月別アーカイブ: 2018年5月

本音

本当は、

対人関係が苦手です。

ですから、

読書、自動車の修理、犬と遊ぶ。

患者さんとの関わり合いですか?

それは、

別物です。

自分の専門知識と技術で、

患者さんが喜んで下さいますから。

大学での仕事でも、

大勢の人と関わり合いを持ちます。

正直、

色んな方がいらっしゃいますから、

ストレスは増えました。

でも、

スレていない学生諸君や若い世代の歯科医師は

カワイイですから。

やっぱり歯が好きなんデスね。

インプラント治療に対する私の考え方

現在、資本主義のルールに乗っ取り、

医療系企業も生き残りをかけて、

より大規模な企業へ変化せざるを得ず、

合併と吸収を繰り返しています。

インプラント製造販売メーカーも

その流れに対応していることは間違いないでしょう。

30代の前半の頃、

今ではスウェーデンの企業ではなくなり、

ノーベルバイオケと会社の名称も変更した、

当時のノーベル・ファルマ社のブローネマルク・インプラントの

講習会のインストラクターとして、

現場の歯科医師への教育に参加した頃と、

現在のインプラント治療の様変わりには、

時代の流れをヒシヒシと感じています。

私の臨床の中で、

インプラント治療の適応と手順は、

ほぼ確立されています。

少しづつ工夫を加えてはいますが、

大きな幹は変わってはおりません。

歯に代わる人工の歯根を

長持ちさせることと、

安全な手術を行う。

その2点に徹底しています。

医学の進歩によって、

人類は寿命の延長という恩恵を受けています。

しかし、

骨格、筋肉、循環系、神経系の

老化から逃れることはできません。

高齢化に伴い、

唾液などの体液の分泌量も減少します。

当然、

反射機能も低下することはお判りでしょう。

そのような人の老化という過程の中、

私の手当てしたインプラントという

生きる糧を得るためと、

生きる喜びを味わう食のために、

絶対に必要不可欠な

噛む道具が、

長い風雪に耐えるようにと、

それが最優先事項だと考えています。

 

良いじゃないですか!

中学2年の娘の授業参観に行ってました。

で、

驚いたのです。

私の強い要望にて、

公立中学ではなく、

県外のミッション系の学校に入学させたのです。

教室の教壇の黒板の真上に

【主の祈り】の額縁を掲げているのを観て、

ソリャそうだ!

ごもっとも!

政治や教育と

宗教の分離を

声高々と、

そんな風潮に対して、

逆に違和感を持っていた私ですから、

カトリック精神のある教育機関を選んだ訳で。

【主の祈り】は、

朝に夜に、

毎日唱えているのですが、

これは宗教というよりも、

【道徳】の範疇にある

人の道だと思うんです。

【主の祈り】以上に、

私は1日に何度も

心の中で

【聖母マリアへの祈り】を捧げます。

例えば、

患者さんの診療に際して、

チェアーを倒し、

ハイ、お口をお開け下さい!

と、

お声かけする前に、

心の中で、

患者さんのために祈りを捧げるのです。

無論、

口には出しませんが。

診療行為という行いは、

神聖なる行いだと信じています。

確固たる診断と手当て、

そして、

患者さんへの愛情。

全力で診療に取り組んでいます。

でも、

私は生身の人間ですから、

もしかしたら、

間違いがあるかもしれません。

神さまは【万物の創り主】です。

その創造主が人間社会に送った

イエス・キリストの生母たるマリアさまです。

神さまもマリアさまからのお願いだったら、

聞き入れて下さるに違いない。

そんな想いで、

【聖母マリアへの祈り】を

治療の度に捧げるのです。

それが宗教的で、

医師の行いに反するのですか?

【経営理念】や【医療の効率化】を

重要視することの方が、

医師の道だとお考えですか?

いいぞ!いいぞ!

ノートルダム清心学園。

どんどん言って下さい!

【清き心で、愛の人であれ】

この建学の精神は青少年じゃないか?

女子校ですから、

なんて言うのでしょう?

教育の根っ子の最も大切な肝心処です。

【主の祈り】

いいじゃないですか!

 

【主の祈り】

天におられる私たちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり、

地にも行われますように。

私たちの日ごとの糧を今日もお与え下さい。

私たちの罪をおゆるし下さい。

私たちも人をゆるします。

私たちを誘惑におちいらせず、

悪からお救い下さい。

【聖母マリアへの祈り】

アヴェ・マリア、

恵みに満ちた方。

主はあなたと共に居られます。

あなたは女のうちで祝福され、

御胎内の御子イエスも祝福されています。

神の母、聖マリア。

私たち罪人のために、

今も、

死を迎える時もお祈り下さい。

 

 

診療所のお掃除オバチャン

診療所のお掃除オバチャンとして、

今月から、

週に3、4日、

朝の9時から午後の3時過ぎまで、

診療所の至る所を

ピカピカにしてくれるHさんは、

元はと言えば、

長い間の私の患者さんの一人です。

御年72歳。

御亭主は76歳のお子さんには恵まれ無かったものの、

仲睦まじい老夫婦です。

Hさんは2年前に、

胃癌にて胃を全摘しました。

ガリガリに痩せて、

お綺麗な方でした事が、

余計にさんには堪えたのでしょう。

死にたい、死にたいと、

繰り返して、

苦悩に喘ぐ日々を観るにつけ、

高松市在の方でしたので、

毎週、毎週、

口腔内のクリーニングだと理由をつけて、

診療所まで、

それをHさんとの約束事にしたのです。

長年、通って頂いた大切な患者さんです。

誤解されると辛いので、

申し上げますが、

お代は頂いておりません。

私の顔を観て、

先生、私は大丈夫かしら?

毎週の定例行事となって1年少々。

折角に神さまが下さった残りの貴重な時間です。

チョッと、

私を助けて頂けませんか?

えっ?

私の診療所はご覧の通り広いですし、

アレコレ私の収集品を飾っています。

埃を払ったり、

階段の手摺を拭いたり、

額の拭き掃除やアレコレ。

お掃除オバチャンやって下さいませんか?

裕福な方に申し訳ありませんが、

時給はこの程度で勘弁して下さい。

私の診療所は大勢人を雇うほどの大規模歯科医院ではありませんから。

という塩梅にて。

ご実家が関西地方の旅館を営み、

そこで育ったことと、

大学を卒業したあと、

神戸のホテル勤務の時代があったこと。

ホスピタリティについて、

私のこだわりは、

長年の患者さんとしても、

重々承知のHさんです。

今ではスッカリと打ち解けて、

私をスタッフと共にからかう程に元気になられました。

私の洗礼式には、

ご夫妻で参加し、

私の現生での死と復活の儀式を観て、

グッと互いの距離感が縮んだような気がします。

人は誰かのためにお役にたつと気づいた時、

力を発揮するという言葉を、

Hさんの日々の姿に思い出すのです。

私が良い診療ができますように。

私の患者さんが快適に診療所で過ごせますように。

Hさんの祈りのお掃除です。

インプラント修復の設計の転換点

超高齢化社会をわが国を含めた先進諸国が

初めて経験しています。

写真の男性は76歳。

最近、脳梗塞の発作を経験されました。

現役時代にはバリバリのクリエイティブプロデューサーとして

ご活躍されておられました。

引退するでもなく、

仕事をセーブしながら、

趣味程度の仕事量と

それこそ趣味を楽しみながら、

ゆっくりと、

人生の残りを、

階段を降りてゆくんですよ。

そんな風に仰っておられました。

が、

脳梗塞の発作が氏をスッカリと豹変させたのです。

無力感漂う老人と化し、

一時は私も相当に心配していました。

一気に唾液の分泌量が減りました。

修復物周辺に虫歯が多発し始めました。

あれほど丁寧なブラッシングテクニックを

身につけた紳士たる氏の手指は、

後遺症、それは軽度ではありましたが、

氏の思うようには動いてはくれなくなりました。

写真の最後部のクラウンはインプラント修復です。

その手前の歯の欠損部分は、

私の抜歯に依るものです。

ご家族構成を考えると、

後には、

施設管理の整った介護施設に入居される可能性は否定できません。

歯の欠損した部位の顎の状況は、

私の頭の中には、

完全に把握できています。

インプラントの手術に適応する骨はあります。

しかし私は、

あえてインプラント修復を選択しませんでした。

最後部のインプラント修復のセラミッククラウンを外して、

これは容易に行えます。

インプラント修復の際には、

仮セメントにてクラウンをいつでも外せるように手当てしています。

その訳は、

クラウンの下部にあるアバットメント・スクリューの

締まり具合を定期的にチェックするためです。

で、

インプラントには入れ歯が噛みしめた際の

沈下防止装着として

最後のご奉公を託すことにしたのです。

部分入れ歯であれば、

介護施設において、

訪問診療の歯科衛生士の手を煩わさないでしょう。

また、

インプラント周囲の清掃も容易に行えます。

部分入れ歯の金属フレームワークです。

大きな穴の開いた部分にインプラントの沈下防止装置が適合する設計です。

今、インプラント治療における、

修復方法の転換点を模索しています。

お元気な時代にはクラウンにて、

バリバリ食べる。

そして口元お美しく。

でも、

高齢者となり寝たきりになったり、

不幸にも脳疾患などで寝たきりになったり、

そのような際には、

インプラントは入れ歯の1装置へと

使用目的を変えて、

積極的に部分入れ歯に変えるべきだと、

私は考えています。

【ああそうだ・これをしよう・あの人のために】

ノートルダム清心理事長 故渡辺和子シスターの言葉

手の感覚

通常の診療において、

素手で、

手当てしています。

感染防止のためのゴム手袋を

私は装着していません。

ゴム、ラレックスの数ミクロンの厚さが、

手当ての感触に

差し障るからです。

患者さんの診療をお受けする際には、

採血を含めた内科対診を

お願いしています。

感染症を含めて、

患者さんの内科的な詳細は、

私の側では完全に把握してから

私は治療に着手しています。

ですから、

私も安心して、

素手で腕を奮えるのです。

回転スシ屋で、

素手で寿司を握る機会を観る事はありません。

ブカブカのラテックス手袋で、

サッサと手際よく、

その光景に違和感を感じません。

が、

鮨職人の芸を売り物にする店では、

逆に、

手袋はあり得ませんね。

お客さんの側も、

そのような店で、

職人さんがラテックス手袋はめて、

鮨握るなんて、

思いもつきませんよね。

私は歯の職人ですから、

手先の皮膚1枚の感覚を大切に考えています。

情熱のブラッシング.トレーニング

歯科治療の基本はブラッシングです。

ブラッシングを疎かにする歯科医師は、

ブラッシングに泣く羽目になります。

プラークコントロールという言葉が一般的になりました。

それでも、

日本人のプラークコントロールはまだまだというのが現実です。

患者さんに対するブラッシング.トレーニングを

私はとても重要視しています。

治療にお越し頂く度に、

毎回、毎回、

治療の初めに、

ブラッシング.トレーニング。

これは三枝デンタルオフィスの普通の治療の流れになっています。

現実は

歯の修復治療を行うに際して、

患者さん個人の持つ【噛み合わせ】を

尊重しつつ施術できる場合と、

歯列矯正治療を先行してから、

修復治療を行う方が望ましい場合があります。

患者さんの側からすれば、

その辺は認識されておられません。

歯科医師にとっても、

その線引きは難しい問題ですから、

当然の事だと思います。

そもそも、

歯に修復治療を施す事を前提に、

口腔を神さまはお造りになっておられません。

修復治療は自然に反する

矛盾をはらんだ、

致し方ない行為とも言えましょう。

ですから、

歯科医師たる私は、

修復治療を行うに際して、

悩みに、

悩むのです。

夜、

寝床から布団を跳ね起きる機会も

たびたびあるのです。

歯を長持ちさせたいと、

その想いに、

日々の診療にモガイテいるのです。

治療の結果、

本当に喜んで下さいます。

それが私の原動力です。

医師と宗教の関わり

宗教と政治についての、

自己意見は、

控えることが望ましいと、

歯科医師に成り立てのころ、

上司や先輩から教わりました。

それは、

患者さんが減るキッカケになり得るからというのが、

その訳でした。

あれから30年以上経過しました。

私の人生は、

歯へ情熱を注ぐ。

ただそれだけであったと言って良いでしょう。

政治向きの話しについては、

今の政治は、

古来の、

人類が誕生し、

水と土地を治めることから始まり、

神の声と関わりながら、

豊穣を祈るという神事と一体となり、

それが国造りの手段へと進化した政治とは

大きく異なっています。

政治について語るほどの知識もありませんし、

政治ができる政治家の名前も知りません。

宗教にかんしては、

ある時から積極的に、

自分の考えを表現することが、

医師の義務だと考えるようになりました。

他宗教の医師から診察を受けるのは嫌だということを

防ぐように、

自分の宗教を語ってはならないという意見を持つ医師の

了見の狭さを悲しく思います。

患者さんをお客さんと観ている証です。

医師は、学・術・道の鍛錬を

生涯、

自分が自分に要求し続けて、

葛藤の人生を過ごすが定めです。

何処のホームページを見ても、

簡単に【院長の哲学】って単語が

使われています。

そういう場合に限って、

哲学の定義とは無関係な、

単なる想いでしかありません。

哲学とはもっと重い意味合いを持ちます。

哲学は、宗教無くして語れません。

技術を極める。

この姿勢は、

私にとっては日々の習慣となっています。

決して特別なことではありません。

学問を続けてゆくことも、

専門職の義務の一つです。

最後の【道】について。

患者さんサイドが、

ご自身の大切な身体を預ける医師を

ホームページの経歴だけから判るんでしょうか?

大切な患者さんだから、

私は全てを曝しているのです。

カトリックにはカトリック独自の

原理原則があります。

人の幸せを祈る。

人の幸せを祈る。

苦悩も神さまからの恵みの導きだと。

此処にカトリックの医療との関わりを

大いなる生きる道しるべだと。

私の洗礼を公開したとき、

沢山の祝福を頂きました。

師匠からは聖名と、

お身内の描かれた聖父の肖像画を。

これは私のこれからの人生の大きな指標となってくれるでしょう。

また、

ブログの読者である医療人の方々からも、

多くの祝福を受けました。

実は私も洗礼を受けていたんだが、

人には言えなかったんだよ。

そういう旧来からの知人が多い事にも驚きました。

そのような方々は、

歯科会、医科会ではビッグネームの方々ばかりです。

三枝先生、よく言ってくれた。

あなたは勇気があるわ!

皆さんが口々にされました。

そうでしょうか?

私の信じる道を患者さんに語る。

私にとっては、

至極普通のことでありますのに。

医師が白衣を纏うのは、

無垢の心で患者さんを抱擁するためです。

無垢なことは、

患者さんのために祈りを捧げる。

これが医師としての【道】だと信じています。

診察室前の小スペースに飾った師匠からの贈り物。

聖ヨゼフの肖像に、

聖母マリアさまの御像が加わりました。

皆さんからの祝福受けるた贈り物です。

 

 

 

 

歯の駆け込み寺

審美歯科治療とインプラント治療の

なれの果てのような、

悲惨状況に至った新しい患者さんがお出でになりました。

口腔内の治療の考えの無さにも

大いに驚いたのですが、

もっと驚いたのは、

その治療費用の高さでした。

私の診療所は健康保険の治療は行っていません。

ですから、

全て健康保険での治療を望む方には、

私の診療所は高額な歯科医院だと思います。

しかし、

最近の歯科医院では、

行けば必ず、

自費治療を進めてくる筈です。

そういう姿を

私は哀れな歯科医師だと

思っています。

自費治療を進めるなら、

最初から、

健康保険治療を辞退して、

真っ向勝負で自費治療で勝負せよ。

窓口を広くして、

高い治療へと誘うなよ!

そんな風に思っています。

で、

そういう歯科医院の自費率ってヤツは、

私はプロですから、

よく判るんです。

滅多にない自費治療だから、

べらぼうな高い治療費用を提示できるんでしょう。

マイクロスコープを使っているから

1本幾らです。

そんなのは卑しいヤツのする事です。

毎日、毎日を、

途切れなく患者さんの診察をしています。

幾ら自費治療って言っても、

常識ってモンがありますよ。

ただ、

歯なんかにお金をかけたくないって言う人も居られるでしょう。

それはそうで、

人様々ですから。

でも、

私は歯科医師です。

生涯を捧げる歯を、

歯なんかと思う方には、

私は逆に遠慮させて頂きます。

その辺りは、

私は強気です。

歯で困って、

本当に助けて欲しい!

そんな患者さんの駆け込み寺が

私の診療所です。