月別アーカイブ: 2015年10月

情熱の歯科医

久しぶりに遅くまで診療していました。

手術が終わった処です。

今から器具の清掃と消毒滅菌に入ります。

明後日には新潟へと、そして会議。

で、金曜日の講義を終えたら、また会議。

翌土曜日は始発の新幹線にて上京。

朝から上顎洞底挙上手術が3つ、続きます。

其々が違うテクニックを使います。

若手の先生に、私のテクニックを伝える為です。

血こそ繋がってはいませんが、私は情熱の歯科医には自分の技術のDNAを繋げる積もりです。

良い歯医者さんが、多く活躍して欲しいと願って止みません。

それにしても、3つ連続はキツイ❗

オイオイ!俺の歳を考えてよ!と、

が、暖かな眼差しで、この若き情熱の歯科医を応援しています。

恐らく土曜日の夜は、ホテルでバタン!でしょう。

ささやかな夢

私が犬と触れあうのを好むのは、心が疲れるからです。

人の大切な身体を与る仕事に、責任で押し潰されそうになることしばしばです。

今週の金曜日の2時半過ぎから、母校での講義が入っています。

今回も、カメラマンの熊木プロが、講義の最中を撮影して下さいます。

私はジャンルこそ違え、熊木プロを尊敬しています。

写真を撮られることと、大勢で群れることが嫌いな私ですが、

自分の仕事の最中の写真は熊木プロだけにと、勝手に決めています。

朝、突然に熊木プロからのお電話に驚きました。

と言うのは、私は熊木プロが好きですが、恐いからです。

偏屈親父の党という政党が在れば、恐らく幹事長クラスの方であると思います。

ー 講義の前に、先生、飯食べに行こう! ー

喜んだのは言うまでもありません。

こういう筋の通った人ばかりであれば、心の栄養になるんですが。

今回の新潟では予定が入り過ぎて、

生物学の岡先生ご夫妻との食事も楽しみにしていたのですが、来月に持ち越しになりました。

新潟に暮らす人を、私は好きです。

マリリンには人間くらいに長生きしてもらって、

現役を引退した際には、マリリンと新潟で暮らすのが私のささやかな夢なんです。

コリャ駄目だわ!

最近の事です。

診療の間1日中、マリリンは院長室で私を待っています。

お昼に、ホンの少し外へ連れ出します。

可愛そうなんですが、時間が無いときにはホンの2~3分ほど。

少し余裕が在れば、歩いて5分ほどで中央公園が在りますから、

其処まで足を延ばします。

リードを手にしていますが、身体が私の腿に接触しながらの散歩です。

公園の入口付近にて、恐らく幼稚園児でしょう。

3~4人くらいが、長い枯れた枝を手にして駆け寄ってきました。

で、皆で揃って、

ー こら!いぬ!ー

と、私が居るにも拘わらず、マリリンを叩き始めました。

ー なにやってんだ!止めなさい! ー

と、大声で注意したのは言うまでもありません。

一目散に逃げ出していったクソガキどもは、

光景を観ていた筈の数人でダベっていた母親たちでしょう?

なにやら言いつけに!

信じられないことに、このバカ親どもが、私に文句を言いに来たではありませんか!

この阿呆の言い分は、知らない子供を叱ったことが悪いというのです。

阿呆の産んだ阿呆なガキが、見知らぬ人の連れた大人しく歩いている犬を叩いたことは知っているのかと尋ねたら、

子供は悪さをするもんだと!

動物虐待という言葉を知っているか?と尋ねて、

警察を呼ぶから、其処で話をしましょうと返すと、

皆が揃って、一目散で逃げて行きました。

この国の将来は、いったいどうなるんでしょうか?

習慣

ソウルにまで行って、なんで読書なんかしているの?

う~ん。

習慣だから仕方ありません。

決まったリズムを壊したくないので。

夕食も凄いご馳走を食べたんでしょう?

イイエ。

普段の生活のままに。

街の定食屋で、其処に暮らす人たちが普段に普段に食する食事を。

特に変わったことをするのが、私には苦痛なんです。DSC_0045

苦手なこと

やはり生まれ持った性格なんでしょうね。

私は集団行動ができません。

土日にソウルへと出向いていました。

日本からは凡そ総勢40名ほどがメーカーのサポートで参加したようです。

皆は前日の金曜日から当地へと入り、今日帰国するそうです。

滞在中は、メーカーの所長クラス数名が付き添い、皆をサポートされるとの事。

お疲れ様でした。

なんせ移動は全て貸し切りバスにて、食事もホテルも皆で一緒に行動するそうな。

現地での研修は土日だけであるので、私は1泊の最低日程で参加しました。

勝手に空港からタクシーにて大学へと出向き、

研修が終わればサッサと、タクシーで自分で決めたホテルへと向かって、

街を散策したり、食事をしたりで。

完全に浮いているのは、肌で感じます。

でも、これは治りようがありません。

医者とは独りで自分と戦う性格を持つ職業です。

私は、そう思っています。

窓からの光景に、人の息づかいを感じ、

頭の中でアレコレ空想するのを好む私です。DSC_0046

白衣

歯医者に成りたくて、この道に進んだので、今でも白衣に初めて手を通した時の嬉しさと、照れ臭さを

自分で自分の表情が手に取るように覚えていて懐かしく想うのです。

大学1年の教養課程での生物学実習の時が、私の白衣の第一歩でした。

友人たちと互いを見比べあっていたのが懐かしい。

5年生の夏休み明けから、病院での研修が始まり、

当時、登院服と呼ばれたブルーのハイネックの半袖の歯医者らしい白衣を前にして

何故か誇らしい気持ちになりました。

当時キャンパス内では、登院生は他の学年の学生とは違った意味で憧れの眼差しで扱われていたからです。

医局に入ってからは、其々の医局で白衣の種類も違っていて、それはそれで又、あぁ歯医者になったんだ!という

肩を張った気持ちになったモンです。

開業してからも随分と長い間、デザイン様々な白衣を着ていましたが、

15年ほど前から、突然、白衣を着ることに拒絶の気持ちを持つようになりました。

訳は判りません。

その頃からポロシャツであったり、ボタンダウンのシャツであったり、

で、結局行き着いたのは、ネクタイにスリーピースのベストというイデタチです。

私らの仕事は、凛とした態度で、常に紳士でなければならないという気持ちの顕れが

その大きな理由だったと思います。

心に白衣を着てんだよ!と、白衣を着ない歯医者の私に、その訳を聞いてくる人には

そんなキザな台詞で返していました。

この夏前から、再び私は白衣を着るようになりました。

ー あらっ!先生、白衣なんか着てどうしたの?歯医者さんみたい! ー

と、患者さんたちから驚かれたり、からかわれたり。

ヤッパリ私は、この歯の仕事が好きです。

歯医者になってから今に至るまでの時間は、私にはもう残されてはいないでしょう。

原点に立ち返って、一兵卒の昔に戻った新鮮な心で、素直に歯の仕事に向き合いたいと思います。

職人仕事

最近は女性が強くなりました。

と言うよりも、男が弱くなったことが、その様に見えるのでしょう。

インターネットの普及により、私のようなナマケモノでさえも、

タブレットで、簡単に映画を視聴できるようになりました。

読書でさえも、疲れる時があります。

文章からのイマジネーションが読書の醍醐味ですが、その頭を使う事さえも、

当の脳ミソが拒絶する時もあります。

そのような時に、私は好んで、このインターネットのサービスを利用しています。

視聴の途中で所用が出来れば、一時停止出きるのも、私にとってはありがたい機能です。

昭和の初め頃までの映画での一般家庭での過ごしように、

あぁ!コレが昔ながらの日本であったのにと、感じるのは既に私が時代遅れの人間である証しだと

しみじみ感じるのです。

男には、男の世界があり、その境界からは決して女性は踏み込んではならないと言う不文律があったのですが。

時代と共に、常識は変わっていくものです。

変わっていくという定かでない、不確かなモノを、あたかも物事の確固たる規準の如く、

強制されることに、偏屈者の私からしてみれば、大いに反発を覚えるのです。

医療においては、技術の面に於いては進歩し続けて変わっていくことが社会福祉の貢献になりますが、

心の面に於いて、それは患者さんや同僚、部下に対する労りの気持ちなり、

技術者としての心構えなどは、決して時代に左右されるべきではない大きな巌のようなモンだと確信しているのですが。

私が自分の信念だけで解決出来る性質の仕事以外に関して、

所謂、社交的な立場を採らない訳は、やはり私が偏屈者である証しであるのか、

はたまた自分の時代との大きな考え方の差異に傷つくことが恐いからなのか。

歯科の仕事を職人仕事と断言する私ですから、

職人は目の前の芸事にだけ向き合えば良いんだと思っているからなのか。

職人は男の仕事の花形であると、またその様な偏見を持つ私ですから、

男が弱くなった今、職人も確実に減ってゆくことは間違いない事実でしょう。

患者快適!私も嬉しい!

多くの歯科医院のホームページを閲覧しても、

本当に上手なのか?どうか?専門家の私でさえも、よく判りません。

判らないまま、院長の所属学会や出身大学などで、恐らく素人の方は判断?というよりも、

バクチを打つような心持ちで、歯科医院に予約の電話を先ずは勇気を出してしてるんだとおもいます。

恐らく、コレが事実でしょう。

かく言う私の診療所のホームページでさえも、観る方の目線に立つと判らないことだらけですから。

やはり自分で足を運んで確かめてみることが一番なのでしょう。

特にインプラント治療は、上手いか下手かは素人目には判りにくく、

一応、下手は下手なりに、動かない人工の歯は入りますから、

患者さんの側でも当面は噛めるし、する方の歯科医も当面は患者さんに対して顔はたつので

自分の技術の未熟さに気付かないで済む訳です。

それが、入れ歯となると、そうは問屋が卸してはくれません。

出来たはなから、痛い、噛めない、ガタガタ動く、モノが挟まるという

歯科医にしてみれば、自分の技術の未熟さから生じる、様々な耳障りの悪い言葉を聞かされる羽目となるわけです。

それで一大奮起して、精進の道に入る歯科医ならば立派ですが、人間という生き物は弱いモンなんでしょうね。

また、ダイレクトボンディング修復となれば、もっと話は厄介となり、

入れ歯のように、歯科技工士の手をまったく借りないので、

すべてが歯科医の技術の総結集となって現れてきます。

今日も手術をはさんでの前後に、ダイレクトボンディング修復の患者さんが入っています。

ダイレクトボンディング修復は、私にしてみれば、自分に対する自己評価の良い機会だと思い、

治療の最中は、楽しくて楽しくて、遊ばして頂いて、ありがとうという気持ちで一杯です。

そんなこんなで、先のブログでの入れ歯の大家の言葉ではありませんが、

患者快適!私も嬉しい!と言った日々を過ごしています。

情熱の歯医者

近頃は、私を訪ねて下さる新しい患者さんが多いのに驚いています。

私は他の歯科医との腕くらべには、まったく興味も関心もありません。

また、私は名医でもありません。

未だに修行中の未熟者であります。

私は歯医者に成りたくて、この道に入りました。

歯で困っている患者さんのために、私らの仕事はあります。

患者さんは、私の技術なり実績で勇気を出して訪ねて下さるのだと思います。

【医師で在り続けることは、医師になるより難しい】と。

何かの映画の中での台詞だったと記憶しています。

私は、患者さんを前にし、自分の職責を果たしたいと思うと共に、

行き着く処、情熱の歯医者で在りたいと、今でもズット思っています。

義歯快適患者再来

若い時分に、今では鬼籍に入られた当時の著名な歯科医の先生方の診療所へと、

随分と足を運んだモノです。

日本の近代歯科医学の礎を築かれた巨星たちは、皆が強烈な個性をお持ちでした。

その中の内で、東京の京橋にて診療所を構えて居られた某先生の部屋に掛けられた額のなかに、

【義歯快適患者再来】と。

入れ歯の大家であった先生は、当時でも既に老域に入られて居られる頃でしたが、

緊張する私を外へ連れ出して茶店の木戸を開き、

汁粉を8杯喰えば、教えてやろうと。

何故に8杯なのか?と想いながらも、私は甘党であるので苦にならず、

サッサと平らげる私に、

ー 若いってことは良いもんだ! ー

と、それから随分と可愛がって貰ったのが懐かしい思い出となりました。

良い仕事をすると、患者さんが患者さんを呼んでくれるので、患者さんに困ることは無いという趣旨の言葉であるそうな。

この言葉をしみじみと実感するのです。

但し、この様な場合の大半が、他では満足出来なかった患者さんであることにも気づきました。

今日も又、新しい患者さんがお越しになられます。

大掛かりな難しい症例であることが、お電話口からの状況にも容易に創造出来るのです。

この土日にはソウルへと。

で、翌月曜にも新しい患者さんがお越しになられるとのこと。

歯科医が増えすぎて何処も患者さんが減って困っているとの風評ですが、

この先生の言葉の正しさを認識する今日この頃です。