日別アーカイブ: 2014年11月15日

ある意味退屈

この歳になったからと云う訳ではないと思います。

他の人であればドギマギする事でも、私はあまり気にしません。

自分の中での価値観と云うモノがキチンと私なりにあって、
その価値観がどうも他の人のものとは随分と大きな開きが在るようです。

ですから他人目にすれば大したことで無い事象であっても凄く気にかかり、
逆に普通の人間であれば動転する様な出来事に遭遇しても平静を保て、
その成り行きで腹の座った人だと言われても、
当の本人にとって頓着ない事なので何と返して良いのか解らない、
その様な事が多いのです。

ある意味私のような仕事をしている人間は人気商売ですから、
痩せ我慢で人様の前に自分を曝している訳です。

そういう暮らしを何十年と過ごしているウチに
其れが知らず知らずの内に身についてしまうと云う事も在るのでしょう。

ただ診療所の中だけで1日の大半を、口の中だけ診て暮らしている人間ですから、
見識が広い筈もなく、専門バカですから、
何事にも鈍くなってきたのかもしれません。

先日も、匿名で意味不明の手紙を受け取りました。
親切めいた内容でしたが、何が言いたいのか皆目解らないので、
スタッフや家人に見せたら処、二人ともこの手紙の主は頭のオカシイ人物だと恐れ怯えて、
挙げ句は警察に届けようと二人して言う始末。

元々、匿名で出すと云うこと自体でマトモに受けとる気持ちにもならず、
と、言ってやはり自分の仕事の癖がつい、顔をもたげてしまいます。

歯科医はジックリと観察する野性動物のような習性を身につけます。

宛名の筆跡に、閃き、物持ちの良い私は、ゴソゴソと整理棚を漁り、
二人の前にポンと一枚の紙切れを放り投げたのです。

書き癖を無理して治して書いているモノの、完璧に治しきれるモノではありません。

あっ、同じ字です!と言われても、
何を今更気づいてるんだぃってなモノで、鈍い人を羨ましく思います。

人間と云う生き物は、その産まれや育ちで、様々な挙動を示します。
なにかを為すのに、全てに訳があるわけではありません。

此方に他意が無くても、受け取り様は人様々です。

歯だけで精一杯である私は、イチイチ暇に付き合う余裕はある筈もなく。

この意味不明なる手紙も、私の整理棚にしまわれたのです。

若い時分であれば、どの女であろう?と、口から心臓が飛び出す想いを味わったかもしれませんが、
残念ながら、枯れたるが現状の私は、枯れてはいなかった頃が、妙に懐かしく思うのです。

しみじみと

新潟での私の住まいは、信濃川に架かる萬代橋のすぐ袂にあります。

毎日、この橋の姿を仰ぎ、川からの風を全身に受けながらの散歩が、私の楽しみであります。

散歩の途中の本町人情横丁にある石山魚屋から、この季節になると、私は鮭を取り寄せます。

昨日、高松市の自宅に届いたる鮭を観て、冬がやって来たのだと感じました。

毎年の事であるので、魚屋の親父さんは綺麗に切り身に処理して、小分けで真空パックに入れてくれてます。

先日、岡先生から頂いたホカホカのご飯を、この新潟の村上市の三面川を登ってきた鮭で、
三杯もペロリと平らげてしまいました。

人の幸せと云うモノは、こういう時に在るものだとしみじみ実感しつつ、
鮭の頭をぶつ切りの大根と濃い口醤油と酒で煮込みながら、
明日の夜は久保田の封を開けようと、良い気持ちで床に就いたのです。