日別アーカイブ: 2016年2月14日

休日

インフルエンザは相当に堪えました。

食欲も回復していません。

ポカリスエットだけでは力も涌きません。

少量の肉を焼いたり、

豆腐を煮たりなど、

工夫しているのですが、

ダメージが大きかったのでしょう。

外にも出る気力もなく、

キャバリアのアールじいさんとマリリンを

入浴させました。

と言っても、

私が入浴する際に、一緒に浴室へと連れてゆき、

一緒にシャンプーするだけですが。

其れでも気持ち良さそうに目を細めて、

あぁ!犬は良いな!と。

一日中 ベッタリ離れませんので、

とても可愛いですよ。

両刃の剣

歳も歳ですし、立場も在りますので、

心が一杯になるまで溜めに溜めこむ事が

身体に堪えるのでしょう。

その様な時に、大学時代からの親友である

現在は医療系大学において解剖学の教授を務めている

浅見博士に話を聞いて貰っています。

博士は温厚なる人柄であり、

かく在りたいと、

私は博士を羨ましく思っていました。

が、

「三枝のブログを読むんだけどね、俺たちは同じ人種なんだよな!」

驚いた私です。

「歯科医の仕事って他人目には判らないパッションっていうか、

それが肝心なんさ!」

「静かに見える治療も、手の先にエネルギーをブツケテさ!」

「キツい仕事で、其れで俺は臨床辞めて、学者になったんさ」

「一般の人間には判らないさ」

「三枝の仕事は両刃の剣さ」

私の仕事にはテッペンはありません。

自分の仕事の未熟さを、毎日、身をもって悟らされます。

バランスのとれた人間になるか?

名人芸を身につけるのか?

その辺りの問答はレベルがある一定の段階に至っていないときのモノです。

私らの仕事は、人タラシでなければなりません。

この先生に託したい!と云うあり得もしない自分を演じねばなりません。

現実に、その様な仏様のような人など居る筈もないのに。

私らの仕事は、最後の最後は腕だと思います。

但し、患者さんがどのレベルでの治療を望んでいるのかも、

その時々に変わってきます。

患者さんの要望を誠実に聞く事が、

将来トンでもない結末に至ると専門家故に

判る時も度々在ります。

誠意をもって説明しても、

逆に採られて、心傷つく時もあります。

其れでも、

私らは心傷ついても、

真の言葉を語らねばなりません。

 

リンカーン自伝

別にインテリ云々と言いたい訳ではありません。

翻訳家の文章体がウマに合わない場合が多い事に加えて、

少しでも英語のトレーニングになればと考えて、

英語圏の書籍であれば、辞書を捲りながらでも、

原著で読むことにしています。

で、リンカーン自伝と云う話の流れです。

高潔な人格者と云う固定概念が強すぎた上で臨んだ伝記でした。

が、頁数を重ねる度に、

やはりリンカーンも人で在ったと。

彼は生涯に、とてつもなく多くの手紙を残しています。

が、その半数は引き出しの中で眠り、

決して相手の眼に触れる機会はなかったようです。

言いたいことの半数は、

伝えても意味のない台詞や逆に反発を招くモノが在ると云う事です。

私は娘たちに茶道の手解きを受けさせる事にしました。

窮屈さや、決まりごとの所作を体感させるのが目的でした。

茶会が施される際には、少なくても30分前には、

催される場に居らねばなりません。

社会通年上、待ち合わせ場所には10分前にと云うのと

同じです。

習い事と向き合う姿勢においても、

親から言われて嫌々と云う心持ちも在れば、

縁が在って出会った茶道、何か興味の対象を探す心持ちで向き合う。

どちらが自己のためになるでしょうか?

子供が望む事を優先させるのが良い教育と云うのは

大いなる勘違いの産物だと思います。

大人の確かな目で、子供を導いて、時には強制的にという姿勢が

私は大切だと考えています。

子供の自主性の尊重しすぎは、我が儘な悪い点を助長させかねません。

ある時期、型に填まった窮屈な修練の経験が

人を大きく成長させる事を、

私は歯科医学を通じて、眼にしてきました。

リンカーン自伝は名著です。

世の若い母親たちは、是非に読んで頂きたいものです。