日別アーカイブ: 2017年7月31日

大いに思うこと

先ほど診察を終えた患者さんは

私より5つほど年長の女性です。

大がかりなインプラント治療をし終えて、

初めてのメンテナンスにてお越しになられていたのです。

前回お会いしたのが2月ですから、

チョッとお久しぶりと云った感じでの再会でした。

朗らかな品の良い方です。

今は年老いた父上の日常のお世話に追われていらっしゃるのですが、

なんせ私らと同じ所謂バブル世代の方です。

で、

当時のお勤め先が東京の電通でと云う事で、

若い時分に遊び呆けていた私とは、

チョッと感覚の一致を感じて、

昔の話しに花が咲くのです。

で、

この方は

私からすれば凄い能力をお持ちなのです。

占い八卦の方がプロ並みにお詳しく、

信じたくないけど、

恐いから信じたい、

そんな感じで、

色んな占いのお話しを、

治療しているのか、

話しをしているのか判らない、

いつもそんな感じです。

ですから、

アポイント帳に、

この方の名前を見つけたら、

秘かに楽しみにしています。

バカバカしい話しですが、

占い八卦など信用しない方を

私は羨ましいと思うのです。

私は朝刊の占いコーナーに日々、

目を通して一喜一憂する質です。

思えば、

歯科医師と云う一生の仕事を選んだキッカケも、

高校時分に、

何故か、

足しげく通っていた

小さな庵の女性のお坊さんと親しくなり、

一緒に盤若心経を唱えたあとで、

不意に振り向いたこの御坊が、

ボク!歯医者になりなさい!

と、

ポロリと口にした台詞が

その後に妙に心に引っ掛かり、

で、

遂に、

私は文学部志望であった今までから

無謀なる反転ターンの暴挙へと出て、

今に到っているのです。

神さま、仏さま、

それが仏教でも、

ユダヤ教でも、

イスラム教でも、

キリスト教でも、

私には、

全ての神さま、仏さまの区別なく、

あぁ!ありがたい!

と、

合掌してしまうのです。

知的人から、

鼻で笑われようとも、

目には見えないけれども、

大きな力と云う存在を

ひたすら信じて、

合掌して何が悪いんじゃ!

と、開き直っているのです。

そもそも、

ありがたいと云う感謝の気持ちが、

そもそもは大切なのだと。

日本人のなかのDNAには、

自然界に対する感謝と畏れの感覚が、

刷り込まれていると思うのです。

母方の祖母が、

吹き出してしまうほどに、

そういう質でしたから、

私も自然と、

このような性格になったのでしょう。

科学の進歩を知れば知るほど、

知識の無さを思い知る毎日ですから、

やはり目に見えないけれども、

大きな力を実感するのです。

笑っちゃいますよ。

息子から、

父ちゃんは真面目過ぎると、

言われるような変貌を遂げたのは、

やはり、

天はジッとお見通し!

そんな境地に達したと共に、

反省多い日々を実感しているからでしょう。

【命とは自分の使える時間】

この言葉との出会いは、

私の胸をグサッと刺すほどの衝撃を受けました。

大切に使わせて貰おうと、

丁寧に綴る毎日をと大いに、大いに、思うのです。

 

 

 

 

 

まだまだ子ども

茹だるような炎天下だと思えば、

深夜に突然の豪雨に見舞われたり、

今年の夏に、

地球の変調を感じています。

週末は、

一歩も家から出ることなく、

ゆっくりと過ごしていました。

この暑さですから、

犬たちも散歩などしたがらず、

テレビの前に座る私に、

退屈すればジャレあってきたり、

で、

飽きたら昼寝。

そりゃそうだ。

彼女らはぶあつい毛皮を纏っているのですから。

本来の私の性格からしてみれば、

ジッとしていると云う行為は大変な努力を必要とします。

貧乏暇なしとか、

働かざる者喰うべからず、

などと云った言葉の生きた時代に

人間形成期を過ごしましたもので。

特に商家の育ちでしたので、

お得意先の百貨店などは休日祭日が稼ぎ時な訳で、

百貨店もお客さんで【ごっちゃがえす】ほどに、

今では信じられないほど繁盛していた時代ですから、

店から欠品の補充を求める電話が入ってくる訳です。

当時は便利な宅急便などありませんでしたから、

家の人間が冷房もない軽トラックに荷物を満載する

その助手席に、

それが私の幼い頃の夏の思い出でしょうか?

店も夜遅くまで、

大勢の人が働いていました。

夕食は交代で、

店の食堂で皆が摂っていたように思います。

そんななかを、

私は育った訳です。

小学校の低学年頃は、

確実に風呂は五右衛門風呂でした。

商材を仕入れた際の木箱を小斧で壊して、

風呂の燃料にするのは私の仕事でした。

風呂の外壁の小さな焚き場の穴から

溜まった灰を綺麗に取り除いて、

木を入れるのです。

これを考えてしないと、

空気が中にキチンと入りませんから、

煙がモウモウ!と私の顔を燻してきます。

それこそ咳き込みながら、

逃げ出す始末。

こんな事を何回か経験して、

風呂の焚き方を

身を以て覚えた訳です。

幼い子どもと云えども、

商家では、

ある役割は担わされていた、

あるいは、

自然と、

担うような仕組みが、

世の中全体で準備できていたように感じるのです。

それがいつ頃からでしょうか?

全てが全く違う国のようになってしまいました。

私などは、

昔のほうが、

国全体にエネルギーが充満していたような

そんな気がしてなりません。

今は夏休み真っ只中。

恐らく、

良い子はみんなお勉強なのでしょう。

でも、

これからの、この国の形を想像するに、

幼い頃こそ、

自分の身を以て覚えることに

夏休みと云うまとまった時間を

使って貰いたいと思うのです。

それが必ずいつの日か役にたつでしょう。

私もまだまだ若いと、

自分では思っています。

未熟者から、

早く脱出できるように、

幼い頃仰ぎ見た、

大人になれていない自覚がありますから、

もっと、もっと、

頑張って、

色んなことにチャレンジしてゆきたいと思うのです。