日別アーカイブ: 2018年3月18日

浪花の人情

大阪の街で、

珍しい人に、

50年降りに再会したのです。

心斎橋の大丸の前のアーケードで、

突然に、

声をかけられたのです。

尚登ちゃん?

55の親父に尚登ちゃんはどうかと思います。

が、

確かに、

尚登ちゃんの主は、

この私です。

怪訝な表情だったのでしょうね、私の顔が。

が、

思い出したのです。

淀屋橋のうどん屋のお姉ちゃんではないか?

変わり果て、

すみません。

70をとっくに過ぎて居られるようでしたので。

何故、判ったンですか?

お尋ねしたら、

偶然に前に立つ息子が、

私に話しかける声と顔。

それで一気に

時が半世紀も前に遡ったのだそうな。

近くのお団子屋にて、

息子には聞かれたくはない話しで、

散々に笑われ、

また、

息子の心のなかにあった、

何処の家にでもある筈の疑いは

お姉ちゃんのお蔭でもって、

晴れて私は無実の身となったのです。

で、

大丸百貨店へと入り、

あれやこれやと、

講釈を受ける長い時間となりました。

お店は未だご健在のこと。

携帯電話が嫌いで持ちませんのです。

店の電話をお伝えしますと、

手を振って別れたあとに、

お姉ちゃん、

また駆け走り戻り、

晋太郎ちゃん、

うちは何時でもタダやさかい。

あぁ、浪花の人情は未だ健在であったことに

感動したのです。

夙川教会のミサにて

今、

ミサの儀式が終わった処です。

夙川教会は、

日本で2番目に古い教会だそうな。

会堂の中、

正面に、

大きな聖母マリアさまの御像が。

お優しいお顔で、

私たちを見守って下さっておられます。

生きると云う当たり前の時間の中で、

心の汚泥が溜まるのを感じる頃、

私はカトリック信仰の縁を頂きました。

生きることはシンドイですよ。

週ごとのミサにて、

私の心の汚泥は消しさるのです。

 

父息子

21の息子は、

何でも酒を断ったとのこと。

あれだけ呑めば、

誰も留めることはないだろう。

飯で腹いっぱいになったら、

帰りたくなった。

近くの息子の住まいへと向かい、

犬のアール君を挟んでの川の字になって、

聖書の話しから、

歴史から職業感へと

話しは巡り、

眠ったのは午前の4時であった。

10時から夙川教会でのミサを受けようと、

今は大急ぎの最中である。

魚慶と云う小料理屋にて

阪急苦楽園口前の広場を

上島珈琲本店に向かっての通りに

至る直前に、

春の訪れにブレーキをかけるような木枯らし。

夜も8時は回っていたので、

小腹もすき、

そんな瞬間に、

視界に入った店が

【勘働き】の対象となったと云う塩梅。

開店して2年と云うこと。

この付近の店は、

ある面において恐ろしいもの。

関西1の高級住宅地を付近に控えていることから、

目と味に肥えた人が暮らす処だから。

焼き鳥屋も多いが、

これらは通勤のサラリーマンの憩いの場であろう。

心が疲れきって、

さ迷うがごとくに訪れた私が、

サラリーマンの騒ぐ居酒屋は、

この時は敬遠させて頂き、

長年の遊び人の自分の勘に託したのである。

何でもご亭主の誕生日であったそうな。

私より年少の53歳。

愛想の良い女将は大阪堺市の床屋の娘。

店の名前の由来を聞けば、

父の理髪店を誰も継がなかった申し訳なさから、

父の店を屋号にと。

今時、優しい女性である。

料理の味に触れないのは、

確か鮮度と、

確かな手当て、

文句のつけようがないのは、

私の見立てには、

間違いがないからである。

運転手役の息子は烏龍茶を2杯。

私は久しぶりに、

新潟の酒を相当飲んだ。

若者を連れて、

こういう店に行くには覚悟がいるが、

会計はなんと1万円で野口英世と小銭のお釣が帰るのに

思わず、

女将の顔を覗き込んでしまった。

こういう店には、

無理してでも、

通わねばならない。

商いは3年目からが勝負である。

皆で育てて、

親父の腕も更に磨きがかかると云うもの。

最近の関西はだらしない。

格好だけの東京との勝負を棄てている感がある。

東京なんぞ、

所詮は田舎者の集団である。

味でも、

価格でも、

気遣いにおいても、

久しぶりに良い店であった。

名前は【魚慶】と云う。

グルメ雑誌や、

テレビのグルメレポーターの味音痴と、情報収集の怠慢で、

この店は光があたっていない様子。

私は大いに満足至極であった。