日別アーカイブ: 2016年12月5日

私の履歴書 4.

私は商家の生まれですので、

不自由ない暮らし、

いや、

何不自由なく育ちました。

だから、

わがまま阿呆になったのだと思います。

ただ、

本物に囲まれて育ちました。

それは物においても、人においても。

大学に入学し故郷は離れ、

その日から自分の生活がスタートしました。

皆さんは、お笑いになるかもしれません。

当時、私は初めて【ダイエー】に入りました。

キザですみません。

悪気はないんです。

家業がデパートに出店を持っていた影響で、

私はお取引先であるデパート以外では

買い物をさせて貰えなかったのです。

ですから、

私は大学に入学して初めて、スーパーのようなデパートのような

当時の私からして観れば、

奇妙な大型店舗に入ったのです。

今では、スーパーが核となった大型ショッピングモールが普通になりました。

が、

当時はデパートは身なりを整えて入店する処。

それ以外は専門店へ。

ローマのコンドッティ通りなど中学生の頃に、

所謂ブランド品を普通に持って育ちました。

所謂、バカボンの典型だったのです。

吉野家の牛丼にも感動しました。

あの価格ですから、

牛にお詫びの心で頂いたのを覚えています。

回る寿司も、その頃経験しました。

そのような私にとっての冒険は、

いつも恐る、恐る、一歩を踏み出すというスタイルでした。

コレが一転したのは、

ヤハリ日本歯科大学の悪い諸先輩方のお陰です。

とにかく、悪い奴らが大勢いらっしゃいました。

とにかく、元気が良かったんでしょう。

落ちた処で咲きなさい。

私の落ちた処が、

凄い処だったんだと思います。

当時は、おおらかな時代でしたから、

遊んで、遊んで楽しい大学時代でした。

が、

楽しいことは、そう長くは続かぬものです。

大学3年の前期の試験で、

私は学年ビリッケツになりました。

これは私のプライドを大きく傷つけました。

コレがキッカケで、

私は教科書と真面目に向かい合うようになったのです。

元々が几帳面な達ですので、

一行一句、

キチンと覚えないと、

妙に身体が気持ち悪いので、

丸暗記したのが、

良かったんでしょう。

歯科医学って面白いんだという導火線に火がついたんでしょう。

また元来の遊び人は、遺伝的に確証済みです。

大勢の有名な先生方が、

大事にして下さったのも幸運でした。

今では、

学生さん達や若い先生方の会釈に慣れっこになってしまいましたが、

本当の私は、

心の中は、

青春期と全く変わっていません。

歯科医学への情熱も、

歯科医師免許を頂いた日から、

全く変わっていません。

良い歯医者で在りたいと。

ただ、

遊びの方は、

もう駄目です。

次の日の診療に差し控えます。

車の運転も、

高速道路で80キロでの安全運転というよりは、

スピードが恐くなったのです。

これからの展望ですか?

武田信玄のような、

ドッシリと安定感ある歯科という戦上手になりたいですね。

嬉しい便り

出勤し、

慌ただしくメールや書類の確認に追われていたら、

院長室をノックし、

スタッフの宮田君が緊張した趣にて入室して来ました。

???

どうしたの?

で、

彼女は一呼吸おいて、

1通の封書を両手で差しました。

???

封を開け、

おめでとうね!

宮田君の結婚式の案内状でした。

先生の祝辞を頂きたいのですが?

無論です。

先の東北大震災から帰って来た日が、

宮田君の初出勤と重なったことを思い出します。

瞼から痛々しい光景が一時も離れず、

加えて、

私の診療所の特性柄、

ほとんどの患者さんが来院を中断せざるを得ない状況となり、

患者さん皆さんの仕事上の営業にも大きな影響を受け、

必死での対応が判る故に、

私は黙って患者さんが戻って来られるのを待ちました。

診療所を開けていても患者さんが来ないのですから。

内心では、

潰れることも覚悟したものです。

宮田君も当時は、

余りの暇さに驚かれたことでしょう。

宮田君の性格なんでしょうね。

黙って、

私からの新人研修を受けていましたね。

もう一人の前から勤務していたスタッフは、

私を完全に見限っているのが肌で伝わりました。

患者さんが減ったヘボ歯医者って感じたのでしょう。

もっと効率よくとか、

健康保険の診療をしないからだとか、

先生のプライドなど棄てて治療費用のダンピングとか、

スタッフルームで勤務時間に菓子を食いながらの

半分遊び勤務にも、

私は徹底的に辛抱しました。

私はヒポクラテスの誓いをした医療人です。

私は何度も何度も、

経営の苦しさは味わって来ています。

私は一般的な歯医者にはなりたくない!と、

決意して、

歯で困った方への最後の砦で在りたいと。

歯の番人で在れ!が、

私が私自身に言い聞かせている信念です。

歯科医療が抱える諸般の問題点を、

私は国の制度のせいにしたくありません。

患者さんが、

歯を大切に考えて頂けるように

患者さんの心の扉を開いて貰うように、

時間をかけて、時間をかけて、

それが、

患者さんを治療する歯医者の仕事だと信じています。

宮田君が来てくれてからも、

三枝デンタルオフィスは、

ドンドン進化し続けています。

結婚式への案内状の綴りを眺めつつ、

そんな速かった数年のことを

思い出していました。

末永く、お幸せでありますように。