風化


今、活字と云うか【書籍離れ】が顕著なのだそうです。

加えて【書店離れ】も加速しているそうです。

読みたい書籍はアマゾンで購入するのが普通なのだそうです。

私は暇をみつけては書店へと出向きます。

通りを歩いていた際に、

偶然に【書店】の看板を見かけたら、

つい足を運んでしまいます。

で、

目当ての【書籍】を買うために【書店】へ行く訳ではありません。

書棚を片っぱしから、目線を上から下へと。

【偶然】との出会いを期待して

書店で時間を過ごすのが好きです。

【タイトル】に想わず、

その書籍を手にとって、

頁をハラハラと捲り、

そこで、

脇に抱えるか、元の場所へとソッと戻すか。

その繰り返しです。

私は購入した書籍は棄てません。

ですから、溜まる一方です。

図書館は、大学の図書室はよく利用します。

文献や専門書の宝部屋だと、

今でもワクワクして、

大学の図書館で過ごすのも私の楽しみです。

に反して、

一般の図書館へ行った際に、

私は不思議な想いがしました。

其れは【違和感】と言っても良いかもしれません。

今週号の週刊紙、今月号の雑誌が殆んど取り揃えられています。

新刊の書籍も同様です。

市民や県民のためにと云うば反論は出来ません。

が、

その【為に】って【何】だろう?

モシカシテ【憩い】

確かに大勢の方が、

新聞や雑誌を閲覧されて過ごして居られました。

廃版や絶版になった旧い書籍を

丁重に【保管】することが、

【知】を求める市民サービスの場として

【図書館】の存在価値が在ると、

私は思っています。

今、市中に出回っている週刊紙、雑誌を販売している

【書店】も県民、市民であります。

私は公共性についても、

様々な角度からの検証が必要だと思います。

単に【コレは便利でウケが良い】だけでは

古くから築き上げてきた【文化】が風化しそうです。