光陰・矢のごとし


9年前、

山形市から新潟市目指して、

ハンドルを握っていました。

普段であれば、

新潟市から山形市まで・2時間足らず。

あの時、

新潟市に到着した頃には、

ドップリと・日が暮れていましたから、

どれほどの雪と、

どれほどの瓦礫と地面の割れで、

迂回・迂回しながらの、

大変な帰路だったノかと。

ハンドルを握りながらの私は、

とても・複雑な・思いでした。

見も知らぬ他人から、

多くの助けを・受けた事に対してです。

無事に・愚息を新潟市に落ち着けたら、

私は・被災地に・戻ろうと・

内心では、

決めて、

腹をくくった頃・だったと・思います。

多くの犠牲者が、

地面に埋もれ、

川や海岸に・浮き、

愚息が怪我だけで・済んだ事は、

本当に・ありがたいと・感謝しつつ、

仮に・愚息に・もしも・のことが在れば、

命を絶つ・積もりで・出てきましたから。

新潟をいう土地に対する・私の想いは、

誰にも・判らないと・思います。

被災地に戻る決意を固め、

愚息を・私にとっての絶対的安全圏へと。

早くモノですね。

もう9年も・経った・なんて。