月別アーカイブ: 2018年3月

セラミックインレー VS ダイレクトボンディング修復

色んなこと

言われる歯科医師がいますが、

断然、

ダイレクトボンディング修復に軍配があがるでしょう。

術前です。

セラミックインレーの成れの果てです。

修復物と歯の隙間を埋める

セメントが溶けて、

ギャップが生じています。

当然、

この部分から唾液が漏れて、

修復物に沿って細菌感染が起こり、

内部でで大きな虫歯。

セメントインレーを外し、

虫歯を取り除きました。

隣の犬歯にも

セラミックインレーとの接触部分に

大きな虫歯です。

で、

どちらもダイレクトボンディング修復にて。

いかがでしょうか?

境目は全くありませんよ。

洗礼式に臨む

今夜、

桜町カトリック教会にて、

洗礼を受けます。

私にしては珍しく白のワイシャツを着て、

これは今では28歳になる娘が5歳の時に、

二人でシンガポールへ旅行に行った際に、

娘が選んでくれたエルメスのネクタイ。

ちっちゃなウサギと鶏、そして卵を散りばめた模様のネクタイ。

私の干支がウサギであることを

幼い娘は知っていたのだと思います。

モッタイないので、

大切に置いていました。

復活祭と云えば卵です。

今日の晴れの日に、

このネクタイを選びました。

この1年近く、

神父さんを始め、

多くの信者さんたちの助けを頂きました。

特に、

岡山県笠岡市在の田中稔子さまが居られなければ、

私はとっくに

匙を投げて逃げ出していたことでしょう。

凝り固まった私を

暖かいお気持ちで、

支えて下さいました。

聖母マリアさまへの親しみの気持ちは、

間違いなく田中先生の影響です。

笠岡教会では、

いつも私の脇にて、

ミサの進行の助けをして下さったのです。

アベ.マリア。

恵みに満ちた方。

主はあなたと共におられます。

あなたは女のうちで祝福され

御胎内のイエスも祝福されています。

神の母、聖母マリア。

私たち罪人のために、

今も、

死を迎える時も、

お祈りください。

アーメン。

マリアさまへの祈りを捧げる際に、

横で唱和する先生の声を忘れたことはありません。

楽譜の読めない私の讃美歌は、

間違いなく、

田中先生の歌声を耳から覚えたモノです。

辛かった時も、

田中先生は横に座って、

一緒に十字架を眺めながら、

私のために祈って下さいました。

これからも、

大勢の方のご厚意に甘えて、

私は成長しようと思います。

その中で、

私しかできないことで汗を流し、

人のために祈りを捧げて

より良い意味のある時間を過ごしたいと思います。

 

種を撒く話し

ついこの間、

日本歯科大学の藤井学部長から、

心に残る言葉を頂きました。

私には、

個人的には意見が全く異なっていても、

この人の指示であれば、

自分の想いを封じてでも、

素直に従い、

ひたすら務める。

そんな希少な人物が

この世に二人居ます。

一人が師匠である内藤正裕先生であり、

もうお一方が、

この藤井学部長です。

藤井先生が未だ母校の講師時代からのお付き合いです。

先生は私よりも学年は1年年少です。

本来であれば、

先輩の私の方が偉そうにできるのですが、

先生の物事を観る視点に

ある種の驚きを覚えたのです。

私には無い物差しをお持ちです。

ですから、

やはりスピードご出世なさいました。

で、

先生から頂いた言葉と云うのは、

三枝先生、観せるご自分をお考えになられる時期かと。

???

三枝先生、あなたほど歯の好きな人は珍しい。

好きな歯で飯が食えるあなたは幸せな人。

多くの歯科医師を送り出してきた私ですが、

あなたのように歯で楽しむ人を知りません。

ただ、

もうそれはそうと、

良い意味での大人になって下さい。

学生も若い歯科医師も、

そんなあなたが羨ましく、

何故そんなに、

ノビノビできる?

みんながあなたを観ています。

良い歯科医師を創りたい。

その想いと職責を

私は背負っています。

何故なら、

日本歯科大学の学部長になってしまったからです。

他の大学なら、

そんなこと考えなくても良いんです。

自分ちの国家試験の合格率だけ

考えておれば良いんですよ。

ですから、

苦しいですよ。

自分の悪口をしばしば耳にします。

それでも、

平然としているのも、

私の職責が在るからなんです。

私がプロの歯科医師を教育する臨床教授の仕事を

決意してお引き受けしたのは、

藤井先生の下で、

一緒に汗を流したいと思ったからです。

子供からしばしば言われる台詞が、

パパは身体が大人で心は子供。

先日、

息子との雑談の中で、

何気無く息子が言った台詞。

父ちゃんはある面、

アダルトチルドレンやな。

そうだと思います。

色々と自分で思う処が大いに在るからこそ、

私はカトリックの洗礼を受ける決意をしたのです。

大学院で博士号を取得して、

当時の私の置かれた状況では、

自分で申し上げるのもなんですが、

私はエリートコースにいました。

が、

私は指導教授を張り飛ばして、

これは今でも学内の語り草になっています。

私は大学を飛び出したのです。

母校とは無縁と云うよりは、

干された20年を過ごしていました。

田舎街高松市で、

コツコツと、

良い歯科医師でありたいと、

誠実に歯の仕事に向き合っていたのは

間違いありません。

自分なりの歯の理想郷を私の診療所に創ること。

それで私の生涯は終わるのだと。

そんな私を引っ張り出したのが、

この藤井先生です。

10年の間、

次々と、

先生は私にアレコレと注文をつけてこられます。

私はノセラレたんですね。

藤井先生の魅力に。

三枝先生、入学してうちの学生は先ずあなたの講義を聞かされます。

今時の若者にとって、

あなたを見せるのは一種のショック療法なんです。

で、

4年の時に、

保存学であなたに再会する訳です。

今学内の人間で、

あなたの仕事を知らない人はいませんよ。

もう準備が整ったようです。

附属病院で、

あなたの仕事の実際を観せてやって下さい。

どのような診断をするのか。

そのために、

どのような検査を行うのか。

どうして、

そのような治療方法を選択したのか。

患者とどのように接するのか。

この10年の間、

知らないうちに、

私は藤井先生から育てられていたようです。

藤井先生からの言葉を

重く受けとめ1つの結論に至りました。

決して権威を降りかざすことなく、

奉仕の精神の医療を行う教授であろう。

奉仕の心の種を丁寧に育てよう。

その良い種が、

全国各地で、

良い歯科医師となって芽がでるように。

新約聖書の中の、

種を撒く話しを

藤井先生と重ねて読んだのです。

 

新しい命

カトリックでの【洗礼】の意味は、

この世で一度死に、

復活し新しく生まれる

と云うことです。

今週末の土曜日が

復活祭の日です。

十字架で肉体の死を迎えたイエスさまが

復活された日を祝う

2,000年も続いた祝福の日です。

カトリック教会は1年を通して、

この最大のセレモニーの日を迎えるために

毎日毎日の祈りを捧げながら過ごしていることを

この1年を通じて知りました。

一般ではクリスマスが

キリスト教最大のメインイベントみたいに思っていますが、

それは違います。

私はその夜、

カトリックの洗礼を受けます。

享年55歳と云うことになるのでしょう。

そして、

父と子と聖霊の力によって、

新しい命を授けて頂ける訳ですから、

今度の人生は

大切に使う積もりです。

新しい名前は、

師匠である内藤正裕先生がつけて下さいました。

聖母マリアさまの夫、

大工ヨゼフが由縁です。

私の仕事は、

歯の大工だからです。

私は大工の人生に徹底しようと決意しています。

毎日の歯の仕事を、

歯の大工として、

とにかく丁寧に綴ること。

歯の大工として、

後進を大切に養成すること。

歯の大工として、

病気の新たな予防と治療の方法を

探し求めること。

ある面においては、

変わり者、

傾き者の私の姿勢を

母校は観ていて下さったのだと

知りました。

私は歯が好きで好きで溜まりません。

そんな私を

母校はジッと観ていて下さったと

知りました。

私は母校に対して、

生涯をかけて、

恩返ししなければ気が済みません。

今までの私であれば、

ただただ歯のオタクの仕事で済んだのですが、

これから私の為す仕事は、

日本歯科大学教授に相応する仕事でなければなりません。

その重圧は相当なモノです。

暮らしの中での、

所作から一切を

私は生まれ変わった事実で

証明しなければなりません。

毎日を祈りを捧げながら過ごし、

父と子と聖霊との交わりの中で、

私の指先に、

聖霊の力が宿り、

良い治療ができますように。

良い後進医師の教育ができますように。

良い学生教育ができますように。

良い研究によって歯学の発展に寄与できますように。

心を込めて神に祈り、

感謝と賛美を称えます。

 

 

 

 

私の母校

私の所属する日本歯科大学について、

少しばかり、

お話しさせて頂きます。

創立者は中原市五郎先生です。

長野県山間部の農家の生まれだと記憶しています。

先生は幼少期より、

片方の脚がご不自由であったとか。

少年から青年に至る頃でしょう。

先生は徒歩で上京されたそうです。

江戸幕末から維新の頃です。

当時の歯科医師の教育は、

徒弟制度で成り立っていました。

今で云う歯科医師国家試験は、

開業認定試験と云うもので、

先生も当時の制度で歯科医師となられたのです。

開国により海外からの進んだ制度の吸収に積極的であった政府は、

本格的な医学教育に力を注ぎます。

旧帝国大学に次々と医学部が設立されたのは

そういう事情です。

先生は歯科の事情を踏まえ、

我が国での歯科医師教育の充実性を強く認識されておられました。

そこで国に強く歯科医師教育機関の設立を求めます。

が、

歯科医師は医師に非ずという国の認識から

門前払いになったと云うのが現実でした。

ついに先生は私財を投じて、

ご自身の強い意思を実現される行動を採られます。

現代の皇居近くの、

パレスホテル付近になりましょうか。

共立歯科医学校を設立されました。

明治40年の学校設立法設定の伴い、

名前を日本歯科医学校へと変更し、

今の東京キャンパスの在る飯田橋へと移転し、

その後、

日本歯科医学専門学校から

日本歯科大学へと組織を進化させられたのです。

今でこそ普通に歯科医院で薬は処方されますが、

歯科医師は医師ではないと云う理由で、

当時の歯科医師には、

その権利はありませんでした。

注射も同様です。

薬の処方の権限、

注射行為の権限など、

日本歯科大学が働きかけて得た歯科医師の職域は

数限りありません。

口腔外科と云う標榜も

日本歯科大学の仕事の1つです。

ここに日本歯科大学が歯科の源流と言われる由縁があります。

昭和の成長期になると、

今では考えられませんが、

歯科医師数が全く足りませんでした。

そこで伝統校である日本歯科大学は動きます。

裏日本側の地域を選んで、

第2番目の歯学部を設立します。

昭和47年に新潟校が設立されました。

日本歯科大学のフロンティア精神の表れでもあります。

創立時の経緯から、

【自主独立】が建学の精神です。

現代においても、

国からの助成金を全く受けない唯一の大学であることからも

建学の精神は脈々と続いています。

大学の学長は、

市五郎先生からご子息の実先生へと引き続がれ、

その時代に、

日本歯科大学は先の大きな発展を遂げました。

当時の武見太郎医師会会長と歯科医師会の中原会長のコンビが

保険医総辞退と云う行動を一糸乱れず採ったことは

語り草になっていましたが。

今は実先生のご子息である泉先生がお務めになられています。

日本歯科大学は中原学校と言われています。

私たち卒業生は、

それを当たり前だと、

自然にそう思っています。

【歯学は私学によって創られた】とも言われます。

歯学は中原学校日本歯科大学の手で

進化しているからです。

近年、再生医療の観点から、

【歯のバンク】も東京キャンパスと新潟キャンパスに設けられました。

先の先を観て行動に移すと云う泉先生のお考えの結果です。

私たち卒業生は、

このような空気の中で、

歯科医学を学びました。

他校の卒業生と匂いが違うことは

当然の成り行きだと思います。

私は母校の教壇に立つ時には、

他での講演の際とは全く違った

大きな責任を感じています。

それは、

日本歯科大学の教壇に立つことの名誉を熟知しているからです。

一般の皆さんが、

歯科界の歴史や事情に疎いのは当然ですが、

我が国の歯科界は、

このような経緯にて今日あるのです。

 

 

決意も新たに

教授会にて承認されたと云う連絡を受けて、

数名の教授から電話にて、

祝福を受けました。

私は日本歯科大学にて、

歯科医学のいろはを学びました。

云わば、

此処が私の歯科医学の源流です。

この度、

名誉ある我が国最古で最大の歯科大学である

日本歯科大学 新潟生命歯学部 附属新潟病院 総合診療科の

臨床教授を拝命されました。

誠に名誉なことであります。

私の診療所と新潟病院の掛け持ちの生活になりますが、

もうこの生活にも慣れてしまいました。

学部の方も併任で歯科保存学を担当します。

私の好きな信濃川、そして萬代橋、

通りの柳に、

冬の雪景色は、

当分の間、

私の心を支えてくれるでしょう。

私は母校の門を叩いて、

青春期の毎日毎日を

歯一色で過ごす学生諸君が

可愛くてなりません。

伝統の日本歯科大学、

その伝統のなかに、

チャレンジの味付けで独自の教育を実践する

フロンティア精神溢れる新潟校が好きです。

精一杯、頑張りたいと、

皆さんにお約束します。

そして歯科医療不信感の高まる昨今ですが、

新しい良い歯医者さんの育成に

余生のエネルギーを費やす所存です。

といっても、

三枝デンタルオフィスが私の本拠地であることに変わりません。

私以外の歯科医師に留守を守って頂く気持ちはありません。

私の留守の日は、

スタッフの宮田君が電話番と

医院のメンテナンスや、

私の苦手なパソコンでの教材作りで、

診療所を守ってくれるので、

ご不安が在れば、

ベテランの宮田君が正しいアドバイスをしてくれるでしょうし、

直に私に連絡をとる体制は整っていますので、

ご安心ください。

診療が終わってから、

車で北陸道を駆け走り、

朝日を仰ぎながら新潟へ入り、

大学で仕事。

数日間滞在して、

再び、

仕事が終わってから新潟の高層ビルを後にして、

朝日を仰ぎながら、

鳴門大橋を渡り、

で、

高松で診療。

高松市と新潟市は850キロも離れていますからね。

夜に移動するしか、

時間の節約ができないのです。

神さまのお導きだと思っています。

私は生涯、歯の職人であり、

歯の番人であり続けることが、

私の生きる意味だと覚悟を決めましたので。

高松市、新潟市のピストン運行で、

残り人生を駆け走ります。

 

 

 

歯科医師の務め

今月の31日復活祭の夜のミサにて、

私はカトリックの洗礼を受けます。

倉敷市のノートルダム学園の校長先生でもある

三宅シスターも、

お忙しいなか、

立ち会ってくださることになっています。

私が手にする聖書は、

師匠である内藤正裕先生から頂いたもの。

私はなんと恵まれた者でしょうか!

その時を一刻一刻と、

朝の祈り、

夜の祈りを捧げ、

心の準備に入っています。

昨夜、

珍しい人を思い出して、

古い手帳を捲ってみたのです。

で早速、

携帯電話をかけました。

今の時代では誠に不謹慎な話しですが、

この国にもある時代には、

寛容な?部分もありました。

私には尊敬する叔父がいました。

私は確実に彼の背中を見て、

物事の判断基準を身につけました。

ただ、

誰しも欠点はあるモノです。

海軍兵学校を卒業し、

大戦を経験し、

その後に、

産婦人科の医師になった彼でした。

彼が聡明な伴侶に恵まれなかったことが

唯一の悲しい運命であったと思います。

その境遇と仕事のストレスから

逃れるためでしょうか。

彼は数名の女性との関わり合いがありました。

モテるんだから、

仕方がないじゃないか。

私は本心では、

そう思いましたし、

叔父を責める気持ちは毛頭ありません。

カトリック洗礼を受ける私は

戒律によりと云うよりも、

女性は世界で1番恐ろしいと

思うに至り、

もうその辺は卒業したのです。

ここだけは、

私は叔父よりも賢明になりました。

で、

電話をかけた相手は、

亡くなった叔父の

元交際相手以上妻以下の女性のうちの一人です。

私の声を聞いて、

あらぁ?尚登君?

何かあった?

私の学生時代のままの対応は、

かえって嬉しく感じました。

叔父の死後、

大いなる紛争が生じたのです。

よくある話しです。

その結果、

叔父の遺骨は、

未だに先祖の墓地に埋葬すらされておりません。

財産や権利、

様々な都合によって、

声なき叔父は、

浮かばれていないのです。

叔父の家は既に絶えました。

昨年、三枝家の墓地の隣に場所を準備し、

叔父を除く私の祖父母から

全ての先祖の遺骨と墓標を移転しました。

私の母方の先祖だからです。

血を受け継ぐ者の責務だと

自然な考え方だと思っています。

仏教の考えでの、

因縁をここで断つと云う思いで、

私は電話を入れたのです。

私がカトリックに改宗すれば、

私は三枝家の当主ではなくなります。

当然、

仏教の墓には入れません。

諸般、愚息との相談の上で事を進めたのは、

愚息がその役割を引き継がねばなりませんから。

無論、

お仏壇や墓地の日常の供養は、

今まで通りに。

愚息が一人立ちするまで、

私が代理で行いますが。

私のなかでのケジメをつけなければ、

愚息に申し訳がたちません。

昨夜、

無事に叔父の戒名と命日を記録することができました。

墓標に刻んでやれると、

一段階前に進んだのです。

遺骨は必ず戻って来るでしょう。

死ぬ間際に、

両手を合わせて、

讃岐に帰りたいと

涙を初めて見せた叔父ですから。

今、

私を取り巻く環境が大きく変わろうと

グルグルと回転し始めたように思います。

天のお導きを感じざるを得ないのです。

人の生涯と云うのは、

誠に短く儚いものでしかありません。

歯を診る、

そして、

人を治すのが、

歯科医師としての務めであることを

カトリックとの短い関わり合いですが、

気づいたのです。

 

 

私の根菅治療

今まさに根菅治療の最中です。

治療中なのに、

何でブログが書けるんだ?

レントゲンの現像待ちの間の

チョッと休憩中だからです。

が、

もう行かねばならないようです。

後は治療が終わった後に。

朝の10時半から始めた

下顎第1大臼歯の根菅治療です。

今12時です。

1つの根菅はMTAセメントにて

根菅充填まで終了しました。

マイクロスコープ視野にて、

根菅の先端まで視えますから、

確実な手当てができるのです。

先の休憩は、

そのあとの一服と云う訳です。

残りの2根菅は、

綺麗に拡大形成するまでで。

お薬を入れて、

次回、

根菅充填を行う方が良いと判断したのです。

この際には、

通常通りの方法にて行う予定です。

根菅治療の良し悪しは、

歯科医師の頭の良し悪しとは関係ありません。

手先の器用さで決まります。

これが悲しい現実でもあります。

だから、

私らは書物に向き合うのも大切ですが、

指先の鍛練も怠れないのです。

私の根菅治療の極意ですか?

ただヒタスラ、

シツコイに尽きることです。

主の祈り

昨日、

ふと思い立ち、

早朝ミサに出かけてみたら、

とても気分の良い1日を過ごすことができました。

で、

今朝も。

最初から、

そんなに気張ることはありませんよと、

高齢の女性が微笑みながら仰いました。

今朝のミサは、

四国司教さま自らが執り行った

とても厳粛なモノでした。

あぁ、清々しいと、

大いに満足し、

教会の地下から階段を登ると

日が射していました。

しかし、

変われば変わるモノだと。

大学2年の時に、

ラテン語の講義がありました。

私の成績簿には、

しっかりと欠点と記録されています。

講義は外部からの非常勤講師として

授業をサボっているので、

お名前は全く記憶にありません。

が、

教会の神父さんだったことだけは

はっきりと覚えています。

なぜなら、

お召しになった衣装と、

先生が黒板に向かっている際に

タイミングを見計らい、

教室の後方の窓から逃げ出す私の背中に

コラ!サタンよ!待てぃ!

それだけは明確に記憶しているからです。

息子の日常に

秘かに胸を痛め、

頭を抱える愚かな父である私です。

が、

当の私も、

今の息子の源流が自分であることを

大いに自覚していますので、

口を閉ざすしかありません。

少年老いやすく学成りがたし、

とは上手いことを云うモンだと

昔の人を大いに称え感心するのです。

それにしても、

ありがたいのは

技術の仕事。

勝手に手先が、

意識とは関係なく

動いてくれるのです。

身に付いたモノとは、

こういうことかと。

昨夜、

就寝前の読書にて、

お茶の水女子大の先生の随筆と聖書を

交互に眺めながら、

つくづく集中力の欠如を痛感しています。

この頃は、

若い人たちを

温かい眼差しにて

エールを送っている自分を感じています。

昨日、

日本歯科大学病院の副院長である黒川教授と

電話にて、

笑いながら雑談に興じ、

互いに、

悪ガキ大将の頃を懐かしみながら、

三枝よ、お前の役目だからな!

と、

念を押され、

私は頭を抱えたのです。

母校のシンボルマークを掲げた白衣を纏う責任を

私は十分に認識しているからです。

4月16日が、

大学での新しい仕事の初日です。

明確にされたことで、

心を整えるために、

主の祈りを唱えて過ごしています。

 

 

なんだコリャ?

私も随分と長い間歯科医師をやっていますが、

ある歯科医院から転院して来られる患者さんの

口腔の中を視る都度に、

なんだコリャ?

一瞬、

眼鏡なりルーペを外して、

眼を擦るのが常となりました。

セラミックで造られた大臼歯だそうな。

私は他の動物の歯を間違えて、

無理やり入れたのかと思いました。

このような状況で入っている訳です。

数万円請求されたとのこと。

上物がこの程度ですから、

根菅治療なんて、

そりゃ!凄まじいですよ。

類い稀な不器用と言う素質と、

綺麗、醜いの区別のつかない類い稀な視力と感性。

この修復はセレックによる製作物もどきですが、

いくら私がセレックを好まないにしても、

セレックも、

これほど酷い代物を造られてるとは

全く知らない、

見たことがないと思います。

モノには限度と云うモノがあり、

これは最早、

治療と呼べる領域のモノではありません。

歯科大生が、

初めて歯を削る実習の際は、

マネキン人形の口にセットされた人工歯で行います。

それでも、

この奇才の歯科医師よりは、

ずっとずっとマシに削りますよ。

国家試験は筆記試験ですから、

この奇才の方には幸運だったのでしょうが、

私の知る限り、

1位か2位を争うほどの

手先と眼をお持ちだと思います。

歯科医師は口が上手いのが

特なのでしょうか?