日別アーカイブ: 2018年12月12日

歳代わり

最近、

食の好みが、

変わってきた事に気づきます。

越後新潟の人には、

理解できないでしょうが、

讃岐の人は、

鰺の三杯酢など、

淡泊な味を好むようです。

また、

醤油豆など、

昔の私なら、

馴染みの無い味。

それが、

この頃、

妙な具合に。

この季節柄、

頂きモノが多いのですが、

最近では自ら購入しなくなった

牛ステーキを。

刺しの効いた

恐らくは

恐ろしいほどに

高級な肉なのでしょう。

それが、

キツいのです。

二切れほどで、

ギブアップ。

そんな事が、

歯科治療においても

芸風が、

自分でも意識できるほどに、

激変しています。

それが、

結果良好になってきているのも、

事実です。

ソレを他人は

経験上から基づいたモノと。

そうかもしれません。

人間という動物の体力の低下を

真面目に問いかけてきた事は確かですから、

明言できますが、

補う第6の感覚が生じるのでしょう。

 

 

支え棒

【口に出したらどんなに楽だろうと思う日に

聖母の心に納めて生きる姿が私を制してくれた】

故渡辺和子シスターの言葉です。

グサッとパンチが効いてます。

カトリックは許しの宗教、

愛の宗教です。

何時でしたか、

日曜日の教会のミサにて、

司教さまが皆に問いかけました。

【果実を搾ると果汁が出でて、

では、

人をトコトンまで搾ると

最後は何が残るでしょう?

それは愛です。】

コレも、

グサッとパンチが効いてます。

今の私には、

そのような境地には、

ほどほど遠いのが本音です。

が、

私も、

そのように、

普通に言える、

そのような境地に至りたいと。

重いのにも拘わらず、

毎日の通勤での手にする鞄に

忍ばせた

聖書と、

ドクター.オスラーの講義録。

私の支え棒となってくれています。