月別アーカイブ: 2015年10月

忙しくて感謝しています。

今日も手術やら新患の患者さん、その間でインプラントの歯型を採ったり、

相変わらず昼休みも返上という1日になりそうです。

先々週はソウルへと、先週は新潟から東京へ。

休診日が多かったせいか、その分、圧されて予約が詰まっています。

歯科医が患者さんが来なくて詐欺を働くこの昨今、

忙しいことに感謝しないといけませんね❗

が、少々クタビレました。

明日の日曜日は、朝は池波正太郎アワーを観て、

これは私にとっては唯一の気晴らしであるので、

娘たちも、その辺はよく判っているようです。

その後、皆を伴って漫画喫茶へ行こうか?などと話し合っていた今朝の一時です。

歯の治療は体力勝負の処もありますが、

もっとキツいのは、診断を下す時と、治療計画を立案する時です。

これは正に、頭をフル回転させての頭脳戦です。

見落としがないか❗

将棋をうつのに、よく似ています。

先の先を読むことが、とても大切なのです。

昨夕、通い始めて間もない患者さんを横に、

アレコレ治療の手順を確認しながらの私に、

ー もっとキチンと歯の治療を考えていれば良かった。何処に行って良いのか判らなかった ー

と。

正直な処、もっと早く診せてくれていたら良かったのにと、

内心では、その患者さんの悲惨な口の状況に、

何とか歯科の信用を取り戻そう❗と、

張りつめた気持ちと頭で、診察していました。

明日はすこし一服。

歯は命

朝、娘たちを学校へと車で送り出すのが私の日課です。

車中から3人姉妹が、校門へと駆けて行く姿を見送っています。

これは、今では社会人となった上の娘の時も、倅の時も変わりません。

随分と長い間の運転手だと。

で、つくづく大きくなったと、嬉しさ半分、淋しさ半分。

これもズットかわりません。

最近では、下の娘も独りで眠るようになりました。

こうして親から放れていくのでしょう。

もっぱら、マリリン、ラッシー、平蔵との添い寝です。

この頃は、初診の患者さんが大勢にお越しになられるようになりました。

特に若い女性が多いのに驚いています。

その様な時に、どうしても娘の姿と被って仕舞いがちになるのです。

皆、ご両親に温かい心で大切に育てられたんだろうと。

つい、飯はキチンと食べてるんだろうか?とか、

寒くなってきたから無理すんなよ!とか。

歯の治療以外の事で、アレコレと心配になります。

歯の治療に関しては、皆さんにモット関心を持って頂きたいと、

つい、熱が入るのは、此れはモッパラ変わりません。

私にとっては、歯は命ですから。

プロとしての責務

若い時分には焦りが在りました。

将来、歳をとって仕事の勢いが落ち、若い歯医者に負けたらどうしよう。

そんな想いで、自分に鞭を撃っての四半世紀だったと思います。

歯科の何たるか❗は、正直に言って今でも判りません。

其ほどに歯の世界は奥が深く、魅力に満ちています。

今では他の歯科医のことには関心がなくなりました。

もっと、もっと上手になって、歯と自分が一体と成りたいという想いで一杯です。

未々、未熟者だと感じて、日々を反省と、悩んで過ごしています。

が、其れとは裏腹に想うところ沢山ある歯科の現状です。

私の診療所へお越しになられる患者さんは、他での再治療を希望する方ばかり。

嫌でも、何処其処の誰それの技量が判ります。

で、だらしねぇな!と。

仮に私の診療所に勤務する歯科医であれば、私の鉄拳が跳んでいる事でしょう。

未々、ヤれる!と、安堵しているのは正直な処です。

私は手持ち無沙汰の時には、石膏棒を彫刻刀を使っての歯の彫刻に勤しんでいます。

此れは私らプロの責務だと思います。

治療は本番。

患者さんを診る他の時間には、練習に勤しむのがプロだと思います。

研修会に出席するのも刺激を受けて、それはそれで必要な事でしょう。

しかし、プロ野球の選手は日々を自己研鑽で、凌ぎを削っています。

野球セミナーなるものがあって、月に1度程度通って、半年位の講習の後、

修了証書を貰って一人前になって喜んで。

それでジャイアンツの一軍に成れますか?

あり得ないですよ。

私ら専門職は、日々の患者さんが一番の先生です。

その先生を疎かにするから、患者さんが来ないんです。

セミナーを受けても、実際の現場に還元出来ない。

此れは、自らの姿勢に問題があることに気づかなければなりません。

あぁ!情けない!

出勤前のバタバタしている時に流しっぱなしのテレビから、

インプラント詐欺の歯科医が逮捕!と言う声が聞こえてきて、想わず手を留めました。

歯科医院の外観からも、歯科医の顔からも、下町の庶民的な雰囲気が伺えます。

逮捕された歯科医には全く同情の余地はありません。

が、近所にお住まいの、この歯科医院に通っていた患者さんの声として

ー 腕は下手だったけど、近いから通っていた ー

これにはがっかりしました。

やはり歯は軽く観られてるんでしょうか?

この患者さんも、この歯科医にインプラントの治療を受けたそうです。

私には、何がなんだか判らなくなりました。

和の心

相続税などの税制改革の影響だと思います。

俗に云う超富裕層の海外への移住の話題を新聞や週刊誌などで目にします。

私の患者さんの中でも、生活の拠点を海外へと変えられた方が大勢に居られます。

定期的なプラークコントロールは、歯周病専門医のクリニックにてとお伝えして、

海外へと送り出すように努めてきました。

が、噛み合わせの微妙な加減については、

やはり日本人特有のあやが在るように感じています。

【噛み心地】なりの日本人特有の表現方法からも、

繊細な国民性であることが判ります。

今日も、その様な海外へと移住された患者さんが帰って来られ、来院されます。

どうやら虫歯の治療であることが予想されます。

日本人は何処に行っても日本人なのでしょう。

柳に風

今から35年は経過した遠い昔の事であったので、

歯科医に成り立ての頃は忘れて仕舞っていたのですが。

当時は東京都にてご開業の飯塚哲夫先生が、本学のご卒業ということで特別講義をされた記憶があります。

大学病院が最先端の治療の場であって、開業歯科医は先端技術を走っていないという誤った認識を正せたこと、

開業歯科医でも志し一つで、立派に社会貢献できる事を知った良い機会を大学は造ってくれたと、

今になって感謝しています。

で、特別な開業歯科医が居ることを知った私は、身近にも、

その様な特殊な開業歯科医の存在を知ることになりました。

クラスメイトのご両親が、当に歯科界の巨星である事を知った訳です。

群馬県前橋市にてご開業の浅見 裕先生、保子先生御夫妻でした。

保子先生は既に鬼籍へと入られ、裕 先生も既に引退されました。

両先生から幸運にも、近代歯科医学の巨星たちとの知遇を得る機会を得たことで

私の歯科医としての人生は大きく変わったと言えると思います。

まさか当の私が、逆の立場となって教壇に立つことになるとは思いもよらず、

だからこそ逆に、学生たちの脳裏に強烈に私の仕事を焼きつけることに

2時間程の講義時間ですが、凌ぎを削って語っています。

写真は、裕 先生が伝統の浅見歯科医院の看板を下ろされた時に、

今は解剖学の教授となられた一人息子である私のクラスメイトと共に

私の診療所へと足を運ばれ、
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帰られる折りにソッと私に手渡して下さった直筆の色紙です。

昔の臨床医は凄まじい情念を持ち合わせていました。

が、それは爆発的な、そして決して顕在的な性質のモノではありません。

初老の域に差し掛かった弟子たる私に対しての、

師としての最後と教えであったと感じています。

平蔵の近況

びっくりするかもしれません。

ゴールデンリトリバーのマリリンの3倍の大きさにまで巨大化したヒグマのような平蔵です。
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が、心は優しいのですが、食べ物に関する興味は私の歯科への其れより大きいかもしれません。

小学1年の末の娘との一時です。

育った環境なんでしょうか?

娘にとっては、平蔵も子犬と変わらない様です。

平蔵の名の由来。

【鬼の平蔵】こと、長谷川平蔵からである事は言うまでもありません。

癒し

マリリンも随分と大人になりました。

毎朝、診療所へと出勤するモンだと信じているようです。

スーツに着替えて、お仏壇に一礼し、靴を履く所作に至った時には既に玄関口にて控えています。

で、玄関口を開けるや否や、車の後部座席へと一目散に駆け走り、

診療所へと着くと、これまた院長室へとの決まりきった行動パターンは、

飼い主である私のモノと全く同じです。

患者さんの合間に私は自室へと戻り、医者にあるまじき行為である葉巻で一服で一息つくのですが、

大きなソファでふんぞりかえるのがマリリンの仕事であるようですが、

私が椅子に座った瞬間に、

ソファから駆け降り、デスクを廻って私の直ぐ脇へと。

座面の角に顎を載せて、頬を私の膝頭にピタリとクッツケて、

鼻を撫でろと、これも自分の仕事の1つであるかのように。
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多くの犬に囲まれて暮らしている私ですが、

この犬だけが別格であるのは、私の人間が出来ていない証拠だと反省しています。

が、マリリンは私の仕事に随分と貢献しています。

癒され、疲れをとってくれて、私は再び戦場へと戻れるのですから。

日々を感謝

古代ギリシャの時代には、神事と医学の境目が不明瞭だった事は衆目の一致する処です。

あの高度な文明を誇った当事の科学でさえも、今では到底、科学と呼べる代物ではありません。

日夜進歩するのが科学です。

今の最先端も、時間の経過によって古びたものとなる定めです。

彼の時代に生きた人物のなかで、

私たちに馴染みの深いのはヒポクラテスでしょう。

彼の名にちなんだヒポクラテスの誓いは余りにも有名です。

この誓いは、多くの時を経た今でも、私たちの拠となっていることに疑いの余地はありません。

が、当時ヒポクラテスは老人の定義を56歳以上としていたようです。

何故にその様なたわいもない話しをするのかと云うと、

大学出たてのOL時代からの患者さんである○○さんの診察にて、

多くの時の流れを感じたのです。

粘膜にフォーダイズ斑を認めて、

あぁ、この方も我々と同じジャンルに入ったのだと。

長い間の患者さんから多くの事を学ばせて頂き、

患者さんに育てて頂いたと、正直に言わざるを得ず、

日々を患者さんに感謝して過ごしています。

開業歯科医と言う仕事は、ホンに面白いものです。

歯科医学の歴史

DSC_0076大学の敷地内では禁煙であることから、手持ち無沙汰な時はワザワザ、車を出して少しばかり走った処の古本屋へと出掛けるのです。

で、一番に向かうのは【医学】と表記されたる一角で、

大して期待もしていないのですが、ナンゾ掘り出し物でもあるか?との淡い期待が無いわけでもありません。

時に、書棚に学長の名を見つけると、持ち込んだ輩に対して不敬罪な奴だと、

つい買い物籠の中へと著作を入れてしまう私です。

歯科医学の歴史と言う学長の著作は、大変面白く拝読させて頂きました。

歯科医院と言う名称を初めて使ったのが、日本歯科大学の創立者である中原市五郎先生であることや、

今では当たり前の口腔内粘膜の切開ですが、明治の時代には、歯科医が口の中の粘膜に切開をいれることは出来なかったこと。

歯科医の職域を拡大する事に、中原市五郎が奔走したことなど、

面白かったですよ。

それに比べれば、今の時代の人間は弱くなったと、つくづく感じるのは私だけでしょうか?