平凡な・日々


段々と、

人生の終焉に・近づいていることを

母の・一挙一動を眺めながら、

穏やかな・心で・接しています。

それは、

とうの本人たる母が・穏やかであるために、

そう・いられるのだと・思います。

ここは・高松だよね?

と・確認してくる母に、

そうや・ほら・屋島が見えるやろ?

背伸びし、

屋島が・見えたんでしょう。

グッと・安心した表情するのが・日常となりました。

自分の娘や孫の・存在は・既に・記憶にありません。

私と夫、

兄と両親や、

母が幼い頃の祖父など、

古い記憶は・確かなんですが、

他の・記憶は消え去って・しまったようです。

夫や兄の死は、

全く・忘れてしまったようです。

しばしば・探していますから。

ただ、

新潟へは、

行きたいの・だと。

ホテルオークラから眺める萬代橋を、

もう1度・観たいのだと。

額縁写真になってから・観るのは・いやだよ!

そんな・セリフは・しっかりと・言えるのですが。

私は・長生きするのが・怖くなりつつ・あります。

といって、

死ぬ瞬間を・想像すると、

怖くて・堪らない。

生きる。

生きる・その意味や・価値・意義、

果ては、

その・存在をも・思案するように・なりました。

考えても、

全く・意味ない・のですが。

結局は、

神さまの・為すが・まま・なのですから。