月別アーカイブ: 2016年2月

男と女

出産をはさんで、

久し振りにお越しになった患者さんとの会話にて、

「変なことでイライラして、ダンナさんに八つ当たりするんです」

「相手は問題を直ぐに解決しようとするんで、余計にムカつく!んです」

ホォー、恐ろしいですな!

と、

で、貴方のご主人は仕事の出来るお方ですね!と。

???

男は目の前のイッパイの仕事を出来る処からサッサと、

処理できる能力に長けた方と、

そうでない方が。

目の前の紛争は、他に影響するから

サッサと片付けるんでしょう。

今度は患者さんが、ホォーと。

で、

男と女は生き物として全く違うんで、

池波正太郎を読めば良いでしょうと。

???

【鬼平】ですよ。

はい!聞いたこと在ります。

そうだよ!と、

そんな患者さんとのヒトコマでした。

矛盾

歯学部は、受験科目においては理系に入ります。

歯科医学も自然科学の範疇に在りますので、

歯科は理系であると言えましょう。

本当でしょうか?

数式のように、綺麗に明示化できる部分と、

割りきれないアヤフヤな部分の方が、

歯科には多いように想うのですが。

技術は、理系ではありません。

対患者さんとのコミュニケーションも理系ではありません。

歯科と云う私の仕事においても

この様な矛盾に満ち溢れています。

この矛盾こそが、

人間の営みであると想うのですが。

男と云う生き物

私が小学生の時分には、

帰宅すると直ぐに玄関口にランドセルを放り投げ、

返す刀で飛び出したモノでした。

探偵ゴッコや野球に興じ、

その中で、一種のルールを身につけたモンです。

ガキ大将の不条理に対しては、

自分の力不足を否応でも自覚して、

自分の立ち位置を悟ったモンです。

掴み合いの喧嘩から、

喧嘩の仕方なり、力の具合のコントロールと云うか

この位が適当だろうと云うさじ加減も学んだモンです。

若い時分にも、

勤勉に勉学に勤しんだとは云えない私でしたが、

大人の男の世界での【間合い】の取り方は学べました。

領域を

攻めず、

侵さず、

守る、

と云う男の本能は、

この時期に身に染み込んだのだと思います。

決して女性蔑視の気持ちではありませんが、

池波正太郎ワールドでの、

【女こども】と云う

男だからと云う、独特の匂いは在るように思います。

ですから、草食男子と云う概念は私には理解出来ません。

男に母性が在れば、それは男ではないと、

男は、あくまでも父性であり、

私的には、

男は孤高で無頼漢であるべき、

また、その様な【生き物】だと、

私は、思います。

 

診断

治療が進みだすと、

患者さんとの信頼関係が築けるからでしょうか?

他の部分の治療の求めが出てくる機会を

しばしば経験します。

ありがたいと感謝するのですが。

が、私は即座には対応しないことが多いのです。

何故なら、

その患者さん、患者さん毎に、

治り方のパターンが違う事から、

私の中で、完全に患者さんの体質めいた処を

掌握、消化してからでないと、

医者の努めを果たせないと思うからです。

データー重視の昨今です。

私は否定的な考えを持っています。

データーの積み重ねと共に、

私ら医者の【勘】と云う不確かに想える能力が、

データーとデーターの行間を埋めると信じて疑っていません。

私ら医者の手技は、安定した確かなモノでなければなりません。

が、見立ての重要性を、

私は信じています。

この様な日常を長い年月に過ごしてきた私ですから、

普遍で尋常な人柄ではないかもしれません。

私は歯医者ですから、

歯医者としての職務を全うする積み重ねを

大切にしたいと思っています。

絶対的な安定感ある治療成績を生むのが

私の仕事ですから。

初めの一歩

歯周病に対する手術を取得したのは、

20代後半から30代前半の頃だったと記憶しています。

その時々の症例や、手術に際しての心情を

今でも鮮明に覚えています。

今になって振り返りますと、

手技も稚拙であったと思わざるを得ません。

また手術方法の選択も、適切であったとは云えないものも

正直申し上げると、在るように思います。

が、無我夢中に取り組んでいた事に偽りはありません。

今は歳もとり、

盛りある勢いある時代が終わったことを自覚しています。

が、不思議な事に、

治療成功の結果は、確かになったと実感しています。

衰える視力、気力、体力を

反比例して新たな別の感覚が産まれてきたことを実感しています。

これが職人仕事の結果だと思います。

今日は3症例ほどの手術が在ります。

手術の合間に自室に戻ると、

若手の先生からの着信履歴に気がつきました。

そう言えば、

今日はこの先生に手解きした手術を

初めて執刀される日であったと思いだし、

電話を直ぐにかけた私です。

電話口に、不満足な結果であったと落ち込んだ声音に、

これで確実に良い歯医者に育つであろう事を

逆に実感したのです。

何故なら、

私は経験者であるからです。

伸びる稲穂か、

伸び放題の雑草であるかの判断は、

私は出来ると自負しています。

これから、この先生に診察して貰う患者さんは、

誠に幸運な方々であると、

心温かな思いがします。

初めの一歩の大切さを、

端から眺めて、しみじみと感じるのです。

指揮官の仕事

診療以外の多くの仕事に携わっています。

その関係で、多くの人と仕事上の関わりを持っています。

旧い人間ですから、

私は仕事人間と言えるでしょう。

仕事の進め方も、人様々です。

その中で、

本線を確りと確保しつつ、

枝葉を成長させながら、

前へ前へと進めねばなりません。

仕事を進めるスピードも、人様々です。

その状況、状況によって、

重点の比分を変えねば、

仕事は成果を出せません。

また、人は感情豊かな生物です。

指揮系統の意思が素直に伝わる訳ではありません。

其れでも、

仕事は進行せねばなりません。

指揮官は、時として非情さを求められます。

また、次のチャンスが得られるようにと、

その日に備えて寡黙に準備を怠らない人に

光を与える目配りも必要です。

指揮官の役割が在るように、

現場の実地者においても、

その心構えが求められます。

その能力と心構えの欠けた者は、

仕事において成果を出せないでしょう。

批評、評論は容易ですが、

現実は甘くはありません。

100に1つの結果が出せたら、

良いと思わねばならないのが現実だからです。

諦める人。

我慢、辛抱の出来ない人。

評価ばかり気になる人。

アレコレと思案し過ぎる人。

批判的思考回路の人。

事なかれ主義の人。

このような人が多いのも現実ですが、

気づきの仕掛けをソッと仕込むのも

指揮官の役割です。

多くの人の中から、

気づく人と気づかない人の振り分けを、

その節々において、

仕分けする苦悩を背負うのも

指揮官の仕事の一部です。

 

二面性

患者さんの大切な身体を与る医者には、

特別に慎重で、

気の小さな処と、

バサッと、

患部を即座に除去する決断する

肝の太さの、

全く相反する性格を併せ持たねばなりませんし、

長い間、この仕事に就いていると、

自然と、その様な人になる様な気がします。

日々を健やか、穏やかに過ごすことと

無縁な仕事です。

逆に、その様な日々を過ごせない人が

医者らしい人に多く見られる様な気がします。

私などは、その辺りのギャップを認識していますので、

仕事以外の時間の殆どを、

犬たちと過ごすのを好んでいるのでしょう。

犬に誤解の気持ちなどあるはずもなく、

ストレートに此方の目線と合わせてくれるのが、

私には楽なのかもしれません。

此方は二面性があるのにも係わらず、

相手方にはストレートさを求めるのも、

勝手なのですが。

 

匂い

若い時分に、遊び過ぎた阿呆な私ですが、

今になって思いますのは、

無駄では無かったと。

無駄な時を過ごしたことに対する反省を持つ人間に共通する

【匂い】を、感じる機会がしばしば在るのです。

何かしら行動を起こせば、

当然、摩擦が生じます。

その熱が、良い方向へ向かうのか、

はたまた悪い方向へと向かうのかは、

それも、その時々によって変わります。

結果、

喜んで、

泣いて、

恥をかき、

悔しい、

腹立ち、

評価され、

批判に晒され、

様々な感情を味わう訳です。

その後で、

必ず人としての厚みが生まれてくる様な気がします。

思考回路にも、

大きな影響を与えるでしょう。

無駄な時は、若い時分にしか消費出来ません。

大いに遊べよ、若者たちよ!と、

でも、

息子の姿を、

気を揉みながらジッと黙って見つめるのも、

なかなかシンドイものがあります。

 

 

 

難しい

昨日のテレビニュースで、

6歳未満の幼児がインフルエンザにて脳死し、

その子の臓器を、

病苦の幼児に移植したとのこと。

絶句しました。

まだ心臓が停止していないわが子であったならば、

理屈では判っていても、

私なら、決断出来なかったと思います。

親御さんの決断に、

ひたすら頭が下がります。

病苦に喘ぐ幼児の命が、確実に助けられた訳です。

私が医師の立場で在れば、

どうしたでしょう。

医学の進歩は、

既に神の領域に踏み込んだ感があります。

私には、この問題は大きすぎて、

答えがだせません。

私の進み方

私が虫歯や根の治療をする際には、

必ずラバーダム防湿を行います。

感染防止を行い、無菌的治療を行うためと、

治療する環境を確りと隔離して

術野を明示するためです。

この術野の明示はとても大切な手順です。

正確な治療を行うためには、

整理整頓された環境が必須です。

料理屋の仕事場が整理整頓され、

床に微塵の埃もなく、

無論、まな板なども常に清潔さを保たねばならないのと同じです。

このような習慣は、

自然と、物事の考え方や所作に影響します。

歯科医に成り立ての頃に、

非情なまで、細かい指導を受けたことを、

今になって感謝しています。

また何事も、

自分で汗を流し、

恥をかき、

頭を叩かれ、

足をすくわれ、

其れで初めて自分の血と肉になることを

長い間を要して気がついたのです。

神様がひと皆に平等にお与えになられたモノは、

時間の長さだけです。

自分の能力の限界の中で、

より良い結果を得るためには、

限られた1日の使い方が肝要だと思います。

1度に2つや3つのことを愚痴なく向かい合う姿勢がなければ、

現状をステップアップすることなど、

虫の良い戯言でしかありません。

100に1つ、モノになれば良いくらいだと、

最初から覚悟して、

新たな事象にチャレンジする心構えが肝要です。

私ら開業医もある種の人気商売です。

結果を出すことは当然として、

患者さん満足が得られなければ、

患者さんからサッサと見切りを付けられ、

患者さんが居なくなってしまいます。

治療技術の向上だけでは、

医院の経営は成り立ちません。

と言って、

治療上、全て患者さんのリクエストに応えることが

患者さんの健康向上のためにならないと判断したならば、

丁寧に、誠実に、

患者さんに伝わる言葉で説明の努力を惜しんではなりません。

全方位に気を配る緊張感が大切です。

頑張った!

努力した!

と、口にすることは容易いのですが、

もっと努力し頑張っている人が居ることも

常に頭に置くことも大切です。

歯を守る学問が【歯科保存学】です。

が、

他の歯を守るために、

敢えて抜歯をやむなく行う冷静さも、

矛盾していますが、

必要な医者の性格だと思います。

病状の自己認識したがらない患者さんの対応については、

治療以前の問題と云えます。

私らは、無理やり治療すべきではありませんから。

使い材料や技工を委託する技術職たちとの関わりあいに、

私情を持ち込むことは厳禁だと、

時には鬼と言われても、

絶対的に安定した治療結果を出すためには

やむを得ないことと、

厳しく臨まねばならない処が

仕事の厳しさでもあります。

また、チャンスを与えることも大切です。

そのことで、別の境地が観えてくる機会があるからです。

が、これは全ては、

私自身にも当てはまりますので、

素直な心で、

素直な目線で、

新たな事象には、

先入観を棄てて、望むように心がけています。

私は職人ですから、

歯に衣を被せたモノ言いは出来ません。

駄目なモノは駄目だと、

馬鹿には馬鹿野郎と怒鳴りつけるのですが、

私の周囲の方たちから言わせると、

私は随分と丸くなったようです。

が、其れでも見かねた時には

我慢糸がプツンと切れて、

ヤッパリ、ドカン!と、

雷を落とします。

其れで目が覚める人と、

言い訳がましく、

まだ気づかぬ人は、

これは接点のない異業種だと、

私の仕事の世界に取り込む必要もないと考えています。

人には其々の価値観の違いが在りますし、

筋目の通し方も違います。

其れは其れで、やむを得ないと、

私は先々まで、

前に道のない処に道を造り、

進まねばなりませんので。