私なりの.流儀と義理立て


55歳の.年に、

カトリックの洗礼を.受けました。

が、

それは、

私が.決めたこと。

三枝家の家長として、

先祖代々の.決まりごとを、

継承するのは、

私の.長男としての.義務だと.考えています。

天に召され、

代が.代わった時に、

引き継いで.貰うまで、

お盆、

お彼岸の行事は、

長男の大切な.責任だと。

私の.カトリック信仰とは、

別物と.考えています。

一般のカトリック信者の方から.すれば、

大いなる.違和感を.お感じになられるでしょう。

ただ、

長い、長い、川の流れのような.歴史の中で、

私の.決めごとなど、

一瞬の.灯のようなモノでしょう。

ただ、

子孫が、

お仏壇に.手を合わせた際に、

私の存在を、

知り得ない。

それだけの.こと.だと.思っています。

さまざまな.仏教で云う処の【因縁】を、

私が背負って、

精算すれば.良いのだと。

院長室の.中心に、

鎮座する.お仏壇。

不思議なモノですね。

護られている.実感が.在るんですよ。

お仏壇を.眺めながら、

山本五十六元帥.湯飲み茶碗で、

一服。

これも、

私の.日常であり、

私の.流儀でも.あります。