月別アーカイブ: 2017年11月

幸せな私

私ほどの果報者は滅多に居ないでしょう。

師と出会い、

この方を一生涯の師と仰ぎ、

一生懸命、

師の背中を見ながら、

付いてゆきました。

歯科医学は当然のことながら、

人の生きる上においての

道なり、

やせ我慢も、

観せて頂きました。

隠す処なく、

不肖の弟子たる私に、

ご自身を晒けだして、

私を今日に導いて下さいました。

私のカトリック信仰に際し、

師は、

画家であったお祖母さんの形見である遺作を

授けて下さったのです。

この世でのイエスキリストの父親である

大工ヨゼフの絵です。

これから、

師と、

神様が、

私の診療所を尊い力で

包んで、

患者さんを護って下さることでしょう。

私は歯科医師です。

歯で本当に困って居られる患者さんに

いつも寄り添っていたいと思っています。

 

 

身体と歯科治療の調和

患者さんと長い期間、

お付き合いさせて頂いたことから、

教科書には記載されていない

貴重な記録を勉強させて頂いています。

人が老いてゆく過程での、

口腔の変化のドキュメントです。

私ら歯科医師の為す人工物を、

加齢での退行変性する身体と

如何に上手く調和させるかが、

私の毎日の仕事の関心ことになりました。

毎日、毎日、

新しい発見に胸が踊るのです。

歯科医師教育

人は発した言葉に責任を持たねばなりません。

特に、

治療に関わる言葉の重さは、

類いなき重さだと確信しています。

大学の構内に一歩立ち入った瞬間から、

私の身体は硬直しているようです。

歯科大学は、

歯科医師を養成する最高学府です。

科学とは、

反証を受けても、

それを認め、

再考を加えて、

更なる発展へと繋いでゆく

懐の深い学問です。

一つの学理に囚われて、

周囲が見えなくなる視野の狭さが

命とりになるのです。

学生への教育、

新人歯科医師へも教育、

中堅歯科医師への教育、

それぞれにアレンジが必要であることは

教育機関ですから、

ノウハウが確固として存在します。

その型に入って、

責任ある言葉を発するのが、

私ら先人の務めです。

大学は、

それほどまでに大きな責任を背負って立っているのです。

ですから、

私は母校の教官に敬意を評して接しています。

また、

学生たちへは、

もっともっと大きな敬意を評して接しています。

歯科教育とは、

自己自慢の場ではありません。

己を晒して、

恥をかく場であると、

私は肝に命じています。

歯科治療を見直す時期では

なんだか、

年々と、

仕事量が増えているように思います。

と言って、

何の取り柄のない私などが、

忙しいとは、

誠にありがたいことです。

寝たきりの方などから、

忙しいなどと云う愚痴めいた心に

お叱りを受けるに違いありません。

歯の仕事を通じて、

自分が変化している最中にあることを

しみじみと感じています。

それを成長と呼べれば佳いのですが。

毎日を。

まるで壊れた咀嚼器官の修繕に追われています。

最新とか、

最先端と云う、

根拠に欠けた手当ての成れの果て。

人の身体には、

絶対に変えてはならない【大原則】があると確信しています。

ですから、

私の治療はクラシック。

古典的な手法を組み合わせての大道芸人みたいなのかもしれません。

写真の一部には歯科医師の手による

人工の歯が残っています。

根拠なき部分に、

根拠なき形で、

ただ使われただけのインプラント修復です。

ですが、

まだ今は、

この歯を手当てする時期ではありません。

写真は私の手によるインプラントの歯型採りの模様です。

古典的手法からなす【正確さ】を重視しての手当てです。

次の次のステップにおいて、

初めて、

先のインプラント人工歯への介入に挑む訳です。

歯科治療とは、

誤差から生じた人工物を

より正確な軌道へと導くことに

ほとんどのパートが割かれるのです。

今、

歯科治療の有り様の再考が必要では?

 

生き方

お茶の水駅の構内を出でて、

聖橋を渡りながら、

眼前に

対照的なる【白い巨頭】の建物が、

街を圧倒する気を発しながら、

そびえ立っているかのように観えます。

官学の東京医科歯科大学と、

私学の順天堂大学医学部です。

順天堂の建学者は、

幕末動乱期に幕府への義を貫いた会津藩と

新政府の間で交わらせた戊辰の役の大きな戦いにて、

会津藩側へついた骨ある医師でした。

この二人の建物が並ぶ様を、

私は感慨深く眺めながら歩いています。

自主独立が建学の精神である日本歯科大学で教育を受けし私が、

順天堂贔屓になるのは、

自然の理であるかもしれません。

天皇陛下の手術を執刀した医師を輩出したことから、

順天堂の名前は一躍、

更に世間からの高い評価を得られたことでしょう。

順天堂の小林弘幸教授の著作も、

一見の価値高いものだと。

名医の定義、

良い医師の定義、

それを明言できません。

が、

私は小林教授は名医の一人であると思います。

それに至るまでに、

辛酸辛苦を味わい、

それでも、

素直に自分と向き合い、

ご自身の立ち位置を定めたことが、

痛いように伝わるのです。

要領良く生きる人、

なんとかなるさと流れに身を委せる人、

今だけに生きる人、

そんなことに無関心な人、

夢を抱き挑む人、

生きざま色々在るのでしょう。

私は大いに勉強になった小林教授の書籍でした。

人畜無害

最近では30代の女性が治療に多くお越しになられます。

治療においては、

私は若い女性は得意ではありません。

どう接して良いのか判らないのです。

今は私らの若い時分と違いますもの。

セクハラって思われたら怖いんです。

だから、

別の面で緊張するんです。

でも、

随分となついて下さる方も多いんです。

お料理をスタッフの宮田君のも含めて

お持ち下さる方も大勢いらっしゃいます。

本当にありがたいことです。

そんななか、

30歳の女性とお話しして、

先生、モテるでしょ?

ビックリしたのです。

私の日常は家と診療所の往復だけです。

そんな良い、嬉しい、心ルンルンの

若い女性に遭遇する機会など皆無ですもの。

若い時分には、

むちゃくちゃ遊びました。

女性との派手な交遊が芸の肥やしになるんじゃ!

そんな勝手な理由を付けて、

馬鹿やってた愚かな私です。

その結果、

私は悟りの境地に至ったのです。

女性は恐い!

ですから、

今は人畜無害の見本なんだと

大いに言えるのです。

 

患者さんと寄り添うこと

世間は祭日の朝の一時を

お過ごしのことでしょう。

私は診療所にいます。

急患の患者さんを院長室にて

お待ちしている処です。

昨日、

かねてより切望していた讃美歌のCDが

神父さんから送られて来ました。

私の好きな【栄光の讃歌】を聴くと

走馬灯のように、

幼い頃から今日に至る

様々な記憶が甦り、

後悔、反省、悔い、

喜び、高揚感、

心模様が身体じゅうを包んでいました。

神様や仏様、

ご先祖様の霊に、

私は逢ったことはありません。

が、

私は全ての存在を信じています。

宗教上の解釈は、

私の専門ではありませんから、

云々言う資格もありませんし、

興味もありません。

ただただ、

目には見えない確かな力を

私は信じています。

それが神様のお導きと云うのだと。

神様が私と添い続けて下さっていると信じています。

だから、

私は常に患者さんに添い続ける積もりです。

休日だとか、

祭日だとか、

そんなことは私には関係ありません。

私のブログは、

合間を縫っての

細切れ記述です。

途中、

先の患者さんがお越しになられました。

インプラントは、

骨の中に埋め込まれるフィクスチャーという部分と、

歯肉部分を貫通するアバットメントという

二重構造であるものがオーソドックスです。

このアバットメントは、

患者さんの状態によって、

その場所、場所によって、

変化を付けなければなりません。

その確定が決定するまでの一定の期間は、

仮のアバットメントで歯肉の治癒を待ちます。

上には仮の入れ歯が乗っかっていますので、

入れ歯で圧されて、

仮のアバットメントのネジが弛む機会も

少なからず在るのです。

でも、

インプラントのフィクスチャーは問題ありません。

外れた仮のアバットメントは、

簡単に再装着すれば良いのです。

私の方は専門家ですから、

お電話での会話から、

全てを察しています。

でも、

患者さんには判りませんよね。

ご不安になると思います。

そういう際には、

私らは即座に対応する必要があるのです。

深夜、休日、祭日、

そんなこと関係ないのです。

患者さんのご不安に、

即座にお応えする。

それが私らの仕事なのです。

簡単な手当てで終わったものですから、

患者さんは恐縮されておられました。

で、

一緒に裏のおうどん屋さんへと出向き、

いっぱいお話ししながらおうどんを召し上がって頂きました。

先生、良いコートですね?

実はユニクロなんです。

嘘!

ほら、ユニクロでしょ。

私が着れば高く見えるでしょう?

そんな話しで大笑い。

で、

私の車で三越までお送りし、

家では、

なんやかんやいっぱい雑用あるモンです。

やっとブログの続きとなった次第。

 

 

 

診察の基礎の基礎

上の前歯中央2本に

セラミック修復されています。

ご本人はお気に召さないようです。

担当医に伝えても、

担当医は、

この修復の違和感が判らないそうな。

で、

私の診療所へお越しになられた女性です。

一目で判りました。

隣あった2本のセラミック修復は、

違う手法にて手当てされていると。

プロですもの。

1本はオールセラミッククラウン。

で、

隣は歯の表面だけを削ったセラミックラミネートベニア修復です。

考え方も手法が全く違う修復を

行うこともありますが、

その際には、

修復物周辺の歯肉に自然感を与えるような

特殊なテクニックが必要です。

また、

自然光などの光線の反射が、

全く異なる修復物ですから、

技工テクニックの難しいのです。

加えて、

このセラミッククラウンの根と冠の境目辺りに

亀裂が入っています。

肉眼的にも、

歯肉は語っています。

じっくりと、

観察することが、

診察の基礎の基礎です。

願い

歯科医学の門を叩いてから40年近くになりました。

未だに歯科医学への情熱は変わりません。

ある一つのことを、

ずっと継続し続けることに、

大きな意義があると信じています。

歯科医学を通して、

粘り強さだけは身についたようです。

が、

元来の私は短気で瞬間湯沸し器。

時たまに、

その性格が顔を出しますが、

それは余程の時であり、

相手が私の地雷を意図的に踏んだ場合に限ります。

それでも、

簡単には諦めず、

結果はどうであれ、

精一杯頑張ることだけは、

自信を持って言えます。

しかし、

精一杯努めても、

どうにもならないことが在ることも

最近では消化できるようになりました。

例えば、

対人関係などがそうです。

人には様々な考え方や価値観が在ります。

それは遺伝的な要素、

育った環境、

現状の都合など、

様々な因子が、

違いの原因です。

私はお人好しなのだそうです。

で、

ついつい関わってしまう。

その結果、

私の心が大きく傷ついて、

そんな繰り返しの対人関係が在りました。

息子が反抗期の頃、

私は随分と涙を流したモノでした。

それでも、

私は一方通行でしかないけれども、

父親の愛情だけは発信し続けて来ました。

息子は大人になりましたし、

なんと言っても、

私の遺伝子を大きく引き継いでいます。

今では頼りになる相談相手になりました。

このような時に、

途中でさじを投げ出さず、

息子を信じて良かったと痛感しています。

血の繋がりのない他人であっても、

縁を信じて、

如何なる時にも、

私は息子にしたように、

接してきたことは間違いありません。

が、

それでも通じない相手はいます。

頑張った分、

未練なり、

まだ頑張った方が良いのでは?

そんな後悔したくないので、

また、

関わってしまう。

そんな繰り返しの関係が在りました。

が、

遺伝的要素と育った環境の違いは、

やはり大きな川を挟んでいるような気持ちに落ち着いたのです。

駄目なモノは駄目なんだな。

そう、

納得できる心境にさせてくれるほど、

一生懸命向き合った人がいます。

男である私の人生の一番勢い在る時期を

随分と無駄にしたような、

でも、

流した涙から大きく成長した部分が在るのも事実です。

悲しい眼をした患者さんにも

時にはお会いする機会が在ります。

人生って色んな色合いが在るんだなと。

が、

歯科治療を通じて、

そういう方が、

少しでも、

眼の色合いが変わって欲しいと、

願い、願い、

器具を手にしています。

みんなに幸せになって欲しいと、

私は願い続けています。

 

 

 

血の連鎖

来週の土曜日から、

4月15日まで、

徳島県立近代美術館にて、

館所蔵コレクションとしての

【島あおい画伯】の絵画が展示されます。

画伯は、

私の師匠である内部正裕先生のお祖母さんです。

私のカトリック洗礼に際して、

内藤先生から、

ヨゼフと云うクリスチャンネームと、

お祖母さんの描かれた【大工ヨゼフ】の絵画を頂きました。

館の担当者に即座に電話をいれました。

館としては、

画伯の絵の所在を知っておきたいのだそうです。

館へ出向き、

【大工ヨゼフ】をお見せする積もりです。

私は診療室に入室する際に、

一礼します。

診療室は神聖な場所だからです。

先生からの【大工ヨゼフ】が、

この診療室を守って下さることでしょう。

内藤先生の仕事に、

芸術性を感じるのは、

お祖母さんの血の連鎖なのだと、

納得したのです。