未だに・消えない記憶


どうした・モノでしょうか?

昨日は、秋田で。

今日の未明には、能登沖で、

地震が在った・そうな。

ただでさへ・眼には見えない恐怖に包まれる昨今。

これに加えて、

大地が揺れ、

海が襲ってくれば、

いくらなんでも・平静な心は、

到底・保つことは・できません。

9年前の・今、

早朝の5時に新潟市を出立しましたので、

日本海の荒海が国道を・洗わんばかりの村上市あたりまで、

たどり着いた頃だったと・記憶しています。

大海を背に、

眼前にそびえる・雪白い山脈を仰ぎ見、

これを越えるのか・と。

呆然と・なりました。

信仰のやま・月山を目指して、

アクセルを踏み込んだのです。

車載テレビからは、

AC日本広告機構の音楽が・繰り返し・繰り返し。

当時、

この音楽に・腹が立ちました。

何度も・何度も・シツコイと。

心が・荒れていたンですね。

ただ、

時たまに、

このコマーシャル音楽が・テレビから流れてき、

耳に致しますと、

瞬間に・当時に返り、

身体が・硬直します。

それほどまでに、

波瀾万丈の人生であった私の・経験を、

吹っ飛ばすほどの・最大級のトラウマを

受けたンだと・思います。

雪の山道。

路面は雪。

右も左も・高い雪の壁。

せり立っていました。

カーブする山の道を進むも、

眼前は、

何時まで経っても、

雪の壁・続き。

不安で・堪りませんでした。

前へ・進んで・何処に行くのか?

大丈夫なのか?

といって、

バックするだけの・車道幅は・ないのですから、

ただ・ただ・進むしか・ありません。

正午前に、

盆地である山形市まで・進みました。

もう・ひと山・越えねば、

太平洋側の仙台市へは・行けません。

車に、

思わず、

頑張ってくれと、

声をかけた・モノでした。

午前0時を基準に、

2時間間隔で、

10分間だけ、

東北大学付属病院の正面玄関で待て・父は行く。

ソレだけを・メールに託して・いました。

被災時の家族との・待ち合わせ場所。

これは・正確さが・重要です。

ピンポイントで。

時刻も、

熱さ・寒さで、

身体が・壊れるかも・しれません。

ピンポイントで、

繰り返し・繰り返しのチャンスを。

そうでないと、

すれ違いが・起こります。

この辺りの正確さを・求めるのは、

間違いなく、

私が歯医者だからこそ・だと思います。

太平洋側の・地面も・海も・川も、

私を壊して・しまいました。

生き方の模範を、

東郷平八郎元帥や山本五十六元帥とする私ですが、

決して軍国主義者では・ありません。

加藤友三郎大将の提唱する・不戦艦隊、

抑止力としての軍備に・賛同し、

決して軍が・動く事のない政治をと、

常々・願って・おりましたから、

自衛隊の海外への派遣については、

断固反対の意見で・います。

そんな私が・立つ大地は、

戦場の痕に包まれて・いたのです。

言葉で・お伝えすることは、

差し控えたいと・思います。

あの時から、

私は・世情や世論を、

行動の判断基準に・しなく・なりました。

自分の眼と・耳と・肌感覚から来る

自分自身の・勘・を1番に信用するように・なりました。

ソレと、

勤勉さと、

常日頃の備え・です。

人が変わったと・言われる時が・あります。

当たり前ですよ。

多くの御霊が・犠牲になった時代に、

其処に居たのですから。