日別アーカイブ: 2018年4月30日

祈りの医療

自然科学の世界に身を置くからこそ、

人文科学をも嗜むことが肝要なんです。

カントやデカルトをも、

読んで、

それでも信仰を持つ。

その辺りは、

島国農耕民族である日本人にはない、

西洋人の奥深いメンタリティを

西洋の医師のなかに

日頃の付き合いから感じます。

歯科医師として、

誠実に、

歯と向き合ってきた自負はあります。

自分の家族にしたい治療を患者さんへ、

そんなモンは、

哲学でも、

何でもありません。

人の当たり前の道ですよ。

道徳です。

誰それだけの、

特別な崇高な精神でも

何でもありません。

こういう時の

言葉なり単語の使い方って、

教養とか、

育ちの違いから

変わるんでしょう。

科学を学べば学ぶほどに、

目には見えない偉大な力を

感じざるを得ない。

で、

それが、

禅宗でも、

ヒンズー教でも、

私の場合は、

カトリックに行きついたのですが、

日々の治療の中で、

手を動かしながら、

患者さんのために、

祈りを捧げるのです。

それが、

私がたどり着いた、

医師の心ともでも言えましょうか。

キリスト教だって!

カトリックだって!

三枝は、とうとう頭が狂ったぞ!

てな台詞も、

耳に入ります。

ただ、

それって、

同業者だけなんですよ。

不思議ですね。

私の気持ちは、

歯で本当にご苦労されている方には、

シッカリと伝わるモノなんです。

私の意地みたいなモノですからね

つい、

この間の、

3月31日の、

カトリック最大のお祭りである

復活祭の夜、

 

私は洗礼を受けました。

隣に居られる修道女は、

岡山県のノートルダム学園の校長先生である

三宅シスターです。

この日を

私はずっと待っていたように思います。

ミサの儀式の中の、

イエスキリストが、

捕らわれの身になる

前の夜に、

弟子たちを集めて、

仰せになります。

パンを取り、

これを割って食べなさい。

これは私の身体。

食事の終わりに盃を取り、

仰せになりました。

これを飲みなさい。

これは私の血の盃である。

その台詞、台詞は、

この夜は、

四国地区の司教さまが

役割を演じておられました。

私は、

この司教さまのミサは

崇高な味わいがあって、

楽しみにしています。

私は本当に果報者です。

好きな仕事に就けて、

自分のスタイルを貫いて、

今日まで、

で、

信仰も、

自分の信念に乗っ取り、

葬式の進行プログラムも、

息子と神父さんに、

こんこんと、

くどく、

お願いしているのです。

好きな讃美歌と、

聖マリアさまへの祈りの中でと。

自分の流儀を貫き通した

我が儘坊やとしての

意地みたいなモノがあるんですよ。