娘の旅立ち


今回の娘の中学進学に際しては、

父親として初めて強硬なる持論を押し通しました。

先の家人との間には3人の子宝に恵まれました。

仕事優先であったので、

子どもの教育は任せきりでした。

特に中学への進学など学区内に通うことが普通だと思っていたのです。

むしろ、

附属中学などには却って偏見を持っていました。

私は私学の建学の精神による教育を信じている者ですから。

ただ私は、此処高松市で生まれ育った人間ではありません。

ですから事情に疎く、

また中学時代の学校帰りは街並みの空気に触れて、

友人たちとの会話の貴重な時間だと考えていました。

ですから、

歩いて家に帰ってくるものであり、

スクールバスでの通学には否定的な考え方を持っていました。

その経験から、

私は誤りに気づいたのです。

ノビノビ育てる筈が、

結局は塾通いの毎日。

いろんなご家庭のお子さんとの協調も、

大切な経験になるでしょう。

しかし、

これも時代の違いを認識しました。

息子は中学から私学です。

それはそれで大変でした。

どこも生徒の個性を伸ばすことよりも、

偏差値の高い学校への進学率を上げるに必死ですから。

ただ私からすれば、

県内の私学からこれは到底無理であり、

夢幻の戯れ言となるでしょう。

私学の独自性を全く感じませんでしたので。

この春、中学へと進学した娘と、

色々な私学の中学へと意見を伺いに出かけました。

子どもの意思を尊重しなければならないと云う台詞が在ります。

本当だと思いますし、否定しません。

しかし、

子どもの側においても、

親の意見に謙虚な気持ちで耳を傾けることも重要です。

以前の経験から娘にたびたび言っています。

他人の評価が全てではないよ。

他人も不完全な人間なのだから。

武者小路実篤氏の詩に、

人見るもよし、

人見ざるもよし、

我は咲くなり。

小さな花で構いません。

が、

確かに生きて咲いたと云う

花を咲かせる旅へと

娘は歩き始めたようです。

今日娘は県外の私学中学での寮生活が始まります。

早朝、塩握りをシッカリ、シッカリと握って、

娘の鞄の中に入れてやりました。

玄関戸の前の桜は満開でした。

嫌がる娘と桜を背景に並んで写真を撮りました。

車中の硝子越しに見える娘に手を振って、振って、

車が見えなくなるまで、

振っていました。

患者さんの仕事です。

入学式には行けません。

それも私の仕事です。

週末からは私は新潟です。

次、娘の顔を見るのは2週間さきの事です。

いやはや、どんな寮生活を送るのやら。

寮での朝食は毎朝、食パンで、

ジャム持参なのだそうです。

そう言えば娘はイチゴジャムが苦手な筈。

新潟へ行った際に、

ホテルオークラまで寄って、

娘贔屓のマーマレードを買って来ようと。

親バカでしょう?

でも、

そうこうしながら、

私も子離れできてくるんでしょうね。