日別アーカイブ: 2017年5月15日

普通の根管治療

根管治療が終わった処です。

今日は根管充填と云う最後の操作でしたので、

速かったですよ。

下顎の第2大臼歯の根管充填です。

それでも、

1時間少々でしょうか。

ラバーダム防湿して、

マイクロスコープを覗きながら、

根管の壁に、

神経繊維が残存していないか?

根管の先端部分を充填材料がキチンと密着できるようにと、

仕掛け工夫の細工を施し、

よーく洗浄を繰り返し繰り返し、

で、

ビシッと、

根管充填材料を押し込んで。

此処は最後の勝負処です。

【勘】働きの勝負処でしょうか。

レントゲンにて、

ヨシ!

今まで受けた根管治療とは全く違いますと、

患者さんは仰られていましたが。

私は昭和56年の日本歯科大学の入学です。

第76回生です。

280名の定員でした。

当時から、

私らは、

マイクロスコープ以外の治療過程は全く同じの

トレーニングを受けました。

来週の水曜日の午後は、

私は新潟キャンパスにて、

歯科保存学の実習を担当しています。

全く同じ過程にて、

学生諸君へ指導しています。

普通の治療だと思います。

ですから、

私の大学では昔から今でも普通なのでと、

そう、お答えしたのです。

しかし、

右手の手首が痛みます。

指の関節がヒキツリます。

手首を降りながら、

では、お疲れ様でした。

次回はファイバーポストで補強しましょうねと、

具体的な説明をして、

お気をつけてね。

で、

高ぶった神経と、

張り積めた神経を、

静めるために、

こうしてブログを綴っています。

私の読書方法

活字中毒を自覚している私は、

駿時を見つけては、

活字を追っているのです。

で、

安らぎを覚えたり、

私との同種の匂いを感じた書籍を

待合室のテーブルの上に然り気無く置いています。

一月に読む書籍の数は、

数えた機会はありません。

見知らぬ人との出会いのようなものが、

私にとっての活字です。

で、

読み方は、

蛍光ペンを片手に、

印象的な文章にマーキングしながら、

先ずはサッと流し読み。

シツコイ性格である私は、

一度完読した書籍を、

繰り返し、

今度はジックリと活字を追いかけると云う手法。

二度目のマーキングは色を変えて。

一度に複数の書籍を、

飽きたら別の、

で、

また疲れたら別のと云う具合です。

ポール.エクマン博士の書籍にハマっています。

繰り返し、繰り返し。

翻訳書ですので、

熟読したら、

原著でと云う、

コレも私なりの読者方法です。

もうお一方は、

岩下尚史 氏の著作です。

余りにも優美で格調高い、

技量豊かな文章に驚き、

氏を勝手に、

明治か幕末辺りの生まれであると、

そう決めつけていたのです。

で、

著者紹介にて、

私の二つ年長でしかない事に驚き、

戸惑い、

感動し、

安堵したのです。

國學院大学文学部を卒業され、

ですから、

私の学生時代と氏は同じ時代に

大人になる修業を経た訳ですから、

私は自分のイタラナサも情けない想いになりました。

大学卒業後、

新橋演舞場の企画室長をお務めになられた氏の文章は絶品です。

治療方針についての私見

先ほど、奥歯の抜歯を終えました。

歯の根が折れていたから抜歯に至った症例です。

で、

患者さんから、

来月ころインプラントの予約を採りたいのですが?

オイオイ、チョッと待っちくれい!

私は今しがた自分の眼で、

直接に骨を診ました。

どのような過程を辿りながら治ってゆくのか?

それを診て、

ゆっくりと診断したいと申し上げました。

もしかしたら、

ブリッジを奨めるかもしれません。

経過と治り方、

人それぞれです。

パターン化できるようで、

そう上手くいかないのが人の身体の手当てです。

治ってから、

初めて機能回復、

それが治療のルールです。

聡明な方でしたので理解して下さいました。

時たまに居られます。

ご自身の希望的観測の基で、

治療方針を求めて来られる方が。

治療の知識について向上して頂くことは

誠にありがたいことであるのも確かです。

ただ、

プロと素人の間には大きな河が在るのも事実なのです。

いくら説明申し上げても、

一向に折り合って下さらない方も、

少なからず居られます。

私がお願いさせて頂いて、

治療させて頂く訳ではありません。

医師と患者さんは対等の立場で、

その上で、

専門職の意見は精一杯させて頂きます。

治療にはご費用が発生しますが、

お金を払っているからと云う上位の立場で、

知らず知らず態度に出て、

治療方針をリクエストされる方も、

昨今では増えているような気がします。

私らの仕事は、

【奉仕の精神】で以て臨んでいます。

其れが基本的姿勢だと思うからです。

大切な患者さんの身体です。

少なくとも私は、

そのように思っています。

何が大切なのか?

資本主義社会の弊害を

この頃、

感じるのは多くの医療人の

声なき声であるのも事実なのです。

 

極めれば無垢になる

長い間、インプラント治療と向き合って来ました。

私の歯科医師人生がインプラント治療であったと言っても過言ではありません。

インプラントメーカーのインストラクターとして、

20年近く前から、

インプラント治療の普及に長い時間を費やしていました。

現在では多くの歯科医師が普通にインプラント治療を

日常の歯科診療に採り入れています。

それはそれで良かったと思います。

しかし、

伝わらなかったこと、

伝えきれなかったことも

現実には多かったと思います。

私は毎日、

インプラントの患者さんと向かい合っています。

といって、

入れ歯の患者さんとも、

毎日、

向き合っているのも事実です。

先ほどお一方、

レントゲンを前に、

私は思案していました。

2週間下さい、考える時間をと、

申し上げて、

今日の処は終了しました。

考え、

悩み、

調べて、

その繰り返しが私の日常です。

高名な陶芸家の方が仰られていました。

行き着いた先は無垢の白さになりました。

歯の治療も同じなんだなって、

具体化された言葉を頂いた気持ちになりました。

複雑な口腔の状況を

どのようにシンプルに手当てし、

長期にわたって維持できるか、

それが歯科医師の腕の観せ処だと思います。

教育の現場において、

偏差値を上げることと、

豊かな心を育むことの、

その間の両立に教育者は悩むのだと云う姿も、

私はここ10年、

実感しています。

真面目に職責を果すことに、

職業の差がないことも知りました。

選んだ道を極めたい。

それが人が人である証だと思います。

その先に、

何が在るのかは私は知りません。

私自身が未だに道半ばであるからです。

ただ、

無垢の白さと云う言葉の響きに、

私の心は納得したのです。

インプラント VS 部分入れ歯

日曜日の昼下がり。

久しぶりに、

日本歯科大学 新潟の学部長である藤井一維教授と、

電話にて長話に興じていました。

藤井教授も情熱の歯科医師です。

で、

三枝さん、インプラントと部分入れ歯の選択の基準って?

そんな会話を投げかけられたのです。

何で?

聞き直す私です。

藤井教授曰く。

曖昧じゃないですか?

三枝さんは基準を持ってますよね?

症例を観て、何となく、そう想うんですよ。

やはり藤井教授は流石です。

その通りです。

私には判断基準が在ります。

インプラントを希望されて来院されても、

私が患者さんにストップを懸ける場合も多いのです。

部分入れ歯でなければ絶対にダメだ!

その様な症例も多いのです。

超高齢化社会を世界中の国々が経験し始めました。

患者さんとの長期の関わり合いから、

【人が老いる】現象を、

歯科医師の眼で実感し経験しています。

唾液の分泌の低下、

筋肉と顎関節の老化など、

まだまだ在ります。

歯の無い部分だけを診て、

インプラントと入れ歯の選択をする危険性を

私は声を大にして警告します。

歯科医師の仕事は、

患者に生涯、快適な食生活を営んで貰う。

その手立ての専門職だと思います。

人工の歯を入れるのが仕事の本筋ではありません。

歯の番人であれ。

これが私の仕事です。

で、

藤井教授のご専門は全身管理と麻酔学です。

私の長い講釈が始まって、

二人して大いに盛り上がったのです。