日別アーカイブ: 2018年11月29日

本当ですかね?

人手不足が緊急課題だとか。

会社経営者の多い私の患者さんからも、

従業員確保に頭が痛いと、

頻繁に耳にします。

ソレって、

景気が良いってことですか?

私の診療所は、

歯科医師が私ひとり。

診療チェアも1台のみ。

1日に診察できる患者さんの数が決まっていますから、

景気の良し悪しに関係ないんです。

ただ、

出張が多いですから、

新潟市なんかも、

そうですが、

ドンドン、

景気が悪化しているように感じるんですが。

大阪市も同じです。

神戸市も、

岡山市も、

無論、

高松市も。

商店や地元経営者の悲鳴、

あるいは、

諦めムードを

感じるんですが。

あと、

あの休日の多さ。

大丈夫なんでしょうか?

国土も狭い。

資源も乏しい。

人口も減少し高齢者が増加する。

今こそ、

日本人は、

ガムシャラに働かねばならない時なのでは。

私が古いんですかね?

 

師の姿が弟子たちに与える影響の重さ

毎月の楽しみの1つに、

母校から送られてくる

校友会の会報と新聞。

ペーパーレスの時代のなか、

あくまでも紙面にこだわるのは、

中原泉学長の主義なのだと、

学部長が微笑みながら

仰られておりましたのを、

耳にしました時には、

とても心が温かい心地になりました。

会報の中でも、

私を首を長く待たせてくれるのは、

中原泉1枚の写真と云うタイトルの、

言わば、

学長先生のエッセイ・プラス・回顧録・プラス・メッセージ。

先生の言葉の使い方に、

私は降参するのです。

それと、

必ず、

ピシッと決める

辛口の利いた先生の意見。

今回の決め台詞は良かった!

【自分の専門とする学問の歴史に無関心な人は軽蔑する】

毎月、

私は学内キャンパスに設立されている

わが国唯一の【医の博物館】へと

脚を運ぶのです。

その展示物の歴史上の偉人たちの姿や著作の放つ

静寂さと圧倒的なエネルギーに

日々の暮らしからの惰性を

修正することが出来ることを

感じたからです。

これも、

師からのかけがえのない贈り物なのだと。

私にとって、

学長先生とは、

雲の上の方。

学内でお姿を見かけた際には、

目立たぬように、

直立不動で最敬礼で。

恐れ多くて、

正視できるような方ではありません。

が、

私は確かに、

この学長先生のお考えの基での

歯科教育を受けました。

それは、

今になって、

私の大きな誇りとなっています。

いつも、

顔も知らぬ学生たちの目に、

私ら教官は曝されています。

で、

自分流スタイルが、

いつ、

学生たちの生き方に

開花のキッカケになるかもしれません。

そう感じたさせてくれる機会を

与えて下さったのが、

学長先生からの紙面なのです。

 

自分流スタイル

グッと、

寒さが迫って来ているのを

日ごとに

身体全体で、

感じる今日この頃です。

通勤の際の

私の格好は、

真夏でも、

ベストにスーツの

スリーピース姿で通しています。

冬は、

その上から、

カシミアのロングコート。

他人目からしたら、

毎日を同じ服でと。

否、

そうではありません。

同じスーツを何着も持っており、

キチンと、

毎日、

取り替えていますよ。

ただただ、

自分の見せ方を

変えたくないのです。

変化をつけるのは、

ワイシャツとネクタイでと。

お洒落感も、

人さまざまですが、

これが私の流儀なんです。

この頃、

つとに思いますのは、

人の身体を与る医療職に就く者は、

後進たちや、

学生諸君、

そして、

私に任せて下さる患者さんたちの前に、

真摯な姿で、

居ることだと。

決して、

派手でもなく、

埋没するような自己主張の無い姿ではなく、

控えめではあるけれども、

圧倒的なオーラを放つこと。

それが特に、

私らの年代の男には

必要だと。

これは女性とは、

大きく男が違う

所以だと思うのです。

日曜日ごとに

執り行われるカトリックミサでの

司祭の姿は、

誠に美しいモノです。

所作、表情、言葉、

何処をとっても、

誠に美しい。

これは、

恐らく、

司祭の日々の過ごしようと、

決意の継続の結果の賜物だと思うのです。