後悔するくらい・ならば

久しぶりのブログ。

多忙・多忙を口にするは、恥だと思っていました。

が、

多忙でした。

お正月が明けた頃だったと・思います。

診療所に・88歳になる母から、

毎日、何度も電話が・かかって来るように・なりました。

そうです。

東北地方の田舎町の施設に、

本人に意思とは反して、

半ば姥捨山のような状況下で、

余生を過ごす羽目に陥った・私の母です。

2年ほど前に・母の境遇を知りました。

それも、

母からの・助けを求める電話があったからです。

迎えにゆく約束をしたのですが、

翌々日には、

母の携帯電話は解約されていました。

そのあと直ぐに、

母を介護する筈であった姉の代理人の弁護士から、

父の遺産放棄を求める書状が届きました。

母の所在を知らぬ私は・悶々とした日々を・過ごしていました。

その母からの・再びの電話だったのです。

116番の電話番号案内のダイアルを・知り、

高松市、菊池寛通り、デンタルクリニック・と云う

朧げな・記憶をたどり、

私に必死の想いで・電話した様子が、

切に・伝わってきました。

何度も・何度も復唱させて、

母の携帯電話をメモし、

母にも・私の電話番号を記録させたのです。

で、

密かなる・母救出のための準備に・取り掛かったのです。

毎日・毎日、

繰り返し・繰り返し・段取りを・

記憶させました。

妨害から・無事に母を・高松まで連れて帰るためです。

で、

実行したのです。

2月10日。

診療所を休診とさせて頂き、

伊丹空港まで・車を走らせ、

その後、

空路・仙台空港まで。

レンタカーにて石巻市へと向かう車中、

流石の私でさへ、

鼓動が・高まりました。

施設の責任者と・裏口で・押し問答。

ただ、

私は・何を言われても・頭を下げるばかり。

最後に、

武士の情けですと・懇願した所で、

責任者は・恐らく姉に電話を入れに奥へと・向かったのでしょう。

その刹那、

表玄関へと周り、

薄暗いロビーに座る母らしき人影に向かって、

大きな身振りで・両手で・手招きする私。

母でした。

足が不自由になっていたのが・判りました。

必死で・杖をついて、

トボトボと、

でも、

当の本人は・必死で駆けているのが・伝わります。

新型コロナウィルス感染防止のために、

私は・施設内には・入れません。

誰もいませんでしたが、

それは、

ルールですから。

母は・やっとの想いで・私の指先を・掴んだしゅん感、

私は母を抱えて、

レンタカー内に・押し込み、

ハンドルを・ターンしたのです。

優雅であった母から・染み付いた尿の匂いがしました。

優雅であった母の88歳の人生で持ち帰った荷物は、

ボロボロのビニール製のキャリーバック一つきり・でした。

私の顔を見つめて、

高松に帰れるんだね!

本当だったね!

車中、ずっと泣きながら・話し続ける母。

途中、

姉からの電話が・母の携帯電話に入ったきました。

詰る・大声が・聞こえます。

母所有であった自宅は、

既に姉に所有権が移ってい、

もう母のモノではないから・入らせないという声。

中には・私のモノがあるのよ・という母に、

中のモノの・所有権は・自分にあると云う声。

唖然とする母に、

身体一つ・それで・いいやないか?

なだめる・私。

そんな会話・会話の中で、

施設から出るときは・恐かったね!

と・繰り返す母。

夜の高松の街灯が・蛍のように・高速道路から・見えました。

あ〜・高松だね!

何で・こんなに高松が・恋しんだろうね?

ずっと、

朝日を見ては、

流れる雲を見ては、

お月様を見ては、

高松に帰して下さいと・お願いしてたのよ。

長い間・見ないうちに・立派になったね・と、

私の頬を触ります。

ありがとうを・100回は聞きました。

迷惑かけたネモ・100回は聞きました。

ただ、

この数日、

穏やかな表情の母の顔色に・こちらまで優しい気持ちになりました。

目の前の母は、

穏やかで・可愛い・お婆ちゃまに・変わっていました。

母の入居していた施設の1カ月の食事代金は15000円でした。

母は、

何を出しても、

こんなご馳走・食べても良いの?

と・聞きます。

両手を合わせる母の姿を・美しいと・思いました。