芸事って


京都の舞妓さんは、

厳しい修行の毎日を過ごします。

置屋で・住み込みの、

24時間・監視状況下での、

毎日と言って良いでしょう。

朝早くから、稽古事に励み、

夜は夜で、

お茶屋へと。

お座敷仕事を、

先輩方に混じって、

仕事を通じての、

オン・ザ・ジョブ・トレーニングの実践の中で、

育てられるのです。

芸を身につけることって、

身を、

その環境に埋没させませんと、

なかなか・アマイものでは・ありません。

が、

その覚悟で以て・業界に入って来られた

まだ年端もいかない・女の子に、

業界も・育てるための【掟】が・あるのです。

衣・食・住の完全な保証です。

ですから、

舞妓さんは修行期間中は、

財布が要りません。

暮らし向き・そのような心配はしないで、

芸事に励んで・ゆけるンです。

私は商家の生まれですから、

このような考えに、

違和感は全く・ありません。

私自身が人を雇用する際、

この考えで、

通してきました。

雇用者と被雇用者の関係は微妙です。

特に昨今は、

異常にデリケートだと・言って良いでしょう。

が、

私は、

この雇用者と被雇用者という言葉が・馴染めません。

なぜなら、

雇用者側と・使用人という、

旧い時代の封建的な・匂いが、

私の流儀に反するからです。

人に上下は・ありませんから。

日本歯科大学の関口技工士長と、

幼い頃の雑談を講じる機会が・多いんです。

彼の父親は織物製造業を営んでいた、

彼も商家の生まれだからです。

織物製造業が大不況に曝された時代に、

彼の父親は、

お取引先と下請け業者、

長年勤務して下さった方々に、

財産を全て処分し、

今後の生活に不安がないような手当てに、

走り回ったそうです。

景気が悪くても、

年末のボーナスをキチンと支払い、

仕事納めには、

餅代と言って、

正月の物入りを・案じなくても良いように、

心配なく新年が迎えられるようにと、

気遣いを・忘れなかったとのこと。

ただ、

この餅代の手当ては、

不景気でしたから、

ソレはソレは、

ご苦労されていた・ようです。

先生、

親父は、

家族より・先ずは、

勤めて下さる方と、

下請け業者の方々が、

何よりも優先でした。

今、考えれば、

ウチの従業員は幸せだと・思います。

が、

私もガキでしたから、

不満は・正直・ありましたが。

安心した環境下で、

良い仕事をして欲しいと、

私が考えてきたのも、

関口技工士長と同じような環境下で、

育ったからだと・思います。

私は共産主義の考え方は・ありませんが、

勤務する人の生活の質の向上を忘れた資本主義者では・ありません。

育てられた環境の違いは、

埋まらないと・思います。

これは、

器の違いでも・あるでしょう。

ただ・おかげさまで、

私は大勢の人たちのサポートの下で、

ノビノビと・芸事に専念できました。

苦しい時にこそ、

身銭をきれない男には、

大きな仕事は・出来ないでしょう。