月別アーカイブ: 2016年8月

癒し

次に新潟へ参ります時には、

平蔵、マリリン、ラッシーを

伴って行こうと思っています。

平蔵、ラッシーにとっては初めての新潟です。

信濃川沿いの堤を

犬たちは、何を感じるのでしょう?

息子は平蔵とラッシーを知りません。

恐らく、

唖然とすることでしょう。

私の生活は、犬との暮らしで一転しました。

二泊以上の出張は、

新潟での大学での仕事以外、受けません。

一泊も、余程の理由がなければ。

ですから、日帰り圏での出張が大半です。

上京も便利になりました。

日帰りできますもの。

新潟は私にとっての第2の故郷です。

大学での時間は、

とても充実していますし、

若い世代への、

私からの恩返しだと思って、

皆さんと接っしています。

が、

私も年です。

大型犬3匹連れての、

北陸道の車での往復には

多少、躊躇いがあります。

ただ、帰宅してからの犬たちの喜びように、

私を慕って、信じているのが伝わります。

早朝の起床が続けられるのも、

決まった時刻になれば、

犬たちが一斉に顔を舐めに来るからです。

散歩も犬たちの喜びようを観れば、

しない訳にはいきません。

読書、歯の彫刻、文献検索などの間も、

犬たちは私の足元を囲むように寝そべっています。

犬たちと相撲を取るのも日課となりました。

そんな平和な暮らしができるのも、

犬たちの癒しがあるからでしょう。

趣味という趣味のない私の癒しが、

犬たちとの【ふれあい】だと思います。

白衣とスーツを纏えば、

私は仕事一色の緊張モードとなります。

その緊張を解く唯一が、

平蔵、マリリン、ラッシーの

眼差しであることは間違いありません。

何処の歯科医院も

インプラント治療大推薦の様相です。

本当に責任持てるんでしょうか?

歯科医師には自身の胸に手を当てて、

よーく考えて頂きたいと思います。

先日、ある男性歯科医師と話をする機会がありました。

訪問診療を専門に臨床している先生です。

患者さんを見送る度に、

思う処あり、

彼は洗礼を受けたそうです。

「かまいませんか?」

と、恥ずかし気に問う彼。

私も信仰を持っています。

私の場合は、先祖代々の仏教ですが。

私は先祖の霊を信じています。

いつも私の側で見守ってくれているとの安堵感に包まれています。

宗派は違いますが、

お遍路の巡礼を何度もしました。

道端のお地蔵様を観れば、

思わず掌を合わせる私がいます。

お天道様、お月様を仰げば、

ついつい柏手を叩きます。

大海原、大河、山脈を眼前に、

深呼吸し、

自然の神々からの恵みを

身体いっぱいに受け止めようとする私です。

どんな宗教であれ、

心の拠り所を持つのに、

どうして躊躇い、恥じらいがいるんでしょう?

医局時代の上司である山口隆司先生は

良い意味での【格好つけ】で、

素直にご自身の良さを人前には晒しません。

無機的な理性の人を演じています。

来週、浪人中の愚息とともに先生は福岡へと行くことになりました。

私の師匠である東京麻布で開業の内藤政裕先生の講演があるためです。

内藤政裕先生のご厚意にて、

山口先生と愚息が拝聴できる機会を頂きました。

愚息には先生の講演内容は極めて難解で、

20年早いと思われますが、

【本物】に触れる機会を、

先生はご自身の年齢を考慮し、

私の息子だから、

伝える何かを探せ!とのメッセージだと、

親として、

弟子として、

心から感謝しています。

山口先生に対しても、

私には内藤先生の弟子だからこそ、

内藤先生が山口先生に気づいて欲しいと願っている

メッセージ、仕掛けを感じています。

大きなヤンチャ坊主と、

背伸びの最中のヤンチャ坊主二人の道中は

如何なるモノかと案じています。

が、

「 三枝、1日は大宰府天満宮へ行って来るわね」

と、山口先生の台詞に、

私は胸が熱くなったのです。

クールで見せて、

「 俺は無宗教」

と、常に理論派を演じる先生だったからです。

人は見かけや、

その人の口にする台詞をそのまま鵜呑みにしてはならないという

実例を味わったのです。

私は知っていました。

山口先生は、

筋目を通し、

情に深い人であることを。

私ら歯科医は、

人の身体に医療行為を行うことを仕事とするものです。

心が汚れていて、

どうして診療ができましょう?

 

治療と人生

新しい患者さんが増えて、

開業医の私としては、

ありがたいと感謝しています。

患者さんが多いからと言って、

全ての患者さんの治療を引き受けることは

逆に患者さんに対して【不義理】になると感じています。

私は治療のクオリティを高く設定したいと

治療に使う器具の衛生度も超高水準に維持しなければなりません。

これは器具をフル稼働しても、

とても無理なことです。

1日に多くの患者さん の数を診察出来ません。

そういう訳で、

私は患者さんの【治したい度】を判断して、

治療の順序を変えています。

それが本来の平等だと思っています。

【本当に歯で困っている】患者さんは、

治療への取り組み方が違います。

私のホームページを単に見つけて、

【綺麗そうじゃん】

【上手そうじゃん】

って、お越しになられる患者さんからは

歯の本当の大切さを感じられません。

まして、

歯医者の技術を重要視していない方も

時には居られます。

インターネットの情報の溢れの弊害だと思います。

人間関係においても、

どんなに努力しても

伝わらない人が、

時には居られることも経験済みの方は多いでしょう。

それは治らないし治せないと感じるようになりました。

離れて、

時の流れが記憶から消してくれるのを

堪えて待つしかありません。

堪えて待つという姿勢は

治療においても大切です。

治療におけるタイミング、

人間関係におけるタイミング。

これは【待つしか】と、

【新しい出会い】との

競争になるんでしょうが、

これは自ら仕掛ける問題ではなく、

ただ身を河の流れに委せるしかないのだと。

治療も人生も同じようなもんですよ。

 

気合い

土曜日の午後の手術が終わると、

直ちに大阪へと。

で、一泊し、

また高松市へと舞い戻り、

一時ほど、

犬たちと遊んでやって。

スーツに着替えて、

再び県内での会合へ。

当然、食事も採れてはいません。

夕刻、

ヤット帰宅し、

【池波正太郎アワー】を流しながら、

犬たちと戯れていました。

コイツらどうして此れほどまでに

飼い主に忠実なのでしょう?

セントバーナードの平蔵を頭に、

ゴールデンリトリバーのマリリン、

ラフコリーのラッシーが、

私の後を金魚の糞のようにくっついて、くっついて。

ドタバタして大変なもんです。

平日は精密仕事。

週末は出張。

それも犬たちの世話は私しか出来ませんので。

最短時間での出張に。

疲れタンでしょうか?

朝の7時まで眠っていました。

さぁ今日から再び診療です。

気合いをいれますか!

大切な言葉

今日の週末も、

仕事が終われば関西へと出かけなければなりません。

最近では、

週末をろくろくユックリ過ごせることがなくなりました。

贔屓の【池波正太郎アワー】もご無沙汰です。

多くの方と会う機会が増えたともいえます。

あぁ、良いひとだなと感じるときは、

ひとかどの苦労の洗礼を受けた方が多いように思います。

何にでも明確に割りきれる風の方には、

羨ましいが、

私には到底できない芸当だと、

そうはなれない自分で良いのだと、

遠くで眺めるようにしています。

悲しいのは、

ごめんなさいと、

心から思えない、言えない人だと

感じた時です。

私とは【匂い】が違います。

ごめんなさいなんて、

そこから新しい未来への入り口でしかないのだから。

私の仕事は、

過去のデーターが足腰を鍛えてくれるので、

絶対に無視は出来ません。

また最新の研究も、

治療の一助の大切な要因となるので、

アンテナを張り巡らす必要に迫られます。

沢山、沢山の引き出しが必要です。

人と人との関わりにおいても、

沢山の人との知偶をえることは大切ですが、

その種別に分別がないと

大きく心が傷つきます。

その線引きが【ごめんなさい】という

簡単な言葉だと思うんですが。

 

【地雷】と【安全弁】

歯科医師国家試験には【地雷問題】と言われる厄介なシステムが在ります。

これは他の問題が正解であっても、

その【地雷】を踏んで仕舞えば、

国家試験に合格はできないというシステムです。

酷しいとお感じになられるかもしれません。

が、

将来、医療に携わる専門職の資格試験ですから、

それくらい酷しいのも

仕方がないのかもしれません。

想えば、

人と人との関わりあいに於いても、

確実に【地雷】は存在します。

また、

越えてはならない一線というものもあり、

その【間合い】の取り方が

人の世の難しさだと思います。

と、考えれば、

口は厄の基とは良く言い当てた言葉であり、

その心ない一言が、

人の心を傷つけることになりかねません。

身体の傷よりも、

心の傷の方が治癒するに多くの時間を要します。

私が患者さんと接する際には、

此方はプロですから、

患者さんの方の心が解き解れるようにと

心掛けていますし、

より一層の信頼関係が築けることを望んでいます。

それでも、

一向に心を閉ざされる方も時には居られますし、

逆に、

歯科医師側への不信感を前面に出して来られる方も

極々稀ではありますが、

無い訳ではありません。

歯医者は楽な稼業ではありません。

歯は情念を顕す器官ですから、

歯を診れば、

その方の感情の様相が手に採るように解ります。

判ってて、

知らない顔をするのがプロであるとも言えます。

どの様な仕事でも、

身体と心に負荷がかかります。

趣味で発散する。

家庭で癒す。

これが普通の事なのでしょうが、

最近の傾向として、

その安全弁に機能不全が生じている事例も多い様です。

何事にも【地雷】と【安全弁】があるという事を認識し、

自らは【安全弁】でありたいと心しています。

次の一歩

お人好しにも程があると云う台詞が在ります。

強気で押しの強いと思われているようですが、

コレでも私はお人好しだと思うんですが。

また、歯学の門を叩いた日から、

忍んで、耐えて、

技術の取得に努めて来た自負は在ります。

そんなこんなで、

ついつい人の情に流され、

自分で背負い込んでしまう始末。

こういう性格は、

歯科の治療を行う上に於いては

大いに役にたってルのでしょうが、

生きていく上では、

なかなかシンドイものが在ります。

それでも先へ先へと時間は経過し、

待ってはくれません。

決断の正否は、

その時々には判りません。

今でも後悔することが多く在りますから。

さぁ今度の決断が、

どういう転機を迎えるのか。

大きな大きな仕事を抱えています。

判断は、

老いて死ぬ前にならないと、

嫌、

それでも判らないでしょう。

平凡な日々

今は世間で云う処の明け方前なんですが、

昨夜は寝酒の積もりで白ワインを始めたら

コリャ旨いという訳で

ついついグラスが進み、

良い心持で夢の中へと。

で、

大きな【ニュリュ.ニュリュ】した感触を

顔中に感じて、

ソッと瞼を開けたら

マリリンの起きろという合図。

自宅前の公園の広場で

一汗かいて

読みかけの本の表紙を開いたのでした。

群れをなすのが嫌い。

余暇は独りで過ごす。

傍らには大型犬を控えさせて。

聞くには良いでしょうが、

こういう御仁は、

結局は心にポカンと孔が空いてるんだろうと、

最近、感じるんです。

だから一層、仕事に励むんだろうと。

昨日、

帰りの挨拶に来たスタッフの宮田君に

「次は何に力をいれようかね?」

と、問うた処、

「先生、身体を壊しますよ」

と、夢中になると止められない止まらない

大人気ない私の性格を熟知した女史にタシナメラれ、

歯周病の制御、

虫歯の制御も

ほぼ私の中では解決され、

さぁ次の獲物を狙うハンターのような心持でで、

自分の為した古い治療の欠点を探す日々を送っています。

より良い治療成績を探し求めてと言った処です。

平凡な日々の繰り返しでしょう?

 

 

進路について

高校生の段階で将来の職業を決める現代の制度は

大きな誤りだと感じています。

医師、歯科医師などの専門職は、

アメリカのように少なくても4年生大学を卒業してから

進める制度に変革すべきだと考えています。

文学なり工学などの一般教養を身につけ、

その上で医療人の道を選ぶかどうかの

決定を大人として行うべきでしょう。

高校の進路指導なり予備校の進路指導ほど

当てにならないものはありません。

彼らは現段階での評価しか気にしていませんから。

医学部進学を夢の目標のように考えて居られる親御さんを

頻繁に目にします。

私の若い時分の歯学部みたいです。

当時は歯科黄金期。

歯医者さんはお金持ちだったから人気稼業だったのです。

今、進路指導で歯学部を進める教師は皆無でしょう。

お金儲けだけで、子供たちの職業を進める教師こそ、

教育の現場から去った方が良いのではと。

人の身体を与る責務を、

充分に認識すべきでしょう。

歯医者は命に関係無いから楽だ?

バッカじゃないですか?

命に関係無いからこそ大変なんじゃないですか。

歯は情念を顕します。

好きじゃなきゃできない仕事です。

忙しい1日になりそうです

お盆の休みも終わり、

今朝からは身体も通常モードに戻ったようです。

何時ものように暗いうちから

犬たちと散歩に出かけるのも数日振りと云うように

相も変わらぬ毎日が続くのでしょう。

今、大きな症例を幾つも抱えています。

インプラント周囲炎にて大きく骨を失い、

除去した後の骨に移植骨にて増骨し、

CTと3D化した立体画像からインプラントの植立位置を決めている処です。

こういう診断方法を使うのは

私にとっては極めて珍しいことです。

様々な観点から考えても、

この症例は難症例なのです。

別に手術が危険で難しいという訳ではありません。

インプラント周囲炎に至った原因を始末する考察が

難しいのです。

病気の治療は、【どう治すか】の前に、

【何故こうなったか?】を考える方が大切です。

患者さんの身体は尊いものです。

慎重に慎重にを折り重ねて、それでも足りないことはありません。

全く歯のない患者さんのインプラントの設計も抱えています。

これらも、【何処にインプラントを入れるのか?】より、

高齢者になったときに【安定した状況】を

予知することに、

私らはエネルギーを費やすべきでしょう。

今日は松山市から新患の急患の若い青年が母上とお越しになられる模様。

気がつけば、

窓の外は雨。

道中、呉々も気をつけて頂きたいと。

この症例は事故による歯の外傷。

経過を伺うに、

治療のタイミングが遅れていることが察せられます。

歯科保存学は【歯学の王道】であることに、

そろそろ歯科医師自身が気づくべきなのに。

忙しい1日になりそうです。