日別アーカイブ: 2017年1月27日

少数派

私は歯科医師としては初代ですし、

歯科医院の治療形態も

ほぼ99パーセントの一般的な歯科医院とは

異なっています。

極めて稀な少数派である事を自覚しています。

ですから、

多数派に理解して頂こうとは全く考えていませんし、

私への同業からの批評などに

全く関心も持っていません。

出来るモノならヤってご覧なさいと、

そんな処でしょうか?

私の診療所へお越しになられる患者さんも

歯科医師不信の塊の様な方ばかり。

不信の根本が、

何処に在るのかは、

歯科医師自身が認識できている筈です。

技術にテッペンはありませんから、

私自身も、

まだまだ修行中ですし、

自信のない治療は正直に患者さんへお伝えして、

無理のない治療方法へと誘導してきました。

ですから、

歯科医師不信の源が、

技術的要素よりも他の処に在ると考えています。

治療方法についても、

健康保険医は健康保険の範囲内での治療に

従事すべきであり、

不馴れな領域に手を出すべきではないと考えています。

四国の三枝という、

プライドだけは棄てられません。

歯のユートピアが

この地方都市に在る事を

自己主張し続けたいと思います。

 

不器用な私

意外だとお感じになられるかもしれません。

私は人付き合いが苦手な質です。

ですから、

診療所での患者さんとのヤリトリが

人との関わり合いの中心です。

絶対に社交的な性格ではありません。

見た目は、全く逆のようですが。

その証拠に、

仕事が終わると真っ直ぐに帰宅します。

休みも特別な用事が無ければ、

自宅から出る事はありません。

書籍に眼を通したり、

時代劇を観たり、

車の修繕したり。

犬はいつも側から離れません。

犬の瞳に、

私は心を許せるのです。

心理カウンセラーからしてみれば、

なんだかんだと、

今風の病名を付けられるのかもしれません。

毎日、毎日を、

真剣に患者さんの全てに注意して過ごしていますので、

診療以外の時間は、

私は自分の休養として必要なんだと

思うようになりました。

私は名医ではありません。

世界中には、

本当に優れた歯科医師が大勢に居られます。

上を向いて歩く。

背伸びして、

時にはジャンプして。

でも、

シッカリと地面に根付いた治療する

安定感ある歯医者で居たいと

常々、肝に命じています。

私が歯科医師免許を頂戴してから今に至る時間は、

私には残されてはおりません。

だからこそ、

歯科に専念して生きたいと思います。

患者さんと共に生きる

私は大勢の患者さんを診察してきましたが、

その中でも、

特に気にかけている患者さんが

少なくありませんが居られます。

治療後の経過が気になるというのではなく、

お心持ちが繊細なお方たちで、

シッカリと元気に日々お過ごしだろうか?

などと治療の合間などに、

今、どうしているのか気にかかるのです。

御子息を亡くされたり、

病と戦って居られる事を、

長い付き合いから

存じ上げているからです。

今日、久しぶりにお顔を見せて頂いた患者さんから、

年末に京都の東寺へお詣りに行かれた際の

土産品としてお線香を頂戴しました。

ありがとうございます。

本当にありがとうございます。

と、

私はもとより、先祖と共に

そのお心遣いに感謝したのです。

このような時に私は、

患者さんと共に生きる【開業医】の生き甲斐を

改めて実感し、

頑張ろう!と、

勇気が湧いてくるのです。

患者さん皆から、いつもいつも言われます。

年少者はもとより、

年配の患者さんからも言われます。

先生、いつまでも元気でいてね!

本当に私は幸せな歯医者です。

恩師の言葉の重さ

大学時代の特に教養課程の際の私の暮らし向きは、

到底、他人に自慢できるモノではありませんでした。

遊んでばかりでしたもの。

授業もサボってばかりだったように記憶しています。

ただ、

今は日本歯科大学の学長をお務めになられる

中原泉 教授の歯科概論の御講義だけは、

興味にひかれるというよりも、

オーナー先生の御講義であるから

サボってはヤバいという、

調子の良い短絡的な考えで

座ってだけいた記憶が在ります。

当時の先生のお顔には、

幼子を持つ父親の表情が残っておられたことも

何でか判りませんが、

その様に記憶しています。

時たま、

今では立派な学者へと育った御子息の兄弟の手を繋ぎ、

大学前の小道を散策しておられる姿も鮮明に記憶しています。

私のような馬鹿学生でさえも、

今になって先生の講義録や著作、

入学や卒業式の際の訓辞の活字を

丁寧に眼で追うようになりました。

歯学は私学によって創られた。

日本歯科大学が歯学の源流であるという

自信に裏付けされた先生の信念を、

私は挫けそうになった時の、

支えに、

自然とそうなっている事を自覚しています。

中原 泉先生の名前を聞いて、

緊張しない母校から羽ばたいた人は

皆無でありましょう。

私らからしてみてば、

宮中の天皇陛下のような畏れ多い

天上人と言えましょう。

しかし、

その様な先生の存在は、

終戦時に動乱の起こる事なく、

整然と平和日本へと大きく舵をきった

日本人の心の象徴があったからこその

世界の驚く所作であったように、

私ら歯科医師の心の支えになっているのは

間違いない事実です。

信じて、

歯科治療にのみ専念できるのも、

母校を導く中原 泉先生の

一種のカリスマ性の為せる技だと、

私は断言できるのです。

素晴らしい仕事.歯科治療

私が母校の教壇に戻って10年になろうかと思います。

10年と言えば我が身を振り返り、

歯科大に入学してから6年の教育を授けて頂き、

歯科医師免許を頂戴し、

4年の大学院での研究と臨床指導を受け、

歯学博士を授与された期間に相当します。

【ひとかどの歯科医師】になった期間とも言えましょう。

ですから、

当時、歯学の右も左も判らないフレッシュな学生諸君も

今では【ひとかどの歯科医師】に育ったようです。

俗に云う【教え子】から、

突然に私のホームページの問い合わせフォームから

メールを頂戴したり、

診療所の電話に直接にご連絡を頂く機会も

度重なりました。

そんなこんなで、

イッパシの歯科医師へと育った彼らとの

再会の機会も増えて、

実際の臨床に携わっている彼らへの

治療の具体的な方法なり、考え方を

私なりの経験を語る機会が増えたのは、

自然の道理かもしれません。

第1年時に学生諸君への私の特別講義である

【素晴らしい仕事.歯科治療】というタイトルの

私の戯れ言を、

卒業してから思い出したとの言葉を

しばしば頂戴します。

今は歯科医師過剰にて、

治療の上達に苦心するよりも、

経営的に苦労が絶えない歯科医師の現状ですが、

そんな時に、

彼らからは【ぶれず】に歯科治療にのみ専念する私の姿が、

支えになっていると聞く度に、

逆に、

その言葉が私の日々の大きな原動力となっていると、

これまた正直に申し上げますが、

ただただ歯科治療の在り方に工夫する自分を造る

やせ我慢の源にもなっているのです。

教え、教えられることが教育の真の姿とも言えましょう。

世間的に観れば、

歯科医師の苦しみなど実感出来ないでしょうが、

プロフェッショナルとは、

その様な甘いモノではありません。

厳しい【イバラの道】が仕事道と言えましょう。

他人との競争を意識してはなりません。

もっともっと患者さんへ貢献できるようにと、

知識を深め、

技術の研鑽を積み重ね、

鋭い観察眼を養い、

人を診る仕事ですから、

自己を圧し殺してでも、

患者さんやスタッフを包み込む包容力を、

無理してでも、

そう見せるやせ我慢に尽きるのが、

私ら歯科医師の職責だと、

人の寿命の後半戦にドップリと浸かった

この歳になって、

気づいたのですから、

本当に私は、

大きく遠回りしたように思います。

厳しい道のりでしたが、

それでも私は声を大にして申しましょう。

歯科治療は素晴らしい仕事だと。