日別アーカイブ: 2020年2月10日

祈りの人

困った時の・神頼み、

という言葉が・あります。

受験なり、

仕事での受注希望だったり、

家族や自分の健康上の事だったり、

果ては、

人間関係だったり。

人の欲望に際限は・ありません。

望めば・望むほどに、

人は、

四方八方に助言を求めたり、

最後は、

神仏から・ご先祖様も、

総動員してまでも、

祈ります。

かく言う私も・そうでした。

しかし、

人生は・甘くは・ありません。

祈りの甲斐なく・という結末も、

何度となく経験して今日に・至っています。

で、

未だ未熟な私ですが、

私なりに・肝にストンと、

落ちた心境が、

ある人を見ていて、

生じたのです。

祈りは唱えるのではなく、

祈りの人になる。

その・ような心境の変化を、

確かに・感じとったのです。

信仰を持つという行為・そのものを、

変な奴と、

非科学的な根拠に、

蔑まれる機会を、

この国では、

頻繁に経験します。

私からすれば、

非科学的な、

それとも、

科学とは無縁の人こそ、

信仰を否定する傾向がある・と判断していますが。

祈りとは、

念仏・お経を唱える行為では・ありません。

祈りとは、

祈願する心でも・ありません。

自分を捨てて、

人に尽くすことこそ・祈りだと・考えています。

仕事で頑張るのは・当たり前。

目標に向かって頑張るのも・当たり前。

でも、

バランスよく、

全てを要領よく、

上手くこなすことなど、

人には到底・無理な夢でしか・ありません。

ということも、

この歳になると、

納得できるように・なりました。

それでは、

1つの路など、

極めることなど、

持たぬ方が、

幸せな人生に違いありません。

ソレでは、

幸せな・人生って、

何でしょう?

私にも・判りません。

言えますことは、

祈りの人になる時分を創る事では・ないでしょうか?

三枝デンタルオフィスのホスピタリティ

良い歯科医師になりたくて、

無我夢中であった、

40年。

その私が、

日本歯科大学の門を叩いた・あの日から、

40年。

身体の隅々まで、

染み込んだ・考え方。

それは、

医療と看護は・両輪の車輪。

もしかしたら、

医師の仕事のほとんどは、

看護の中の・通過点なのかも・しれません。

看護の「看」という文字は、

「手」と・「目」という文字が・組み合わさって・います。

看護の原点は、

【温かい手の温もり】と【まなざし】なんです。

その・温もりによって、

人の心は癒され、満たされるのです。

その・看護の心という無限大の宇宙空間で、

病気と闘う戦士が、

私ら医師かも・しれません。

が、

いつ頃からか、

歯科医師が歯科医師らしく・なくなった・

そんな気がするのは・私だけでしょうか?

何を目標として、

何のために、

人の身体にメスを持てるのでしょうか。

物質的豊かさ・ばかり追従した結果、

本来であれば、

頼るべきは、

医師の目と度胸で、

鍛えるべきは、

己の未熟さと・向かい合うこと。

ソレから逃げて、

あげくの果てには、

他人のせいにし、

稚拙で・陳腐な医師力を、

機械に頼る・情けない昨今の体制。

私は・シガナイ四国の歯科医師でしか・ありません。

でも、

東京から、

どうして大勢、

診療にお越しになられるのでしょう。

一部の同業の方には、

判らないと・思いますよ。

訳を言いましょうか。

それは、

国家資格をお持ちな・だけで、

人としての・優しさや、

器が小さい・ですよ。

患者さんへは、

私らも、

裸になって、

治って貰いたいという気持ちでの、

医療人でないと。

 

 

 

原点の日

明日の2月11日。

私にとっては、

生涯・忘れられない記念日・なんです。

昭和56年の・この日、

正午から合格発表ということで、

新宿発の総武線に、

飯田橋に向かって乗車していたのです。

満員電車でした。

吊革にぶら下がり、

隣人が器用に折りたたんで読む新聞の号外に、

私も文字を追っていたのです。

市川房枝女史の訃報を報せる号外でした。

本当に、

良く記憶しているものですね。

押し出されるように・ホームへと出でて、

走るように・改札口を、

で、

富士見坂を駆け足で・登って行ったのです。

今では立派なビルに様変わりした、

当時の大学の車寄せの下の小さな広場に、

合格発表が張り出される瞬間を、

今でも鮮明に覚えています。

この日が、

私の歯科医師としての、

第1歩と・なった訳です。

今生天皇陛下のお誕生日と・同じ日の誕生日ですから、

早生まれの私、17歳の早い春の訪れ・でした。

あれから40年も・経過しました。

よもや、

母校の教壇にたつ立場になろうとは、

当時では、

思いもよらない事でした。

出来ることならば、

あと40年、

歯の仕事を続けさせて・頂きたい。

一生懸命に、

患者さんに寄り添いたいと。

 

四国の青さ

土曜の夜は、

再び、

関西へと。

割烹で・軽く1合に簡単な料理を。

で、

ゆっくりと入浴し、

早めに床に入り、

読書。

休日くらいは、

朝寝坊すれば良いものの、

犬に起こされ、

一緒に、

洗車と車の室内掃除。

犬と一緒に・軽く食事を済ませ、

嫌がる犬を引っ張り、

浴室へ。

で、

今度は、

犬のシャンプー。

あっという間に、

午後を回っていました。

犬を伴っての散歩。

肌寒い中、

犬たちの吐く息の白さに、

生命を感じたのです。

高松へと走る際に、

車の窓越しに広がる・瀬戸の海。

私も・スッカリ・四国の人間になったようです。