見守る


昨日は、新潟で独り高校へと通っている愚息の誕生日でした。

愚息は先妻との間に産まれ、今の家人との間にもうけた子達も含め、私にとっての唯一の男の子です。

愚息が五歳の歳から別に暮らす様になり、小学六年になる時から再び、共に暮らす様になりました。

他人目からしてみれば、厳しく、ある面ではおお甘で育てる意識で接してきました。

ただ一番に気を付けてきたことがあります。

父は、決して特別な強い人間ではないと云う事を、意識的に観せることです。

愚息もいつの日か、世間の荒波の中に立たねばなりません。

自身の力の不足を感じて情けない想いを、不条理なことにやるせない想いを味わう事でしょう。

人生は、勝ち負けの連続です。

泣きたい時もあるでしょう。

いずれ味わうであろう悔しさに、弱い自分を責める前に、父も同じであったと思い出して貰いたいと、
常日頃から意図して、弱い父親の姿も見せてきました。

凛と立つ姿を、父の全てと勘違いしないで欲しいと、息子だからこそ弱味を見せられたように思います。

愚息を独り、新潟の地へと送ったのは、世間に出す前準備の意味がありました。

当然、私のなかで、越後の大地の神様が、私の倅だからこそ護って下さると信じての行動です。

寮などに入れずに独り暮らしなど、もっての他で、不良にでもなったらどうするんだ!と云うお叱りを受けた時も確かにありました。

私は、倅がある時に横路に反れるなら、それでも良いと思っています。

自分の力で軌道修正できる気づきと、力がなければならないし、それが後になって
必ずや倅の人としての幅を拡げてくれるだろうからです。

倅の毎年の誕生日の日に私は、このブログをかりてメッセージを送ってきました。

もう私が父として倅に伝え教えることはありません。

私は、再び歯科の職人としてひたすら歯に向かい合う日々を送るを日常として過ごし、
倅は、自身で歩いて行くを日常としなければなりません。

黙って倅を信じて見守るのも、父としての仕事かもしれません。