日別アーカイブ: 2017年12月20日

息子へ

人の長い人生においては、

何度となく岐路に立つ時が在ります。

もしかしたら、

自分が岐路に立っていることに

気づいていない時もあるかもしれません。

それでも、

今が岐路にあると、

明確に自覚したならば、

その時には、

安易に前へと進んではなりません。

仮に、

他人の声を信じられない心情にあった状況下でも、

決して、

これまでの自己経験からの視野下で、

方向を決定してはなりません。

岐路にある時こそ、

動く時ではないのです。

武田信玄公の旗印である【風林火山】のように、

時を待つのです。

決してジタバタしてはなりません。

診療においても、

同じような状況を何度も経験します。

すべきことを、

的確に行ったからと言って、

術者の思惑通りに

治療が順調に遂行されるほど、

人の身体は甘くはありません。

そのような時に、

私は自分で言い聞かせます。

私はプロなのだと。

で、

もっと、

詳細にまで、

観察を進めます。

もっと、

患者さんからの声を引き出します。

で、

寝ても覚めても、

考え続けます。

併せて、

過去の文献や、

過去の著明な臨床医の診療記録を

読み漁ります。

その際に、

直近の答えを探すような気持ちで、

文献には臨みません。

大きく範囲を拡大して、

今陥っている狭い視野から、

自分を解放させるためです。

その期間は不安に苛まれることでしょう。

しかし、

必ず、

脳裏に点灯が灯る瞬間を経験するでしょう。

その時に、

私は一気呵成に、

駆け走ります。

55の私の判断基準です。

診療所へ出勤し、

神棚に水をお供えし、

柏手を叩き、

デスク脇の観音様にお供えして、

香を焚き、

教を唱えるのが、

私の四半世紀の習慣です。

カトリックに改宗した私は、

この習慣を変える積もりはありません。

55になるまで、

私を導き、

護って下さった神様仏様ですから。

私は死ぬまで、

大切にお祀りさせる頂く積もりです。

私は生涯の仕事を自分の強い意思にて決定しました。

だからこそ、

私は粘れるのだと思います。

カトリックの道も、

私自身の強い意思で入りました。

ただ私は長男ですから、

長男としての、

先祖の供養の責任が在ります。

それはそれで、

私は責任を全うする積もりです。

しかし、

心の支えを選ぶのは、

私自身の気持ちに正直に生きたいからです。

私の習慣に、

また一つ増えました。

神様へのお祈りと、

デスクワークしながらの

讃美歌を聴くことです。

このような毎日を

何故過ごすのか?

と、問われたら、

私はハッキリと申しましょう。

17の歳に、

自分の意思で決めた、

良い歯科医師になれるようにと。

それを決して忘れてはいませんし、

今になっても、

良い歯科医師への道を進んでいるからです。

息子よ。

昨夜のお前は悩みと云うよりも、

悩む前の前段階に居るようだ。

人の長い人生だ。

大いに悩め。

が、

悩みの前段階は、

父は認めない。

腹をくくるのは、

道を選ぶ時に行うのではない。

道を選ぶ際には、

既に、

身体全体は、

水にドップリと浸かっているのだ。

腹をくくるのは、

悩みの前段階の時。

良き師が身近に居る筈だ。

頭を下げて、

心の内を吐き出して来い。

青春とは、

そういうモンだと、

父は思う。