月別アーカイブ: 2018年1月

天ぷら近藤にて

昨夜は午後の7時半に、

吐息も凍るなか、

銀座和光前にて、

待ち合わせのために、

立っていました。

天ぷら近藤へと出向くためです。

これには伏線が在り、

吉祥寺開業の小出 明医師が、

天ぷら近藤に行ってみたいんですが、

予約が採れないんです。

先生、なんとかなりませんか?

後輩歯科医師からの依頼に、

若い時分からの遊び人を豪語する私が

断れる筈はありません。

で、

良いよ。

次の講習会の前日、

採っときます。

てな塩梅に。

そのやり取りを横で聞いていた、

内藤先生ちのスタッフが、

うわぁ!小出先生良いなぁ!

私たちも行きたい!

ねぇ!三枝先生、いいでしょう?

若い女性には凄く甘い私ですが、

若くない女性では在りますが、

内藤先生のスタッフは普段からお世話になりっぱなし。

断る訳にはいきません。

師匠のスタッフを連れ出すので、

一応、

師匠にお伝えせねばと申し上げたら、

えっ!天ぷら近藤!

俺も行きたい!

う~ん、

出来たら家人も連れて行ってやりたい!

承知いたしました、

と返したものの、

近藤の親父さんのド真ん前のカウンター、

6名も採れるんかぃ?

私は内心で、

大いに焦ったのです。

和光前に現れた師匠ご夫妻。

奥方は何をされても綺麗で上品な方ですが、

師匠の出で立ちが、

まるで芸能人のような装いにて

驚いたのです。

御歳74歳。

う~ん?

何処かで観たことあるような?

ないような?

で、

みんな揃った処で、

いざ近藤へと。

天ぷらは近藤。

歯は内藤と云う位の、

当代の名人が、

カウンター越しに向き合っています。

良い絵でしたね。

壁に掛かる池波正太郎先生の自筆の絵も、

霞む位に、

近藤、内藤名人の姿は

絵になっていました。

満腹になり、

小出医師も親父さんから自筆のサインを頂き、

大いに満足の夜を過ごしたのです。

並木通りにて、

ご夫妻をお送りし、

我々は喫茶店へと。

そこで小出医師が、

いや~!旨かったですね!

それにしても、

内藤先生の格好、

アレハ山口組の組長の、

確か司なんとかって人に似てませんでしたか?

あぁ!そうだ!

週刊誌で観たんだ!

確かに、

男前で、

お洒落で、

格好良いんです。

そうだ!そうだ!

と、

爆笑しながら、

内藤先生はクシャミしていたことでしょう。

さて、

今日も1日、

忙しくなりそうです。

 

 

 

雪国から得た心

新潟市は猛吹雪に見舞われているようです。

日本歯科大学の新潟校も1972年の開校以来、

初めての休講を余儀なくされる程の大雪だそうな。

高松市に暮らす私どもにとっても、

冬の寒さは堪えます。

しかし、

雪国の冬は全く別の次元に在ります。

私の青春期を過ごした新潟は、

地元出身である田中角栄元首相による

キングパワーにより、

やっとインフラ整備が整いつつある時代でした。

普通のご家庭では、

1年の半分は、

お父さんは東京などの大都市へと

生活の糧を得るために出稼ぎへと余儀なくされ、

家に居ないのが普通だったのです。

批判も多い田中角栄元首相ですが、

新潟県人が親しみを込めて

元首相を語るには、

今日、新潟県が発展し、

太平洋側に暮らす人々と遜色ない環境を造られたからです。

今では粗大ゴミ化されつつあるお父さんです。

でも、

お父さんが居ないご家庭って云う状況を

再考して頂きたい位に、

当時の新潟は貧しかったのです。

それにしても、

越後の冬は厳しいのです。

雪が舞うなどと云う情緒は、

此処にはありません。

日本海からの猛吹雪の圧倒的な風圧に

道行く人々は、

一歩、一歩を、

雪に沈む足を引き抜きながら

前に進むにも、

風圧に突き進むのです。

車にも直ぐには乗れません。

雪に埋もれた雪を掻き分けて、

凍ったドアを開けねばなりません。

道の脇には、

除雪車によって掻き分けられた雪の高い壁。

車道の幅は

雪の壁のために通常の半分になり、

路面も、また雪。

これが雪国の冬です。

が、

春は必ず訪れます。

その春を待って、

冬を過ごすのです。

人生のおいても、

冬の期間は必ず在ります。

私の半生においても、

長い冬の時代がありました。

でも、

春が必ず来ると信じて、

頭を下げて、

ひたむきに丁寧に過ごしてきました。

駄目な時は、

何をヤっても駄目なんだ!

そんな考えは大きな誤りです。

季節においての春は、

必ずやって来ます。

が、

人生における春は、

待ってても来るかどうか判りません。

春の訪れを仕向けるように、

私たち自身の大きな努力が必要だと思います。

私においては、

それが、

毎日の診療をより丁寧に手当てする。

書物から知恵の糧を求める。

手先の鍛練を怠らない。

天に感謝して祈り過ごす。

決して諦めない。

その積み重ねであったように思います。

受験の季節です。

受験生の方々は、

それはそれは不安な日々を過ごしているでしょう。

しかし、

受験には科目と範囲が在ります。

対して、

人生には、

科目も範囲もありません。

ですから、

苦しむ必要はありません。

もっと、もっと、

大きな波、

大きな壁に、

前を阻まれる機会も数々、

経験するでしょう。

人生は、

勝ち負けの繰り返しです。

一生懸命、

丁寧に生きて下さい。

 

良い歯科医師とは

当初は岡山県笠岡市の教会へと

通っていたのですが、

昨年の10月頃から、

高松市の桜町カトリック教会へと

通うことにしました。

自宅から診療所への通勤路の途中に在る教会です。

日曜日、

高松市に居る時には、

朝のミサに参加し、

毎週水曜日の夜、

司祭さまのご厚意にて、

聖書の勉強を個人指導して頂いています。

宗教にかぶれた?

宗教に頼る人間は弱い人!

そのように思われるならば、

私は一向に構いません。

信仰は、

幼い頃から、

先祖の霊を尊び、

先祖の霊に感謝し、

神社、仏閣を訪れては、

心が温まり、

ありがたいと、

掌を合わせてきた私です。

55年も生きてきましたから、

私の中には、

天を信じると云う確固たる信頼感が在ります。

私のカトリック改宗には、

多くの理由が在ります。

これも【縁】だと思っています。

歯科医師になりたくて、

なりたくて、

私は歯科医師になりました。

ですから、

良い歯科医師になりたいと切望したのは

当然のことです。

ただ、

この【良い】歯科医師とは、

どういうモノが【良い】歯科医師などでしょうか?

私の生き、過ごした、

その年代、年代によって、

【良い】の定義は変わっていったように思います。

テレビ番組の【ドクターX】のような、

神の手を持つ名医も【良い】歯科医師です。

また、

スピード感ある治療を求める患者さんでは、

速い治療を進める歯科医師が【良い歯科医師】でしょう。

とにかく費用の安い治療を求める患者さんにとっては、

安い治療費での施術を行う歯科医師が、

【良い歯科医師の模範】ではなかろうか?

患者さんのリクエスト通りに

治療を進める歯科医師も、

ある面においては【良い】歯科医師に違いありません。

私の中で、

大きな変化が起こったのだと思います。

【良い】歯科医師の像が、

やっと、

おぼろ気ながら見えてきたようです。

患者さんに寄り添って、

患者さんの歯を守ること、

ろくに噛めていない苦しむ患者さんへの治療は、

長期間に渡り、

患者さんにも辛抱して頂かねばなりません。

その辛どい治療過程を過ぎねば、

難症例は治りません。

私らの治療は、

ヘアスタイルを変える仕事ではありませんので。

患者さんが苦しいとき、

私は常に寄り添いたいと思います。

そして、

すこしでも、

速く難所、関所を越えられるように、

私は毎日の修練と勉強は怠りません。

人が想像するよりも、

遥かに、

辛どい仕事です。

医師で在り続けることは、

医師になるよりも、

ずっと難しいことを

日々、実感しています。

私の歯科医学。

そろそろ、

次の段階を迎えたようです。

常に進歩し続けたいと思います。

 

もう来年?

週末の金曜日から上京し、

月曜日は新潟市へとんぼ返り。

で、

翌週の月曜日の羽田の朝1番のフライトで帰郷。

10時からの診療に間に合うように。

ですから、

診療が圧して、

忙しい日中を過ごしています。

また、

今年は専門書の出版も予定し、

昨年から自宅では、

ほぼ作家状態の私です。

実験も待ってはくれません。

今年は速く終わりそうな気配です。

 

父娘

仕事が終わってから、

高松駅の改札口に立っていました。

19時過ぎに到着する電車の到着を待っていたのです。

岡山県の中学にて寮生活をおくる娘を

昨夜は帰宅させたのです。

今日から1年の総まとめのテストがあるからです。

ホームから吹き付けてくる風は

とても寒かった!

父親って、

本当に馬鹿ですね。

到着した電車から、

大勢の通勤者に揉まれるようになりながら、

マフラーにコート姿の

小柄な娘の姿が視界に入るや、

駆け寄って、

明日は朝の4時半おきだから、

構内のドーナツ屋で朝食買っておこうか?

家で食事を済ませ、

先に入浴させて、

娘の部屋の勉強机に並んで座る私。

理科の総復習です。

私も中学校の科目には随分と強くなりました。

ただ、

出題者目線に変わったいた自分が可笑しかったですが。

で、

時に、

キツい言葉で、

娘に指摘します。

そんな時に、

娘は黙し、

スーと頬を涙が伝わっています。

こんなこと、

学校や塾に任せてしまいたい心境になります。

が、

子供の姿は私自身の鏡であると、

気がついたので、

アレコレ思案しながら、

娘に対応するようになりました。

色んなこと、

考えさせられます。

人生、全て勉強ですね。

私自身も、

仕事あとで、

心身共に疲労困憊です。

娘は実感できる時は、

自分が親になった時だと判っているのですが。

 

いってきます!

何処からか?

聞きつけてお越しになられるんでしょうね。

凄く勇気がいったんですけど。

新患の患者さんの皆さんが、

そう同じ台詞を仰られます。

私は広告は積極的に行っていません。

ホームページの掲載順位が上位になるような

SEO対策も全くしていません。

毎日のブログを認めることが、

私の患者さんなり、

大学の学生さんと繋がる手段だと、

ただ、それだけです。

SEO対策を

広告会社にお金払って、

して貰うなんて、

ヤラセじゃないかと、

私は思っていますので。

キチンと、

歯科治療の原則を厳守した治癒を行うこと。

誠実に患者さんと接すること。

そうすれば、

患者さんって、

増える一方ですよ。

私ですか?

真面目に、

患者さんが困っておられる症例を

考え、

考え、

悩み、

悩んで、

誠実な手当てに専念するだけです。

いつも考えているから、

普段でも、

厳しい顔してるんでしょうね。

でも最近では、

意識して、

ニコニコしているんですよ。

また新しい患者さんがお越しになられたようです。

では、

いってきます。

 

爆笑

私と同年代の女性患者さんとの雑談。

先生はウチの会長と

よ~く似ているわぁ!

と、ゲラゲラ笑うのです。

???

ウチの会長は、

朝起きたら、

神棚の前でパンパン!

次はお仏壇の前で読経。

で、

今日、ウチの会社の発展が在るのも、

神さん、仏さんのお蔭や!

それが口癖。

で、

嘘をつくのが下手で、

経理担当者に、

チョッとお金が要るんやがと云う際には

大概が小指ってバレバレ!

またゲラゲラ笑う彼女。

それで、

気がちっちゃいの!

私ですか?

涙だして、

一緒に笑っちゃいました。

でもね、

だから今日まで、

これだけメスを持っても、

無事故で来られたんです。

気がちっちゃい医者の方が

私は安全だと思うんですが。

普通のこと

お一人の患者さんの診療が一段落する度に、

院長室に戻って、

デスクに向かって、

書類に眼を通したり、

ブログを書いたりと、

そんな途中で、

次の患者さんがお越しになられます。

ですから、

診療以外の諸般の雑用は、

診療の合間を縫っての、

細切れ作業と言って良いでしょう。

でも、

時間がないから余計に集中して

目の前のモノに向き合えるのだと思います。

院長室と診療室の距離は随分と在ります。

待ち合い室の前の廊下を通り、

限界ホールを横目に、

階段を上り、

上がった先の聖ヨゼフの画を前に、

左手には手術室への廊下が進み、

右手には、

開け放たれた大きな木の二枚戸の向こう側に、

私の仕事場が在ります。

院長室から、

この仕事場への行程を、

1日に何度も往復します。

その間、

色んなモノが視界に入ります。

床の上の点状のゴミ、

棚の上の埃、

額縁の傾き、

その度々に、

私は必ず、

綺麗に整え直すのが習慣となりました。

患者さん用のトイレ、

玄関土間の靴の並びも同じです。

私は患者さんが大切です。

少しでも、

快適にお過ごしして下さいますようにと、

それは院長たる者の最小限のエチケットだと。

そのような些細なことに無関係な人は、

もっと、

もっと、

細かで、

繊細な、

歯科治療など到底できないと、

私は普通に思っています。

いと高きところには

商家の長男として育てられた私には、

長男としての責務が在ります。

たとへ、

商家を継がず、

歯科医師になったとしても。

代々の家の血の連鎖と

家のしきたりを

後代に伝えることです。

私の朝は早いです。

神棚のお供え、

そして、

かけまくも~かきこき~

で始まる祝詞を挙げ、

今度は、

お仏壇のご先祖にお供えし、

香を焚き、

きみょうむりょう~の、

経を唱えます。

で、

診療所へと出勤し、

やっぱり、

神棚のお供え、

そして、

大きな柏手を叩き、

院長室の観音さま、

幼い頃に、

近所の婆やから託された、

大切な観音さま。

お供えして、

般若心経1巻、

観音経1巻、

で、

観音さまのご真言と、

地蔵菩薩さまのご真言。

光明真言を唱えて、

そういう人生を普通に過ごしてきました。

それは、

患者さんの診療を仕事とする私にとっては、

大きな拠り所にもなっていました。

神様、仏さまが護って下さってくれる、

と云う自信です。

歯科医学に私は、

自分の人生の全てを捧げています。

だって、

他に何の取り柄もないことが判っていますから。

不思議な縁を得て就いた歯の仕事。

そんな私ですが、

ようやく、

その覚悟が自覚できたように思います。

歯と供に歩いた人生でしたから。

大晦日の朝、

教会のミサへと、

一緒に参加した息子が、

笑いながら言いました。

父ちゃんの臆病は極めつけやね。

神道に仏教。

父ちゃんの日頃決まりきった所作の真似は

誰もできません!

だって、

ずっと続けて来てる実績が在るからね。

これは犬なみの規則正しさやね。

で、

今度はロザリオ!

父ちゃんは、

何処まで不安なの?

でも、

守りは完璧やね!

これだけの信仰での完全武装!

私は、

息子に笑われても構いません。

人の身体を診療するってことの

責任の大きさは、

私を押し潰そうと襲って来るのです。

だからこそ、

一生懸命に歯を丁寧に手当てさせて頂く。

しても、

しても、

判らないことばかり。

だからこそ、

無心で綴る。

これが私の歯科治療です。

カトリックの神様との縁は

確実に私を一変させました。

許す。

受け入れる。

そういう意識が自然に芽生えたことだと思います。

難しい症例を前に、

心も頭も悩ませます。

優しい気持ちで

苦しみの叫びを挙げる

症状を難しくしている原因が、

自然と、

向こう側から私に

飛び込んでくるようになりました。

もっと、もっと、

高見に行きたいという、

歯と云う大きな頂への挑戦は

生涯続くでしょう。

この、

いと高きところには、

何が在るのでしょう?

その頃、

私は神様の掌に委ねられるに違いありません。

私は良い仕事に就きました。

 

原点に還る

若い時分に、

師匠である内藤先生が、

ご自身の診療所へ、

ロバート.リー先生をお呼びした機会が在りました。

開発者であるリー先生自ら、

パナデント咬合器の

メカニズムと考え方、

そして、

実際の使用方法と診断を

学ぶためでした。

師匠のご厚意にて、

私は師匠の背中に隠れるようにして、

当時の咬合学の巨星が

大げさなゼスチャーで、

師匠に語るのに夢中だったのを

今でも鮮明に覚えています。

パナデント咬合器システムを購入するには

当時の私には大きな勇気が必要でした。

一応、開業医ではありましたが、

借金の返済やテナント代、

それと、

アチコチへと勉強に出向くための交通費、

講習会費用の大きさは、

患者さんには想像できない位に

莫大なモノだったからです。

普通の会社員の方の経済状況の方が

絶対に裕福だったと断言できますよ。

当時の私は、

喉が乾くほどに、

歯科医学の吸収に必死だったと

振り返って、

そう感じています。

このパナデント咬合器と供に

四半世紀の診療生活を送っています。

歯科治療においては、

多くの【物指し】を持たねばなりません。

保存学的な物指し。

補綴学的な物指し。

外科的な物指しなどなど。

新しい治療方法や治療素材を評価する際には、

この【物指し】の精度が大切になります。

私の診療所は、

本当に歯で困った方がお越しになられます。

これからも、

私の自分の物指しの精度を磨かねばなりません。

それが医師の務めだからです。