私の履歴書 10.


私は20代の後半に、

大学時代ズット交際していた1年後輩の

当時は既に歯科医になっていた女性と所帯を持ちました。

子どもは3人授かりました。

傍目には幸せな家庭に見えたように思います。

ただ、私は好き放題し続けて居りました。

自由奔放が男の生きる道と考えていましたので。

家人については、

大人しく、何をしても許してくれるだろう位に、

半ば甘えていたように思います。

今考えますと、

若気の至りであったと想わざるを得ない処が

多かったように思います。

歯科治療の技術の習得に夢中でしたし、

機械設備も、

経済状況など全く無視して購入していました。

とにかく上へ上へと、

上手になりたい!

何でもかんでも歯科に関して知りたい。

私の歯科医人生のなかで、

全ての吸収の時代であったと思います。

また、若気の至りで、

よく遊びました。

女性関係も派手で、

今の時代であれば、

到底、許しては貰えないでしょう。

が、

当時の私は、

女遊びも芸のうち程度にしか考えていませんでした。

今考えますと家人は、

よく辛抱したものだと、

悪かったなと、

謝りたい気持ちに、

時々に思います。

子どもたちへは、

私は受けは良かったと、

勘違いかもしれませんが、

私が親の愛情に恵まれない家庭で育ちましたので、

子どもたちへは愛情は注いだ積もりです。

今ともなれば、

何故と思うことが度々あります。

私が若かったのでしょう。

離婚は予想もしていませんでした。

私の考える要所は、

押さえていたつもりでしたから。

相手に私への愛想が尽きたンだと思います。

別れた家人は、東北で開業医を営んでいるようです。

安堵半分、心配半分と言った心境です。

若い人たちには、私のようにはなって欲しくはありません。

が、

仕事、芸の道は酷しいものです。

両立の方法は、

私には判りませんので、

アドバイスは出来ません。

2回目の所帯を持ちました。

これはこれで苦労がありました。

相手が歯科業界とは無縁の人の上に、

私の仕事の体系が、

一般的な歯科医院とは全く違いますから。

また、14も年少の女性です。

私の昭和の感性を理解するのは難しいのでしょう。

ただ明るい人間であるのと、

美的センスは優れて居りましたので、

私の診療所の見栄え、内装、家具などは、

この人の業績だと感謝しています。

ここでも私は3人の子宝に恵まれました。

が、

先の子どもたちとは異なり、

私にとっては孫のような気持ちになるのです。

私は歯科医としてはまだまだ未熟です。

これからも、多くの時間やエネルギーを

歯科に費やさなければなりません。

それは私を、

大勢の患者さんが、

その身で多くのことを教えて下さり、

今日、私が在るからです。

人生においては、

私は多くの躓きを経験しています。

だからこそ、

歯だけは何としても真理を知りたいと思うのです。