月別アーカイブ: 2015年10月

今年の特別講義も無事に終わりました

大学での講義の後で、聴講した学生さんから早速にメールを頂戴しました。

今では随分と多くの学生さんから連絡を頂きます。

ありがたい事だと感謝しています。

私自身も、大勢の先人たちの胸を借りて今日に至っています。

持ち回りだと思っています。

母校の土を踏むと、気持ちが若返るような錯覚を覚えます。

来年からの私の特別講義は、前期に前倒しするとのこと。

少し早いのではと、不安を感じました処、

教務部長の藤井教授からの説明では、

ー 先生の話しの後は、学生が変わるんよ。熱くなるから ー

まぁ、お誉めの言葉と素直に受け取りながら、

ネタ造りが半年縮まった事に焦る私です。日本歯科大学 校舎写真

定め

明日からは通常の通りでの診療を再開します。

うちに帰ってから昼寝でもと決め込んでいたのですが甘かった!

平蔵は喜んで喜んで飛び回り、マリリンはすり寄ってくるわ、

ラッシーはお腹を擦り付けて来るわで、

いい年こいた大人が、なししよるん?と、思わんばかりに、

犬たちとじゃれあって、

で、娘たちと新喜劇を観たり。

新潟での滞在は1週ほど在れば堪能出来るのですが。

今回は、人情横丁の魚屋さんへは、開店前で寄れず仕舞い。

倅と新潟で暮らしていたキャバリアのアール君もなんとか持ちこたえた模様で、

信濃川沿いから横丁へと回り、白龍大権現様の祠への何時もの道順での散歩しながらの道すがら、

この辺りはアール君が決まってオシッコをしていたっけと、思い出し

もう一度、アール君に新潟を見せてやりたいと思いながら、

アール君を風呂で洗ってやったりと、

私にはジッと出来ない定めがあるのかもと。DSC_0066

日本3大銘菓

武者小路派の手習いを始めた娘たち。

行儀作法よりも、和菓子の名前の手習いかと思うほどに。

お師匠様をとお願いした私の長い間の患者さんである○○さんが、

インプラントばかりになった訳に府に落ちたる私です。

なんでも日本3大銘菓というモノがあるそうな。

で、新潟の【越ノ雪】も、その内のひとつである事を知ったる娘たちは

この地が身近な場所柄であるので、早速にお師匠への土産にと約束した次第。

そう言えば、そんな菓子もあったなと、

毎日の慌ただしい生活に追われる年月は、

どうしても、それなる銘菓を思い出せず、

早速、古町の百貨店へと足を運んだのです。

う~ん?どのような味であったかと、

小さな四角い和紙の包みを開いて、

角砂糖のような、でも脆そうで、口のなかで直ぐに溶けてしまいそうな、

不思議な菓子だと、恐る恐る‥。

あぁ!思い出した懐かしい味でありました。

越後新潟と讃岐高松との接点など在ろう筈はないと思い込んでおりました。

が、以外や以外!

この銘菓は讃岐の和三盆から造られているとのこと。

嬉しい気持ちを感じながら、

もうひとつと、包みを開いていた私です。DSC_0072

決まりごとが身に染み込んで

昨日は、朝の10時からの一番最初の患者さんの予約ギリギリに都内の某歯科医院に飛び込みました。

駅前の立ち食い蕎麦屋で、ササッと済ませ、今日は大変な1日になるだろうと想いつつ。

お洒落な街のお洒落な診療所でした。

先生も若い、スタッフも若い、新鮮な空気流れる、

あぁ、こういう人達が此からの歯科を創っていくんだろうと、安堵したのです。

で、メスを置いたのは5時はまわっていたでしょう。

次から次へと患者さんの手当てに夢中で、

眼は霞むは、腰は痛いは、腕は肩は張るはで、

腹をくくっての、1日でありました。

夜は、私にしてみれば珍しく、この若い先生の好意に甘えて

夕食をご馳されました。

歳をとった私には随分と気を使ってくれているのが判ります。

私も昔、巨星たちから同じように可愛がられました。

技術は、こうやって同じ匂いを持つ人間に継承されて行くもんです。

若い院長先生と若いスタッフたちとのワイワイとの会話を眺めながら、

楽しい夜は更けて行きました。

ホテルに入るや否や、バタンキューで、

それでも悲しいかな。

何時ものように、何時もの時間に目覚めて、

歯医者という職人は、決まりごとが身体に染み込んでいるんだと思います。

新潟発上越新幹線の車内にて

大学での講義も無事に終わりました。

最近は不人気の歯学部です。

入学者も私の時代からは考えられない程に少なくなっています。

恐らく半数くらいに減ってると思います。

ですからキャンパスも、心なし活気が無いような気がします。

が、今年は入学者が多かったようです。

1年生と接するのは、この私の特別講義の時だけですが、

上位学年の学生さんや大学院の先生たちへの教育よりもズット緊張します。

歯科の専門的な話しよりも、私の若い時分のハチャメチャさに

マァ、漫才みたいなもんだと思っています。

2時45分から4時半程度までの講義の間、

さぁ!どうやってコイツらが居眠りしないように引き込んでやろうと

結構と辛んどいですよ。

夜は、教務部長や医局の教授たちと、遅くまでワイワイと騒いでいました。

上越新幹線の車内です。

今日は都内で、手術を3症例ほど。

今日も頑張るぞ!

蒼く広い空と大信濃川の河口を前に

いつもの様に、いつもの道順で、朝の散歩に出掛けました。

蒼く広い空と、大信濃川の河口を萬代橋のたもとから、

いつもの様に眺めるのです。
DSC_0060街路樹の銀杏が鮮やかに輝き目に眩しい程に。
DSC_0062午後からの講義を前に、若き時分へと遡って、

経た月日の長さにも拘わらず、

新潟の街は今も当事の面影を確りと遺し、

だから、安心してこの地が私を包み込んで守ってくれるという想いを抱くのかもしれません。
DSC_0063

マイクロスコープ治療の準備体操

マイクロスコープを特に注意しての治療の直前には、

こうしてキーワードを叩いています。

マイクロスコープを使う時には、指の瞬時のブレが致命傷となります。

マイクロスコープを使う治療は、大きく見えるから安心だという保証、担保のように唱う歯科医は

間違いなく嘘つきホラ吹きに違いありません。

治療した結果をマイクロスコープで確認するためにある顕微鏡ではありません。

顕微鏡を覗きながら指を動かしての精密治療のための道具です。

眉を上へと動かしただけで、視野はズレてしまいます。

心を鏡のように、水面に波一つ立たない境地で、

頭とは別に自然と動いていく指の加減で、治療は進んで行きます。

集中力の直前の準備運動に、ブログを認める癖がついてしまいました。

目には見えない力

私の側には幼い頃より、ボロボロに朽果てて吊り紐は千切れてしまった皮のケースに入った双眼鏡がありました。

ありましたという表現であるのは、愚息が高松から離れる際に、手渡したからです。

愚息と供に、一時は宮城へと。

で、宮城から宅急便で新潟へと配送した数個の段ボール箱に入れられたこの双眼鏡は、

あの東北大震災に遭遇し、

この双眼鏡を入れた段ボール箱だけが、

無事に新潟の自宅へと届けられました。

この双眼鏡は、母方の祖父の片身の品です。

祖父は帝国陸軍の士官でした。

伝統の乃木部隊である善通寺にて軍馬に跨がる軍服姿の写真を覚えています。

祖父の一人息子である私の叔父は海軍兵学校から駆逐艦乗りとなり、

そして終戦。

その後は婦人科の医師になった事は、先にブログにて認めた機会があります。

戦争や軍隊の話しなどを容易に語ることの出来ない変な国に、この国はなりました。

叔父も私も、人の病気に関わる仕事に就くことになりました。

片方は人を殺め、もう片方は全く逆の性質である仕事のようにみえますが、

私は、その様には思っていません。

仕事とは、目に見えない力が働いて縁が生まれ、

その上で、精一杯に勉めさせて頂くモノだと思っています。

仕事とは勤めるものではなく、勉めるモノだと信じて、

歯を喰いしばって過ごしています。

目には見えない力というモノを、私は信じています。

その力の前では、科学などは儚いモノだと疑っていません。

科学者の風上にも置けない奴だと想われても構いません。

私は私です。

患者さんの診察の際に於いても、

科学者の眼と、

科学では説明出来ない【勘】を

自分の眼と指の先に結集させるのが、私の仕事です。

この双眼鏡は、今後も愚息と供にアチコチさ迷う事になるでしょう。

父たる私にしてみれば、それが精神安定剤の役目となっているのだと思います。

サプライズは嬉しいモンです。

何事もそうですが、教えてくれる人が誰かで、其のあとは大きく変わってくるんだと思います。

先ほど届いたヤマト便を開いたら、私宛の表彰状と金バッジが入っていました。

何にでも興味を持ってヤってみたくなるスケベ心の強い私は色んなことに手を出して、

痛い目にあったことも度々ですが、

先にも申し上げたようにメンターの能力にとってはホクホクする時も。

些細なことなんですが、頂けないよりも、頂ける方が、

小さな子供みたいにサプライズは嬉しいモンです。

相性

何事にも相性という厄介なモノがあります。

しかしながら、それを克服する方が其れからの人生を過ごす際に

大切になってくるでしょう。

幼い頃から学生時代の間には、どうしても勉強は避けては通れません。

勉強が好きな人など極稀であり、大概の人は楽して要領よくを望むモノだと思います。

勉強も、様々な科目が在りますから、当然、得意、不得意があるのは皆さんご承知の通りです。

極端な例が、理系、文系の区別でしょう。

但し、その頃に出会った先生の指導方法であったり、人格であったり、

本来の能力とは違った部分でも生徒の興味は変化するので、

それが本当に理系、文系に適合しているにかは定かではありません。

私は、この延びる時期に於いて、子供に好き好みをさせず、苦手だと感じている教科においても、

一様に大切に向き合わせる親の姿勢が一番大切な仕事だと思っています。

親子関係に、特に子供が幼い頃などは、友人のように!等と言ったバカな考えは不要と思っています。

父親が在る意味恐い!という状況を理解出来ない女性が増えているようなことを

教育関連の書籍で頻繁に見かけるようになりました。

親の責務の意味合いさえも、通じない時代が来るかもしれません。

この大切な時期に辛坊という経験をさせることで、

相性の合う、合わないという好みを超越した自然な所作が生まれて来るのだと思います。