日別アーカイブ: 2016年2月27日

診断

治療が進みだすと、

患者さんとの信頼関係が築けるからでしょうか?

他の部分の治療の求めが出てくる機会を

しばしば経験します。

ありがたいと感謝するのですが。

が、私は即座には対応しないことが多いのです。

何故なら、

その患者さん、患者さん毎に、

治り方のパターンが違う事から、

私の中で、完全に患者さんの体質めいた処を

掌握、消化してからでないと、

医者の努めを果たせないと思うからです。

データー重視の昨今です。

私は否定的な考えを持っています。

データーの積み重ねと共に、

私ら医者の【勘】と云う不確かに想える能力が、

データーとデーターの行間を埋めると信じて疑っていません。

私ら医者の手技は、安定した確かなモノでなければなりません。

が、見立ての重要性を、

私は信じています。

この様な日常を長い年月に過ごしてきた私ですから、

普遍で尋常な人柄ではないかもしれません。

私は歯医者ですから、

歯医者としての職務を全うする積み重ねを

大切にしたいと思っています。

絶対的な安定感ある治療成績を生むのが

私の仕事ですから。

初めの一歩

歯周病に対する手術を取得したのは、

20代後半から30代前半の頃だったと記憶しています。

その時々の症例や、手術に際しての心情を

今でも鮮明に覚えています。

今になって振り返りますと、

手技も稚拙であったと思わざるを得ません。

また手術方法の選択も、適切であったとは云えないものも

正直申し上げると、在るように思います。

が、無我夢中に取り組んでいた事に偽りはありません。

今は歳もとり、

盛りある勢いある時代が終わったことを自覚しています。

が、不思議な事に、

治療成功の結果は、確かになったと実感しています。

衰える視力、気力、体力を

反比例して新たな別の感覚が産まれてきたことを実感しています。

これが職人仕事の結果だと思います。

今日は3症例ほどの手術が在ります。

手術の合間に自室に戻ると、

若手の先生からの着信履歴に気がつきました。

そう言えば、

今日はこの先生に手解きした手術を

初めて執刀される日であったと思いだし、

電話を直ぐにかけた私です。

電話口に、不満足な結果であったと落ち込んだ声音に、

これで確実に良い歯医者に育つであろう事を

逆に実感したのです。

何故なら、

私は経験者であるからです。

伸びる稲穂か、

伸び放題の雑草であるかの判断は、

私は出来ると自負しています。

これから、この先生に診察して貰う患者さんは、

誠に幸運な方々であると、

心温かな思いがします。

初めの一歩の大切さを、

端から眺めて、しみじみと感じるのです。

指揮官の仕事

診療以外の多くの仕事に携わっています。

その関係で、多くの人と仕事上の関わりを持っています。

旧い人間ですから、

私は仕事人間と言えるでしょう。

仕事の進め方も、人様々です。

その中で、

本線を確りと確保しつつ、

枝葉を成長させながら、

前へ前へと進めねばなりません。

仕事を進めるスピードも、人様々です。

その状況、状況によって、

重点の比分を変えねば、

仕事は成果を出せません。

また、人は感情豊かな生物です。

指揮系統の意思が素直に伝わる訳ではありません。

其れでも、

仕事は進行せねばなりません。

指揮官は、時として非情さを求められます。

また、次のチャンスが得られるようにと、

その日に備えて寡黙に準備を怠らない人に

光を与える目配りも必要です。

指揮官の役割が在るように、

現場の実地者においても、

その心構えが求められます。

その能力と心構えの欠けた者は、

仕事において成果を出せないでしょう。

批評、評論は容易ですが、

現実は甘くはありません。

100に1つの結果が出せたら、

良いと思わねばならないのが現実だからです。

諦める人。

我慢、辛抱の出来ない人。

評価ばかり気になる人。

アレコレと思案し過ぎる人。

批判的思考回路の人。

事なかれ主義の人。

このような人が多いのも現実ですが、

気づきの仕掛けをソッと仕込むのも

指揮官の役割です。

多くの人の中から、

気づく人と気づかない人の振り分けを、

その節々において、

仕分けする苦悩を背負うのも

指揮官の仕事の一部です。