月別アーカイブ: 2015年8月

新たな区切りって

当地では、今日から新学期が始まったようです。

菊地寛通りに面する私の診療所の書斎は、二階部分の通りに面した処にあります。

近くのコンビニへマリリンを伴って、熱い珈琲買い求め、

書斎で窓越しに腰掛けて珈琲と煙草を燻らせてボーと

通りの街路樹や向かい側にそびえ立つビル一面のガラス窓に写る景色を視界に入れながら、

耳からは歩道の横断を告げる音や、車のエンジン音に混じって、

そろそろ学童たちの通学途中の会話が聴こえて来るでしょう。

確実に外は秋の空気です。

今年の冬は案外と寒いかもしれません。

歯を通じての社会貢献

私の診療所のような類いの処は、

それこそ歯が急に痛くなった!とか詰め物が取れたなどという理由で、

突然に来院されるお方は皆無であります。

人には言えない、相談出来ない、歯医者に診せるのも躊躇うという方ばかりです。

このような患者さんを専門に数十年過ごしてきました。

ある時期までは、自身の技術的な向上ばかりに目が向いて、

様々な治療方法の取得や修練に大きな時期を過ごしました。

歳をとったんでしょうか?

そういう意味での修練は、日常の業務、習慣となり当たり前の負担なく自分の身体の1つとなりました。

今、私の診療は大きく変わって来ています。

恐らく、スタッフ、患者さん共に気づいていないと思います。

これが業界でいう処の狸の、三枝の真骨頂です。

私の仕事を通じての社会貢献という形をキチンと実現化するように動いています。

規則正しい生活が一番

昨夜は久しぶりに街へと脚を運びました。

私の仕事は多くの業者の方々のご尽力で成り立っています。

通りいっぺんの仕事しか出来ない方は、私は診療所への出入りを閉ざしています。

ですから、私の仕事を支えて頂いて居られる方々は、それぞれが歯を通じての社会貢献をと

意識して過ごされて居られるのだと感じています。

A氏を、無理矢理誘って、夕食へと出かけました。

私なんぞと飯を喰うなんぞは、窮屈で嫌であったろうと同情しますが、

何時も仕事場で仕事の話しばかりで、ご苦労をお掛けしていることに、

何かしらの感謝の意を表したいとの想いからです。

但し、夜の9時には就寝する私です。

みんなは本当?と、想っておられるでしょうが、

A氏は理解して下さったと思います。

私らのような人の身体を与る仕事は、規則正しい生活が一番です。

ささやかな宴でしたが、喜んで下さっていたら幸いです。

普通であること

光陰矢の如しと申しますが、月日の経過は誠に速く、

その間に生じた様々な出来事を振り返ると、

やむなくと云った処あり、自分を褒めてやりたいことあり、ハタマタ反省ありと云った処です。

多くの子宝を授かった私ですが、男子は独りしか居りません。

今日、この愚息の20歳の誕生日を迎えられましたことは、

父として、数ある中の通過点の1つを、一応の処は辿り着けた安堵感を覚えます。

常々に、私は【普通】という言葉を意識して生きてきました。

但し、最大公約数的な、皆と並んで皆と一緒にが【普通】の定義であるのならば、

意識して【普通】に背を向けてきました。

この生き方が、正に負に向かったのかの判断を、私は行う資格はありません。

様々な角度からでありましょうが、

私は自身を愚息にさらけ出すを意識して接してきました。

愚息が生きていく上に於いて、情けない想い、悔しい想い、挫折を味わう機会も在ろうかと思います。

親父でも、あれ程にもがいていたんだ、堪えておったんだと、

必ずや脳裏に思い出すことが在ろうと思ってのことでした。

歯科医という仕事を私は、職人仕事であると確信しています。

職人とは、道具と芸事の対象にだけ向き合うことが、精進の第一歩であると考えています。

で、その姿勢を、横目にふらつかないで貫くこと。

このような案配ですから、ある意味バランスの欠けた生き方であるとも言えましょう。

しかしながら、この仕事に就いて、そうすることで芸の足しになるのであれば、

私はその方略を選びますし、また実行してきました。

愚息が今後、どの様な選択の岐路を迎えて、どのように判断するのかの良否をする資格は私にはありません。

今まで通りに、遠くから見守ってやるだけ。

愚息の前にある道が拓いて下さいますようにと、

越後の神々に手を合わせてお願いするだけしかできません。

日本の男であることは、確りと胸に刻んで進め!進め!と願う

何時まで経っても、やはり大いなる親バカ降りは変わっておりません。

単細胞

同年代の知人の話しですが、

地方の国立大学の学生時代に、何と!彼は数百万円程の貯金が出来たそうな。

その話しを耳にしたのは、私が30歳前の頃でしたが、

大いに仰け反ったのを覚えています。

彼の殖財の方法は、株や投機によるモノではなく、

アルバイトや親からの仕送りを切り詰めてのコツコツとであったことも

私の仰け反り角度を、益々に増大させたのです。

私なんぞは、江戸時代に生きる町民のように

【宵越しの金】は持たねぇ!気分で、

仕送りのあった日などには大いに気が大きくなり、

ついぞ数日前の月末なんぞには喫茶でツケで食べさせて貰っていたのをスッカリ忘れてしまい、

鮨屋のカウンターで、大いに旬の味を満喫していたモノです。

ですから、学生時代に幾ら遣った!ということは自慢出来ても、

貯金したなどとは考えても観なかったのです。

但し、負け惜しみではありませんが、

男としての器というか、面白味のまったく無い彼の現状を鑑み、

私は、それはそれで善かったのではないかと、自分で自分を納得させています。

無駄から、初めて生まれるモノもある!手合いの言葉を

数寄屋橋次郎の親父が喋っているのを、何かで観たことがありますが、

無題自慢の私としては、ホラ観てみぃ!てな具合で、

大いに同調したのです。

今の時代は、ギスギスして過ごしにくいと感じています。

私は優等生ではありませんから、

理屈の通った台詞や、議論など御免こうむるという姿勢で生きてきました。

生理的に嫌だ!と感じるモノには、身体全体で反発する子供が、

そのまんま大人になったと想われても構いませんの姿勢といった処です。

へぇ!と、お感じになられるかもしれませんが、

私は、単細胞な人間であると自覚しています。

人格者のようなことを演じている程、私は閑人ではありません。

職人のあや

回転スシではない、カウンターだけの静かな鮨屋へ幼児連れで行って、

駄々をこねだした幼児に、

ー お子さまランチを作って頂戴 ー

と、母親が言ったらどうなるでしょう?

タカが鮨屋と想って居られる方も居るでしょう。

が、鮨に命をかけた職人も居られます。

来て頂く以上は、お客に対して自身のコダワリの手間隙、下準備は口にこそ出さなくても、

確りと丁寧にしているモノです。

この手合いの鮨屋にて、どのくらいの時間で準備出来るんだ?と、聞くお客を

私はまったく理解出来ません。

私が店の親父であったなら、即座につまみ出すでしょう。

昔、患者として来た麻酔科の医者が私にこう言いました。

ー 歯なんか無くても‥‥‥ー

その時の私ですか?

大人気ありませんが、

ー それなら全部抜いたらどうです! どうぞ他所で! ー

私ら職人は、その辺のもんとは違いますから。

自己裁量権

私は自身の診療所の運営に関して、スタッフの感性を全面的に信じています。

無論、それに至るまでには厳しくトレーニングしていますし、

共に仕事をしてみて、委せられないと感じるスタッフは、診療所から去って頂いてきました。

患者さんが私に対して言いにくいことは多々あると思っています。

諸事情もお在りになるでしょう。

また、患者さんに私サイドでの不手際がある時も正直あります。

その様な時に、私のスタッフには【ナイチンゲールの心】が育っています。

即座に、適格な対応をしてくれていると思っています。

裏腹に

人付き合いの悪い質だと思います。

この年になったら、後の20年くらいで、仕事の総決算の成果を出さねばなりません。

歯科だけで、歯に向き合うだけで精一杯といった処です。

子供の手当てや犬たちの手当てもあります。

外食しても、娘たちが喜ぶような処が中心となり、

私が唸る程の感動させてくれる店が在るわけでもなく、

皆で一緒に食事を作って、皆でテーブルを囲む方が安堵する年になりました。

人は外見だけでは判らないもんですよ。

動じないこと

目には見えないのですが、なんか良い運気に恵まれていると感じる時があります。

こういう時を、追い風に乗っているというのでしょう。

逆に、何をしても上手くことが運ばないという時も経験します。

向かい風の逆境の時期と言えるでしょう。

人生は、その繰り返しです。

向かい風にある時には、私はジットして、頭を屈めて決して動かなくなりました。

こういう時期には、何かしらの対策をうたねばと気持ち焦り、

ジットしていられないモノです。

せめて情報収集のために見聞を広めようと交遊関係を拡げてみたり、

様々な書籍に没頭するモノです。

経験的に、それらすべては止した方が良いと思っています。

運なき時に出会う人に録な人は居りません。

運なき時に出会う書物に役立つ知恵はありません。

何時もと変わらない日常の繰り返しをジット我満して続けることで、

必ず賽の目は廻って来ます。

それが速く訪れるように、それには変にジタバタして深みに嵌まらないように、

ジット動かないことが最良の策であろうと感じています。

こういうアドバイスが出来るようになったのも、

私自身が、多くの無駄な労力に振り回されたからです。

また、歯科の仕事は、地道にコツコツと、

丁寧に丁寧にの繰り返しから、はじめて、治療の確固たる成功を導いていくもんです。

歯科が私自身の処世を教えてくれているように思えてなりません。

新しく患者さんを前にして

新しくお越しになられた患者さんの治療が難症例であった時に、

山に挑む男の心境のような想いになるものです。

海軍兵学校から海軍士官となり、終戦のあとは産婦人科医へと転向した叔父は、

臨床生活に入ってからは、趣味のロッククライミングを辞めてしまいましたが。

病気との戦いは、正に目の前の大きな山に挑む心構えを必要とすることから、

わざわざ趣味でそのような事をシナイで良くなったんや!と語っていたのを思い出します。

私が歯科の道に入った時に報告したさいの受話器の向こう側から

ー 大変な仕事やぞ! ー

とだけ、呟いたこの叔父も鬼海に入って数年が経ちました。

血の繋がりは、何物よりも濃いと言います。

よく叔父の顔を思い出すのです。