日別アーカイブ: 2017年4月1日

兄妹

車体のアチコチからの軋む音に、

神戸に着くまでに空中分解するのでは?

と云う娘の心配を余所に、

都はるみのカセットテープの音量を上げて、

大いに気分爽快にて、

40年は前のアルファロメオのエンジンの爆音を轟かせ、

ハンドルを握りしめたる私です。

とは言へ、

神戸の街にたどり着いた時には、

安堵したのも事実。

芦屋川、夙川の桜はまだまだでありました。

此処にはまだ春は来ていないようです。

3階の部屋へはエレベーターがない

昭和色彩濃いコンクリート造りのアパートメントを

ことのほか気に入っています。

トイレ、バスもレトロそのもの。

娘はタイムスリップした気持ちのようです。

息子の子分のアール君も

ドアから尻尾フリフリ、

息子を引き連れ帰って来たら、

それまで煩いほどに語りかけてくる娘は

父親は御用済みになった模様。

兄に連れられて、

何処かへと行ってしまって、

アール君と二人での留守番と相成った次第です。

 

私の部分入れ歯

すみません。

私の部分入れ歯と言っても、

私の口に装着している訳ではありません。

しかし、

私自身の口に装着している積もりで造っています。

部分入れ歯がインプラントに劣るとは考えていません。

部分入れ歯でなければならない症例も、

五万と在るのです。

ですから部分入れ歯を造る際には、

指の先で撫でて、撫でて、

指先の腹の皮を鋭敏に研ぎ澄まし、

五感にて形を造って行きます。

歯型を採る際も同様です。

見かけからは判別不能かもしれません。

しかし、

私の部分入れ歯は、

長期抜歯装置ではありませんし、

良く噛める大切な臓器でもあります。

修復治療の極意

今しがたオールセラミックブリッジの

フレーム試適と云うステップを終えた処です。

修復治療に於いては、

歯科医師と歯科技工士の人的誤差を埋める手当てが

とても大切なのです。

これを、

あぁ、我輩は名人である!などと、

大いなる勘違いをし、

歯型を採ってサッサと修復物を完成させたモノならば、

知らずが華と云う情けない結末を味わうことになるでしょう。

修復治療とは、

繊細でかつ謙虚なる心がけによる処が

大いなる成功の秘訣と言って良いでしょう。

治療したる際の私は、

真剣そのものであることは間違いありません。

と言いつつ、

修復治療ほど興味深く、面白い治療はありません。

 

摩訶不思議

大学附属病院の長い廊下を歩く際に、

学生諸君は横に避けて頭を垂れて私が過ぎ去るのを待ってくれます。

また、

校門に差し掛かったる私の姿に

駆け寄って荷物を代わりに持ち、

医局まで先導してくれる学生諸君です。

しかし、

当の私は吹き出しそうな想いを堪えて我慢しています。

私は、そのようなタイプの人間ではありません。

ハチャメチャな学生時代を素直な気持ちで過ごしていました。

先のスキーの名手であったK君から両手を合わされて懇願され、

先導してピンク映画館へと指導した話題を

同級生から何かの拍子に思い出されたのです。

成績優秀なるK君は映画のストーリー展開には全く興味を示さず、

俳優たちの熱い演技を余所に、

映画の灯りにて参考書を読むと云う塩梅に、

大いに憤慨したのですが、

こと大切なピンク映画の肝心な場面に於いては、

キチンと参考書を閉じ、

画面を凝視する姿に、

ヤるべき時にはキチンとヤるもんだと、

大いに評価した話しで盛り上がったのです。

私らの時代はこういうのが普通であったと思います。

それが今の学生諸君は、

本当に真面目であり、

思わず頭を垂れて、

立場が逆だなと。

ですから、

勉強に本気で向きあったのは、

大学3年の後期からと云う

いささかスイッチが入るのが遅かった私ですが、

齢50を半ばになるまで

続いているのですから、

どうぞ昔の事はお許し頂きたいと願っています。

当時を知る人は、

私を恐れて後退り、

あるいは、

まぁ、何処でお代わりになられたのすか?

と、

妙な敬語にて問う始末。

人生とは摩訶不思議なモノですね。

遺伝子

大学1年の冬に、

無理やりのスキー合宿と云う体育のカリキュラムがあり、

遥か妙高高原へと出向かされ、

そればかりでなく、

大いにプライドが傷ついたのです。

ああいうシチュエーションにおいては、

ゲレンデを颯爽と滑走する輩がモテるモノであることを

否応でも思い知らされたのです。

同級生の、

どう観ても男前とは言えないK君はスキーの名手であることが判り、

凄まじい雪飛沫を挙げつつゲレンデに立ち、

歯茎を大いに観せながら笑う自信気な彼が、

夕食後に女学生たちからスキーの指導を請われるのにも拘わらず、

我々雪に縁のない処で育った者たちは、

スーパー初級コースと名付けられた

八甲田山雪の死の走行のような様に

情けない想いを味わった1週間だったのです。

で、

俄然、負けん気魂に火がついた私は、

当時は厳しいことで有名であった新潟県浦佐の恐怖のスキー合宿へと

自ら志願して参加し、

モテたいが為の不謹慎な動機には勝てず、

死の滑走に挑んだのです。

若い時分には、

こういう動機つけが大切だと、

今の若い人が草食などと言われているのが不思議でなりません。

自動車にしても、

モテる為の必須の道具であり、

親や叔父を騙しては、

車はピニンファリーナに限る等と講釈を垂れ、

ベローチェやアバルトのキーを指に引っかけ振りつつ、

場面、場面に於いては、

診療中の叔父のキーを拝借して、

似合いもしないダイムラーダブルシックスを乗り回し、

また或る時には、

コラ!尚登!待て!

と、院長室の窓からの叔父に手を振りつつ、

当時としては珍しかったM6のエンジンの爆音を響かせていた、

放蕩息子降りを発揮した歯科大生時代であったのです。

ですから、

エコカーなどと言われてもピンと来ないのは、

今でも変わりありません。

男は大排気量のガソリンエンジンを焚いて焚いて走るものだと。

独り息子に、

私の遺伝子は確実に遺伝したようです。

ですから、

世間体からしてみれば、

私は馬鹿な父親であろうとナジラレても、

いつかは華が開花するであろうと信じて、

否、

云う資格がないことを自覚していると云うのが

正直な処でしょう。

エンジンオイル云々大いに語る息子の姿を

黙って聞いて夜が更けていくのです。

相変わらず

アメリカの人気ドラマであったCSI科学捜査班シリーズには、

マイアミ警察、ラスベガス警察、そしてニューヨーク市警版の3本立てが在り、

それぞれの味でテレビに釘付けになっていたものです。

特にCSIニューヨークのマック.テイラー刑事が贔屓で、

劇中、マック.テイラーが大きなカップで飲む、

恐らく湯のように薄いであろうコーヒーを観るに、

早速に真似て、

しかし劇の進行を見逃すまいと、

インスタントで済ませ、

飲んで不味い!と、

そんな事の繰り返しでシリーズも最終回を迎えたのです。

マック.テイラー刑事の愛車であるシボレー.アパランチより

他のシリーズで決まって刑事たちが乗るシボレー.タホの方が

格好良いのに、

何故かニューヨークの街並みに、

このヘンテコで中途半端なピックアップが似合うのが不思議で、

また、

私もアノようなサングラスを常時かけてみようか?と、

ミーハー降りを大いに注いでくれた番組であったので、

残念でなりません。

昔、友人である浅見友市朗博士と共に映画を観に行きました。

伊集院花子の生涯だったと記憶しています。

映画のタイトルである伊集院花子は

決して釘付けになると云う美観の持ち主ではなく、

どう観ても伊集院花子ではない夏目雅子が主役であるのに、

どうしてこういうタイトルなのか?と、

不思議な想いにて、

それにしても夏目雅子は良いなと。

仲代達也氏の迫力に息を飲み、

映画館から出でた際の我々の目付き、眉間のシワ、歩く格好が、

見合せても、

大いに映画に影響されたるは明白で、

互いの馬鹿降りに嫌気がさしたのです。

このような馬鹿降りは今でも変わっていないと自覚していますから、

歯の仕事にも相変わらず夢中になれるのでしょう。

 

 

 

鼻くそ

中学3年の春のことだったと、

大昔のことなのに、

その時を鮮やかに覚えています。

職業文士の巧みな技術に舌をまいたのです。

若かりし頃の永井荷風の著作である

【あめりか物語】と【ふらんす物語】の余りにも美しい文づかいに

それこそ当時は酒の味など判りませんでしたが、

舌の上で転がすスコッチウイスキーの味わいとは

恐らくこういうモノであろうと、

独りで悦に入っていたのです。

それから活字中毒症に罹患し、

往く年月、

昨日もまた、

美しいと、

再び恍惚と頁を捲っていたのです。

神様は不公平なことを時として為さるのだと。

数学者としての業績は云うに及ばず、

その文章の上手さに、

1冊を読み終えた後、

雨足の中、

夜もとうに9時をまわっているにも拘わらず、

車を出して書店へと向かい、

意識してその処女作品を選んで、

再び、

夜が更けるのを忘れて頁のなかに

埋没していました。

最近になってハマっている藤原正彦氏の著作です。

プロの技術とはこういうモノだと。

それにしても歯科医師のプロ意識など

鼻くそのようなモノでしかないと、

毎日、毎日、

苦悶に満ちた表情でお越しになられます患者さんとの

格闘は病との戦いではありません。

ほぼ歯科医師の造った病気であることを

本当は大勢の歯科医師も認識している筈ですから。

自分だけは世間様に迷惑をかけないように

務めましょうと、

床に入って、

もう一度、

明日からもっと励みましょうと、

そんな気持ちで知らず知らず、

朝を迎えたのです。