想う処沢山ありの時代


母方の先祖の墓が郡部の田舎にあります。

幼い頃、

春秋の彼岸と盆には、

田舎のボンネットバスに揺られて行くのが

年中行事であり、

私の細やかな楽しみでもありました。

高松市とは縁も所縁もない私が、

当地で開業医をするキッカケとなった訳のひとつに

この墓の存在が在りました。

私がこの墓守りをせねばという、

気持ちが強かったためです。

本来、この墓守りをすべき人間は、

母の兄である私の叔父であたりますが、

西明石にて婦人科を開業していたために、

滅多に遠出は出来ません。

この叔父には息子が1人居りますが、

父息子の相剋著しく、

結局、叔父の葬儀にも来ず仕舞いという始末。

という訳で、

幼い頃から不思議な縁を強く感じる私は、

月毎に、

三枝の墓参りと共に、

足を伸ばして、

この墓の掃除をするのを常としていました。

祖母には可愛いがってもらいましたが、

他の先祖の顔を私は知りません。

が、

それぞれの先祖の戒名と名前を見上げ、

私は血の繋がりを感じていました。

私は齢53になります。

ひとかどの苦労は経験した積もりです。

苦しい時に、

悲しい時に、

困った時に、

何度、ご先祖にお願いしたことか、

本当に頼りない子孫を持ったと、

ご先祖を悩ませたに相違ありません。

今日、

遠い親類から突然の連絡が診療所へ入りました。

内容は、

この一族を弔う墓地を整理して、

土地を売却するので、

私の母方の先祖の墓を移動して欲しいというモノでした。

コレが現在の日本の状況だと、

想う処大いに在りました。

事の正否は云う資格は、私にはありません。

ただ、

その様な状況のなか、

私のご先祖が肩身の狭い想いをさせてはならじとだけ。

で、

承知致しましたと。

代変地は、

気の早い私が、

もう20年も前に自分の墓にと準備していた墓地を充てようと、

電話を聞きながら、

即座に決めていたのです。

本来であれば、

私には、その資格はありませんが、

事情が事情ゆえに、

また、

この墓の守りは私の責任でと云う想いが在りましたので。

ただ、

息子の了解は得なくてはと、

息子に電話にて報告した処、

「 父ちゃんが死んだら俺が守りは引き継ぐから」

と云う返事。

親不幸者の見本のような息子ですが、

あぁ、マトモに育ってるなと、

少し安堵したのです。

最近では、

このような些細なことにも嬉しい気持ちになったり、

逆に落ち込んでみたりと。

段々と、

歳をとっていっている自分を感じます。

で、

此処までは穏やかに綴りましたが、

本心では、

私は怒り、また情けない想いでおります。

この一族の墓は、

古い墓石を辿れば平安時代までさかのぼれ、

広い敷地に分家毎に囲いで被われ、

多くの同氏の墓石で賑わっておりました。

代も重ねると、

縁も薄れ、

栄華も衰え、

氏の礎石とも云える墓地を整理売却などと

なんとバチアタリな奴めという想い。

複雑な想いに浸っています。