ゴール への 決断


いろんな 相談 受ける んです。

この歳 とも なれば 

そういう 立場に なるのしょう。

ただ、

出来ない 無理な ゴールを 決めても

それは

自分を 判って いない 

自己判断能力に 欠けて いる だけ なのです。

自分 の 器を 

残念ですけれども

認識 できません と

自身 も 不幸に なりますし、

周囲にも 

多大なる 迷惑を かける だけ なんです。

人は

当然ですが

頑張らなければ なりません。

ただ、

ゴール?

自己希望 の ために

ひとさま に ご迷惑を かける ことも 

目標を 決定する 段階において

先ずは 

考慮すべき だと 思いますよ。

それは

ただの 自己中 でしか ありません。

例えば

社会人 とも なれば

国からの さまざまな 恩恵に 与って いる訳ですから、

国民としての 納税義務が 発生 する 訳です。

そのような 当たり前の 事も 考慮に いれて

人は 社会生活を 営めるのです。

ただ、

コレが ヤりたい!

こう 在りたい!

そう 考える のも 判らない でも ありませんが、

自主独立 し 社会に 貢献して

初めて、

自分の 希望 なり ゴールを 決めるが 大人。

子ども にしても 然り。

子ども の 権利の 主張 

コレは

モンゴル 北朝鮮 などの

発展途上国に 生まれ 育った

恵まれない 境遇にある 子どもたち に 対しては

そうだ! そうだ!

と 共感しますが、

衣食住 に 恵まれ過ぎた この国の 子どもたち。

先ずは

親の 云う 窮屈な 躾に 素直に 耳を かして、

嫌でも

学校へ 通う くらいの 精神力が なくて

どうして

これからの 厳しい 社会を 歩めましょうか?

権利 の 主張 の 前に

義務も 存在することを 

本来、

自然と 学ぶ べきなんです。

社会は 厳しいモノ です。

歯を くいしばって 生きる のが 人の 一生。

ゴールへの 決断?

その前に

義務を 果たすのが 人間。