情報は自分の眼と耳で


 早稲田大学の学生である娘から
パパの日本語は英語みたいねと、
今は亡きウルフ.ニルソン博士と
英語で話をしていたら
グサリと
傷つく一言で
胸を傷めた事があった。

 中学時代から
夏休みはイギリスで
高校の時分も
休みが来れば
イギリスでの
娘にとっては
父親が成人してから
アメリカで覚えた英語等
耳障りな雑音でしかなかったのは
当たり前かもしれない。

 この様な生意気な娘であるが
大学3年の時に
西海岸で
一年半程過ごした事で
父親の訛りに対して
少しばかり
理解を示す様になったかもしれない。

 歯科医学の
アメリカ追従姿勢は
相変わらずである。

 善きに悪しきにつけ
英語が出来ねば
歯科医学の正しい情報収集は
不可能である。

 或訳された外科の書物を前にして
驚愕した事があった。

 随分と都合の良いように
変えて訳してあった為である。

 この様な事は
意外と多いのが
現状である。

 今、アメリカの歯科業界では!等と
あたかもトレンドの様な
持て囃されている治療方法が
何の事はない
極一部の
跳ね返り群の推奨するものである等と
云った事など知らずに
躍起になって
失敗へ
まっしぐらの歯科医師に
憐れみを感じてしまう。

 情報と云うのは
人を介さずに
直接に
自分の眼と耳で
触れなければ
正しいものではない。

 特にインプラント治療については
特に此の傾向が顕著である。

 先日、患者である
某医師の奥方が
倅が私の母校に入学するのは
父親の陰を鑑み、
窮屈至極であるから
他所の歯科大学で
教育を受けさせる巾との
アドバイスが在った。

 一理ある。
が、私は日本歯科大学の教育は
其の名の通り
日本一であると
確信しているので
此れは
其の助言に従う訳にはいかぬ。

 其れならば、
倅が学費の安い国立大学に合格したら
如何と尋ねられても、
私は其ほど金には
困って居らぬ。

 倅の教育は
国に等頼らず
自分でするわィと
本心から
かように思っている。

 歯科業界で30年以上生きている
私の答えである。