春の風に・乗って


昨日は・平日でしたが、

休診を頂き・ました。

昨年の6月に・亡くなった父を

春のお彼岸に、

先祖と並んで、

墓標を以て、

供養・始めたいと・思っていたからです。

穏やかな・春の陽射しの・1日でした。

燦々と・降り注ぐ太陽と、

肌・心地よい風の中、

父の墓標が、

先祖たちと・並んで、

据え置かれました。

どうやら父は、

東北地方の小さな街で、

人生を・終えたようです。

私は、父の戒名を知らず、

遺骨も・帰ってきては・いません。

年老いた母との・たった1つの連絡手段であった・携帯電話も、

今では、

解約されて・いました。

昨年の敬老の日に、

母の携帯電話に・電話しました。

どうやら施設に入居しているという事実と、

母から・讃岐へ帰りたいという言葉から、

状況は・察する事は・できました。

それじゃ・来週にでも・迎えに行こうね。

そう・返した台詞が、

母との最後の会話に・なりました。

親父の墓を・建てねば・ならんね。

という私に、

入れてくれるの?

何度も・何度も・確認する母でした。

遺骨は?

と・問う私に、

横に居るよ・と返す母。

ハッと、

夫婦の彩を・感じたのです。

その2日あと、

携帯電話は・解約されていました。

その2日あと、

東京の大手法律事務所から、

遺産放棄を求める・通知を手にしました。

その通り、

私は手当てし、

心・切り替えて、

静かに・父の位牌と墓標の準備に着手したのです。

父の戒名は、

私がつけました。

昨日、

埋葬する遺骨もなく、

父の写真・一つ無く、

父由来の品・一つ無い、

ただ墓標のみを・設置するという、

情けなさを・味わいました。

家を建ててくれて、

面倒を見てくれるんや、

そんな台詞を、

何年か前に、

両親から・聞きました。

年老いて、

気が弱くなったのでしょう。

店の暖簾を下ろし・商いを閉じ、

お仏壇のみ、

残して、

全ての資産と人生を、

東北地方の娘夫婦を頼って、

去ってゆきました。

去る際の、

別れの会話も無く、

空き家となった・嘗ての屋敷に、

ポツンと・取り残された・お仏壇。

呆然と・立ち尽くした事は、

正直に・告白します。

じいちゃん、ばぁちゃん、

さぁ、俺っち・へ、帰ろう!

もう、何年か前の話しに・なります。

昨日を以て、

父の位牌は・お仏壇に、

父の墓標は・先祖たちと・並んで。

古い日本人を自認する私の、

家長としての・仕事は・続きます。

作業に携わってくれた石工さんが、

ポツンと、

身の上話しを・されました。

で、

先生、

魂も・骨も、

帰ってくるべき所に、

帰ってくるもの・ですよ。

私は・随分の、

人の終焉あとを・観てきましたから。

今日の風、

必ず・乗って・帰ってきますよ。