月別アーカイブ: 2015年6月

賜物

京都市からお越しの患者さんの治療の途中での一休みです。

今、スタッフの宮田君が患者さんのお口の中をクリーニングしている処です。

当の私は、先程まで、この患者さんの奥歯部分にインプラントの部品であるアバットメントを装着していました。

アバットメントの上に人工歯が被さります。

この人工歯の噛み合わせの調整も併せて行って、

眼がシバシバします。

拡大鏡下での作業ですから、丁寧な仕事が出来ますが、

それだけに眼に負担が架かり、神経も張りつめます。

で、一服です。

30分位の間に、歯を艶々しく綺麗にしてくれるでしょう。

で、再び私の出番となります。

この患者さんには無理を利いて頂きました。

修復治療に先だって、歯列矯正の治療を受けて頂きました。

私より年上の女性ですが、京都市から兵庫県川西市の畑先生のもとで矯正治療に通って頂きました。

お陰で、非常に修復治療は、やり易く、綺麗な機能的な形態の人工歯の仕上がりとなりました。

良い仕事は、患者さんの協力の賜物であると感謝しています。

素晴らしい仕事.歯科治療

夜通し、本を読んでいました。

今朝も一番に手術があります。

歯肉の移植手術です。

意外と徹夜は、堪えていません。

気が張り詰めているんだと思います。

私の仕事は、人の身体をあずかる意味合いを持ちます。

ですから、責任の重さで押し潰されない為には、気持ちを張り詰めているしかありません。

秋の恒例行事となった母校での特別講義は、私にとっては、とても重要な意味を持ちます。

歯科大に入学したばかりの1年坊主ですから、まだ専門知識はありません。

ですから、難しいテクニックや診断論について述べても無意味です。

医人として彼らが経験するであろう重圧を、寧ろ糧として生きていく術についての話に重きをおいています。

芸の道に身をおくわけですから、一般のサラリーマンや事業家のような考え方をあえて排除しなければならない時もしばしばです。

営利のみを追求することを慎まなければなりませんし、

少しのミスが大きな命取りになる事も知っておかねばなりません。

厳しい道であったと、振り返り観れば、その様に想わざるを得なかったと感じますし、

現状に於いても、常に自己を律する心を持っていなければ、

到底、患者さんの身体を触ることは出来ません。

矛盾した言い方ですが、

自信を持って患者さんに接して治療を行っていますと共に、

まだまだ、モット良い治療が在るんじゃないかと、

謙虚な気持ちで、未だに自己の未熟を感じて過ごしています。

治療なり、書物に目を通すだけで多くのエネルギーを消耗します。

瞳でしかモノを言わない犬を離さないのは、それだけ心に傷つく仕事でも在るからだと思います。

歯のキチガイと言われたことが度々です。

歯への情熱の大きさから、他の方向にまで眼が届きません。

これを責められるのは、正直に申し上げると酷だと思います。

日本歯科大学の合格発表に喜び、富士見坂を駆け降りました。

歯科医師国家試験の合格発表の報に、良い歯医者でありたいと決意した頃から

私の歯科医学への興味が尽きることはありません。

こんな厳しい、辛い、悲しい仕事ということは、誰よりも私が知っています。

でも、私は素晴らしい仕事.歯科治療という意味合いも誰よりも判っています。

人は生まれる時に独りなら、死ぬときも独りです。

頂いた命を、単に時間消費するのではなく、価値あるモノに自分の心の持ちようにてと

若き歯科学生に気づいて頂きたいと思います。

早いもので

今は亡き日本歯科大学の小倉英雄学部長から頂いた【素晴らしい仕事.歯科治療】という命題で

第1学年の学生諸君に対する特別講義を始めて、早いもので8年になります。

17の歳で歯科医の道を志し、数ある歯科大学の中で【自主独立】を建学の精神とし、

未だに文部科学省からの助成金を一切に頂戴していない唯一の私学である反骨精神に惹かれて

私は日本歯科大学の門を叩きました。

歯科一筋の半生であったので、私には難しい世間一般の話は判りません。

それ処か、いつまで経っても、歯のなん足るか!も未だに判ってはおりません。

こんな私ですから、毎年のように此の季節になると頭を抱え込んで仕舞うのです。

歯科以外に、自分の生きる道など考えなかった私ですから。

好きな仕事に就けた幸運に感謝しています。

幸せなんでしょう。

じゃ、毎日が楽しくて良いですね!って?

そうかもしれません。

でも、本当にそう思われますか?

私らは、痛い!噛めない!辛い!って患者さんからの大きな期待に応えなきゃならんのです。

それも、大きなお金を頂いてですよ。

厳しいて、辛くて、悲しいから、お金を頂けるんです。

ラクして、楽しんで、嬉しいんだったら、こちらがお金を払わなあかんと思いませんか?

私を支えてるんは、もっともっと何かが在るんだろう?という好奇心ですよ。

それと、就きたい仕事に就かせて頂いた神様仏様への感謝の気持ち、

そして、こんな私ですら頼って来て下さる患者さんへの責任感です。

自分にはモット向いている仕事が在るんだと!次々に職を変える人って居るじゃないですか。

そんな虫の良い話なんてあるはず無いじゃないですか?

私ら凡人は、才能なんて無いんですよ。

才能があるんだったら、幼児の時に花開いてます!

〇〇の天才って。

そうでもない限り、私ら凡人は、縁があって就いた仕事に全部を没頭させないとモノにはなりませんよ。

壁に何度もぶつかりました。

スランプなんてしょっちゅうです。

でも、その都度に落ち込んでいてもどうもなりません。

自分で工夫するしかありません。

これは私ら歯医者だけじゃないと思いますよ。

職人でも芸人でも、同じ匂いがするもんです。

今年の特別講は10月23日です。

それまで、これから日本の歯科医療の最前線に立つ若人の記憶に残る役者でありたいと

思案しながら過ごすことになります。

彼らが私の歳になる頃には、当の私は生きてはいないでしょうから。

良い歯医者さんになって欲しいと、本心から、そう願っています。

エステティックな歯科治療 その1.

一昨年ほど前から、比較的若い患者さんがお越しになられます。

それまでは、壮年?老年歯科?を標榜出来るくらいの患者さんが大半でした。

私の診療所の特徴が、どうしてもインプラント治療が中心であったからだと思いこんでいました。

下手をすれば、社会人となった娘くらいの患者さんもお越しになられます。

私としては、生涯の間に、何度も何度も再治療の繰り返しということは絶対に避けて差し上げたいと思っています。

私の手にかかった処は、ズット患者さんのお口の中で、お役にたって貰いたいと念じて治療しています。

患者さんが私の年齢になった時には、恐らく私はこの世には居ないでしょう。

その時に、私の遺した仕事の結果だけは、患者さんのお口の中で生き続けて欲しいと念じて治療しています。

長持ちを一番に考えて治療しています。

しかしながら、口許は人の第1印象に大きく影響を与えます。

私は自分の患者さんには、いつまでも輝いて頂きたいと思っています。

当分の間、この項をかりて、歯科治療とエステティックとのかかわり合いについて述べさせて頂きたいと思っています。

エステティックな歯科治療 その4.

セラミックを使って歯を造ったら、自然感にあふれ、美しい口許になると単純に思っていたら大変なことになります。

だって私の診療所へお越しの患者さんの大半は、既にセラミックでの治療をお受けになっていますから。

お世辞でも綺麗だとは言えない状態で、皆さんがお越しになられます。

昨日の初診の患者さんも、そうでした。

私の診療所へお越しになるまで、心配で心配で眠れなかったそうです。

素人である患者さんが綺麗だと思わないモノを、

素人である患者さんが、不安を抱えた状態にまで炎症が進んだモノを、

どうして専門家である当の治した歯科医が解らないのか、私は不思議で仕方ありません。

視る眼がないんでしょうか?

それとも、眼が腐っているんでしょうか?

セラミックは使い勝手の良い素材です。

一言にセラミックといっても色々な種類があります。

魚と同じです。

白身魚、赤身魚、青い魚、様々あるように、

生で頂くか、締めるか!焼くか!煮付けるか!

セラミックの使いよう、選びようも同じです。

エステティックな歯科治療にセラミックは欠かせない素材ですが、

美しく出来るかどうかは、歯科医と歯科技工士のハーモニーの成せる技であると言えましょう。

エステティックな歯科治療 その3.

1本の歯でさえも、1色で構成されている訳ではありません。

歯の先端部分は、すりガラスのように半透明に透けていますし、

歯と歯茎の境目辺りは、若干黄ばんでいるものです。

歯の本体部分においても、ジックリ視ると、何色もの色合いが混ざりあい、重なりあって

深い色合いを帯びています。

本来、天然の歯は、中身が空洞になっています。

この空洞部分に、俗に云う神経が入っています。

その空洞を取り囲むように象牙質があり、この象牙質は決して石ころのような素材ではなく、

コラーゲン繊維の束からなる活きた組織なのです。

ですから、体液を内側の空洞の中の血管から絶えず供給を受けている濡れた組織なのです。

この象牙質を取り囲むエナメル質は、無機質の組織ですが、

ワシントンにある独立記念塔のような形をした柱状のエナメル小柱という組織が重なりあって出来ています。

この半透明のエナメル質は、柱が列なって構成されているので、

光の屈折率に特徴を持っています。

光の種類や程度によって、様々な吸収、反射の様を見せます。

種類の異なった組織構造の重なった歯の色調の深さの原因が、ここにあります。

私の診療所で、修復治療において人工歯を作製するに際しては、

単に、オールセラミッククラウンやメタルボンドクラウンと云った大雑把な種類の選択よりも、

患者さんの口許の自然感と調和するには、どうすれば良いのか!を先ず見極めてから

修復で使うセラミック素材を吟味しています。

エステティックな歯科治療 その2.

最近、審美歯科治療のやり直しを希望されてお越しになられる患者さんが増えています。

治療を終えてから、それほど間が経った修復ではありません。

こんなの嫌だ!と、こんな筈じゃなかった!と後悔し、

主治医に問い合わせしたそうですが、伝わらなかったようです。

確かに、金属を使わない歯と同じ色を再現できるセラミックス素材で治療はなされていますが、

お世辞にも、美しい処か、全く不自然な状態で、これでは患者さんがお気の毒になります。

口上手な歯科医から、散々に美味い文句で薦められて受けた審美歯科です。

取りあえずは、私は仮の歯にて、失われた歯科医への信用を取り戻す手当てを講じます。

大体は、これで信頼関係を構築出来ます。

仮の歯ですから、上等なセラミックス素材ではありません。

しかし良いモノは自然で美しく眼に入ってきます。

基本は正しい治療手法に尽きることを、私は仮の歯でもって、患者さんに体感して頂くことにしています。

仮の歯ですから、足したり、削ったり、形を自由自在に変えることが出来ます。

このような下手間は、料理における下準備と同じだと思って下さい。

最終歯の素材選びの段階になって、殆どの患者さんが同じ台詞を仰います。

ー 先生が一番良いと思うようにして下さい! ー

私にとっての歯科医学

技なり感覚というモノは、言葉で伝えることは不可能です。

学校なり予備校、塾の類いでは、点数を採るための近道や要領を教えてくれます

先生が教科書を使い、黒板なりパワーポイントを駆使して教えてくれます。

生徒たちは教わることが当たり前だと思っています。

教われば判ると思っています。

こういうこと全てが、技や感覚を身につける時に障害となると思います。

技、感覚、考え方は、本人の身体が身につけるモノです。

その手段に、はや道も近道もありません。

人間は、其々が本来、全く違うモノです。

モノを覚える、技を手に入れる、感覚を身につけることは、遅々として進まない道です。

が、その焦りなり恐怖に対して自らが耳を塞いで、眼を閉じて、

自らが歩く道を正しい道と信じて進むことで、

階段を上がる力が見について、一つ上のなにかをつかみとることが出来るようになるのだと思います。

歯科においても同じであり、技術を身につけるために私は不安や焦りと戦って来ました。

これからも、そうだと思います。

今までの経験値では推し測れない壁と向き合う日々が続くでしょう。

私にとって歯科医学とは、そういうモノです。

ダイレクトボンディング修復

歯をセラミックスの冠で被せることなく、

直接、口の中で修復材料を盛り上げていき、歯の彫刻をして修復する手法を

ダイレクトボンディング修復と言います。

余計な歯質を削除することはないので、歯質保全の優れた治療方法です。

自然な色調を回復するために、1本の歯であっても多くの色材料を使います。

それがまた楽しいのです。

加えて、歯科技工師の手を借りずに、私が直接に口の中で歯の形に彫刻する訳ですから、

自然と熱が入ります。

治療が終わったら、私はチラリと横でアシスタントを務めるスタッフの顔に視線を注ぎます。

スタッフというモノは、治療の出来、不出来を口には出しませんが、シッカリと判っているものです。

自分の手で成した天然歯の形と色調回復に、想わず口笛が出る時があります。

そういった意味あいで、ダイレクトボンディング修復は、私の好きな治療方法です。

恩師からの便り

今朝、診療の準備に追われていると携帯電話が鳴り響きました。

スマートフォンからガラ携の方が使いやすいと、

最近、交換したばかりで電話を未だ使いこなせて居りません。

はて?誰だろう?と、電話に出てみると

ー おー!三枝君! ー

あの独特の太いお声が受話器の向こう側から響いてきました。

港区ご開業の内藤正裕先生です。

私が今日在るのは、正しく内藤先生のお陰です。

アメリカやヨーロッパ追従の大好きな我が国の歯科界ですが、

内藤先生は当代随一の歯科医であることは疑いない事実であります。

内藤先生を灯台の灯火として、私はトボトボと歩いて来ました。

歩いても歩いても、腹がたつほどに、先生は先へと歩いて行かれ続け、

恐らく追い付くことは出来ないでしょう。

この度、先生の集大成とも云えるご本を上稿されたとの報せに、

その歯科への情熱に対して敬意をはらうと共に、

先生のご健康を心からお祈りしたのです。