日別アーカイブ: 2018年1月6日

爆笑

私と同年代の女性患者さんとの雑談。

先生はウチの会長と

よ~く似ているわぁ!

と、ゲラゲラ笑うのです。

???

ウチの会長は、

朝起きたら、

神棚の前でパンパン!

次はお仏壇の前で読経。

で、

今日、ウチの会社の発展が在るのも、

神さん、仏さんのお蔭や!

それが口癖。

で、

嘘をつくのが下手で、

経理担当者に、

チョッとお金が要るんやがと云う際には

大概が小指ってバレバレ!

またゲラゲラ笑う彼女。

それで、

気がちっちゃいの!

私ですか?

涙だして、

一緒に笑っちゃいました。

でもね、

だから今日まで、

これだけメスを持っても、

無事故で来られたんです。

気がちっちゃい医者の方が

私は安全だと思うんですが。

普通のこと

お一人の患者さんの診療が一段落する度に、

院長室に戻って、

デスクに向かって、

書類に眼を通したり、

ブログを書いたりと、

そんな途中で、

次の患者さんがお越しになられます。

ですから、

診療以外の諸般の雑用は、

診療の合間を縫っての、

細切れ作業と言って良いでしょう。

でも、

時間がないから余計に集中して

目の前のモノに向き合えるのだと思います。

院長室と診療室の距離は随分と在ります。

待ち合い室の前の廊下を通り、

限界ホールを横目に、

階段を上り、

上がった先の聖ヨゼフの画を前に、

左手には手術室への廊下が進み、

右手には、

開け放たれた大きな木の二枚戸の向こう側に、

私の仕事場が在ります。

院長室から、

この仕事場への行程を、

1日に何度も往復します。

その間、

色んなモノが視界に入ります。

床の上の点状のゴミ、

棚の上の埃、

額縁の傾き、

その度々に、

私は必ず、

綺麗に整え直すのが習慣となりました。

患者さん用のトイレ、

玄関土間の靴の並びも同じです。

私は患者さんが大切です。

少しでも、

快適にお過ごしして下さいますようにと、

それは院長たる者の最小限のエチケットだと。

そのような些細なことに無関係な人は、

もっと、

もっと、

細かで、

繊細な、

歯科治療など到底できないと、

私は普通に思っています。

いと高きところには

商家の長男として育てられた私には、

長男としての責務が在ります。

たとへ、

商家を継がず、

歯科医師になったとしても。

代々の家の血の連鎖と

家のしきたりを

後代に伝えることです。

私の朝は早いです。

神棚のお供え、

そして、

かけまくも~かきこき~

で始まる祝詞を挙げ、

今度は、

お仏壇のご先祖にお供えし、

香を焚き、

きみょうむりょう~の、

経を唱えます。

で、

診療所へと出勤し、

やっぱり、

神棚のお供え、

そして、

大きな柏手を叩き、

院長室の観音さま、

幼い頃に、

近所の婆やから託された、

大切な観音さま。

お供えして、

般若心経1巻、

観音経1巻、

で、

観音さまのご真言と、

地蔵菩薩さまのご真言。

光明真言を唱えて、

そういう人生を普通に過ごしてきました。

それは、

患者さんの診療を仕事とする私にとっては、

大きな拠り所にもなっていました。

神様、仏さまが護って下さってくれる、

と云う自信です。

歯科医学に私は、

自分の人生の全てを捧げています。

だって、

他に何の取り柄もないことが判っていますから。

不思議な縁を得て就いた歯の仕事。

そんな私ですが、

ようやく、

その覚悟が自覚できたように思います。

歯と供に歩いた人生でしたから。

大晦日の朝、

教会のミサへと、

一緒に参加した息子が、

笑いながら言いました。

父ちゃんの臆病は極めつけやね。

神道に仏教。

父ちゃんの日頃決まりきった所作の真似は

誰もできません!

だって、

ずっと続けて来てる実績が在るからね。

これは犬なみの規則正しさやね。

で、

今度はロザリオ!

父ちゃんは、

何処まで不安なの?

でも、

守りは完璧やね!

これだけの信仰での完全武装!

私は、

息子に笑われても構いません。

人の身体を診療するってことの

責任の大きさは、

私を押し潰そうと襲って来るのです。

だからこそ、

一生懸命に歯を丁寧に手当てさせて頂く。

しても、

しても、

判らないことばかり。

だからこそ、

無心で綴る。

これが私の歯科治療です。

カトリックの神様との縁は

確実に私を一変させました。

許す。

受け入れる。

そういう意識が自然に芽生えたことだと思います。

難しい症例を前に、

心も頭も悩ませます。

優しい気持ちで

苦しみの叫びを挙げる

症状を難しくしている原因が、

自然と、

向こう側から私に

飛び込んでくるようになりました。

もっと、もっと、

高見に行きたいという、

歯と云う大きな頂への挑戦は

生涯続くでしょう。

この、

いと高きところには、

何が在るのでしょう?

その頃、

私は神様の掌に委ねられるに違いありません。

私は良い仕事に就きました。