。

で、先々代が【お金に縁があるように】と念じて、
初代日銀総裁の一万田尚登から、名前を頂戴したとのこと。

このような安直な考えからの名前故に、

刷っては放出するだけで、預金を預からない日本銀行です。
出ていくイッポウで、決して留まることの無いのは、名前の由来の精でしょう。

もう人生も後半にまで十分に達した私ですが、
日々、仏壇を前に読経しながら、
もっと知恵を搾れなかったのかと、怨めしく思っています。

そう言えば、先の東北大震災に際して、
私が東北から帰宅するのを待ってから、あの世へと旅立った21年もの長生きした拾いネコのニャン太をふと、思い出しました。

拾った時に、雄かと勘違いし、余りにもニャン、ニャン喧しく鳴くので、ニャン太と名付けたら、実際にはメスでありました。

其れに気づいた時には、他の名前に改名出来ないくらいに本人が名前に馴染んで、
結局は最後までニャン太で行ってしまいました。

嗚呼、これも血の為せる技かもしれません。

似たような話

さる著名な宮大工の棟梁によれば、
山歩きを日々行い、木々の観察を怠らないとのこと。

で、さぁ寺の修繕と云う時には、
どこどこの柱には、彼処の木を使おう!その時には其の木のアノ面をアチラの方角に向けて!
等と、考えるのだそうです。

例えば、北の斜面に面して育った木の北側部分は、柱に使う時も北側部分の柱として、
その柱の北側はヤハリ木の北側を充てるのだそうです。

寺の修繕に際して棟梁は、次の修繕は恐らく百年は後のことになるだろうが、
その時と大工からシッカリ評価して貰いたいと思うのだそうです。

その棟梁は自分の住む家を建てる際、自分では大工仕事はしなかったそうです。

何故ならば、自分の手は神様、仏様の家を建てるためのもの。

寺の修繕の無いときは、桶をこさえて手持ち無沙汰をまぎらわし、日銭を稼ぐのだそうです。

歯の仕事に於いても、全く同じことが云えると思います。

私は、自分の診療所はユートピアで在らねばならんと思ってきました。
歯の仕事に於いて、自分の信念に反する仕事はしないで今を過ごせたことに感謝しています。

正直、経済的にシンドイ時もありましたし、人様が想う程に裕福な暮らしはしていません。
歯科医はお金持ちと考えるならば、私には縁の無いことと諦めています。

但し、患者さんの治療に使う機材や道具、材料は、
最高品質のモノを使っている自負はありますし、
診療所のシステムも他の歯科医では決して真似は出来ないとの自信を持っています。

いずれ私も歳老いて、引退する時が必ず来ます。
次を引き継いだ歯科医が私の仕事を観たときに、シッカリ評価して貰いたいと、
兜の緒を締めて、日々を送っているのは、専門職として当たり前のことだと思っています。

本音

昨日の新患の患者さんに接して想うこと。

随分と長い間、独りで抱えこんで、さぞかしシンドイ想いをして居られたんだろう!
ズシンと伝わってきました。
で、目の前に座る患者さんの心のうちも判ります。

コイツに委せて大丈夫なんだろうか?

イッタイ幾らかかるんだろう?

痛いんじゃないか?

難しいこと云わずにサッサと迅速に!

私も初代の歯科医ですから、患者さんの気持ちは良く判るんです。

但し、責任が在りますから!

私の今までの経験上、ベストな方法を考えて差し上げないといけませんから。

少しでも安く、速く綺麗になって、それでもって長持ちする方法をと想うから
やっぱり慎重になるんです。

やり直しは利きませんから。

患者さんの悩みに比例して、私の悩みも大きくなるんです。

これは本音です。

専門家が、自分で自信を持ったら、もう進歩は期待出来ないですね。

専門家が、自分でアレが得意、コレが得意なんて笑っちゃいますね。

上、上へと目指すからキリがありません。

患者さんに対しては、そう言うギリギリの処で勝負しますから、
ズーと悩んでばかりです。

シンドイといえばシンドイですけど、
コレが専門職の快感かもしれません。

こういう繰り返しの毎日です。

恐い先生

薬屋の営業が、私のことを昔は飛び上がる程に恐かったが、今は丸くなって変わってしまったと家族に囁いたらしいですが、
あら、ソウカィと合図地うって、飄々と立ち去りました。

そういえば昨日、ペット屋へと御一緒した患者さんからも、車中ズーと昔の私がどれ程に恐ろしかったのかを、
私に運転させておきながら、言い通すのを聞かせれて、ただただの苦笑い。

大学病院の廊下を歩いていても、旧い人たちなどは、私の姿を見つけるや否や、飛び上がっての後退りで会釈され、
毎度の事なので此方も素知らぬ顔をして

ー やぁ!元気かい? ー

と、ニコニコ顔で挨拶してはが毎月の恒例行事となりました。

学生連中や若い先生からは、恐いとは思われいないのか?
結構、向こうからニコニコ顔で近寄ってくれるのでチョッと嬉しく感じます。

当の私は、何が恐くてどうなのか?全く判りません。

私の若い時分に、岩下博美先生と云う人が大学におられましたが、
それはそれは恐ろしい先生でした。
目元もカミソリのように細く鋭く、ピシッと七三に別けた髪、静かな口調ですが少しニヒルで、
役者の藤達也さんのような先生でした。

で、腕が良かった。
いろんな意味で、この先生に一目おいてました。

この岩下先生に比べたら、私なんぞはお釈迦様だろうと今でもそう思っています。

昔は恐い先生っていたもんです。

開業医の仕事

昨日のお昼前にお越しになられていた患者さんは、既に20年越のお付き合いとなりました。

インプラント、ブリッジ共に長い間、十分に機能しているので安堵しています。

もう70半ばのこの患者さんは一昨年程前より、ご亭主の終末看病に追われて、
身体はモチロン、心まで疲れに疲れ、相当に参っている様がマザマザと伝わってきていました。

生憎、このご夫婦はお子さんには恵まれず、私の診療所へお越しになられた当初には、
50の半ばでお元気であったので、ご夫婦其々が趣味に興じておられる様に、羨ましいと感じたものです。

相談相手、愚痴を溢す相手がいない〇〇さんが、段々と鬱傾向が強まってくる様が伝わってきました。

お口の中のクリーニングにでも月に一度はお越しになっては?と理由をつけて、毎月〇〇さん、元気かな?と、
お顔を確認しては、心に溜まった汚泥を吐き出させては、じゃあ、来月まで頑張れ!頑張れ!での繰り返しでした。

半年前に、ご亭主を見送ったる〇〇さん、メッキリ駄目になっていくのが判ります。

ずーと、ご亭主が窮屈でウットオシイ!などと仰られておられましたが、居なくなるとポッカリと
心に大きな穴が空いたのでしょう。

私の患者さんにも、随分とご亭主に先立たれた方がいらっしゃいます。
が、皆さん半年ですね、淋しいと仰られていたのは。

そのあとは、鎖から解き放たれたるかの如く、旅行に趣味にと、
女と云う生き物は凄いな!と秘かに怖じ気づく理由のひとつにもなっておりましたのですが。

〇〇さんは意外にも意外!
多種類の安定剤、睡眠剤、それでも、ドンドン落ち込んでいく様に。

ー 犬でも飼ったらどうですか?暗い家に帰って独りで電気をつけて、独りでご飯を作って独りで食べて‥。気が狂いますよ!当たり前!
  犬でもお飼いなさい! ー

年長者に対して失礼な言い方ですが、こうなると親類のオバチャンみたいなもんです。

ー 犬!!先生、私が先に死んだらどうしましょ? ー

ー 俺が貰ってやっから!安心しなせぃ!速く心を切り換えてよ!観てられねぇわね! ー

と、何故かここで新潟弁で応じた私です。

昼休みに、私の車の後部座席に〇〇さんが座ったのは当然の成り行きです。

小さな小さなトイプードルの女の子を膝に乗せたる〇〇さん。

ー 先生、名前をつけて下さいな。 ー

ー 馬鹿言っちゃあ駄目よ!最近ボケて物忘れがヒドイのに、俺がつけたら覚えられんよ! ー

と、平気で酷いことを言う私です。

で、結局落ち着いたのは、
先立ったご亭主のお名前がヒサなんとかであったので、ヒサちゃんと相成ったようです。

犬と一緒に買い求めたる大量のドグフードやらオシッコシーツ諸々を
私の診療所で夕刻まで犬のトリミングを待つ〇〇さんとご自宅まで送りおどける道すがら

ー 先生、私は長生きしてヒサちゃんを見送ってやろうと決めました! ー

ヤレヤレ、これでひと安心!

〇〇さんは今夜はどんな時間を過ごしているんだろう?と床に就いた私です。

歯の声

役所の方とお話しする機会がありました。

歳は私よりも五つ程の年下の男性でした。

ー 私などは定期異動がありますから、自分を仕事の方に合わせなければならんのです。 ー

立派な考えをお持ちの方だなと、今時珍しい人物と想わず見つめてしまいました。

私なんぞは、子供が其のままに大人になったようなもので、
好き勝手して生きてきたので、決して人様に語る資格などありません。

歯だけに興味を惹かれて、これまで自由に生きて来ただけの自由人。

仕事の方が、歯の方が、私の方に合わせてくれていると云った方が佳いのかもしれません。

最近【歯の声】が自然と聴こえて来るようになりました。

歯も、

泣くし、叫ぶし、苦しむし、歓びの声をあげるのです。

歯の仕事の以外を知る余裕もありませんでしたし、また興味を持っても矢張、歯の世界の方が
ズット面白いとワクワク気分にさせてくれたのでで、今に至って此のままに。

こんな私ですから、周りは大変だと思います。