鏡に写った姿の美しいことを


【何の得にもならない】ことのなかに、

【美しさ】と云うものが在ります。

その美しさとは、

何故そうするのか?と問われても、

答えられないような【きまり】を、

毎日、毎日、繰り返し自分に課していった結果から、

自然に生まれてくるのだと考えています。

幼い頃からの【しつけ】のようなものかもしれません。

親からの一方的な小言を、

幼い頃は否応なしに受け入れねばなりません。

この理由なきしつけが、

美しさを作ったことに、

大人になってから気づく機会も多いでしょう。

ハシタナイ所作や考えは、

美しさとは対比に在ることを自覚する機会も多いはずです。

大人になれば、

当然のことながら親からのしつけは受けません。

今度は、自分との闘いが、

自分を鍛える手だてだと思うのです。

私は、しがない開業医です。

何も考えなければ、

毎日、毎日が、

単調なことの繰り返しでしかありません。

しかし、

少しでも良いから、

昨日よりは一歩でも前に進んでいたいと、

思ってきました。

それには【工夫】が必要です。

でも、

その工夫も、

普遍な所作から得た結果を

再度、自己評価することが大切です。

ですから一歩前に進むためには、

日常の日課的な所作を大切にすべきだと思います。

時々に京の街を歩きます。

何の気もなく眺めれば、

あぁ舞妓さんと思ってお仕舞いです。

でも、

私らの仕事においては【観察力】が大切です。

あら、先生、お出ででやすか?

と、過ぎ去って行った二人の後ろ姿からの違いに、

彼女らの日常の過ごし様の差が出ている事に、

気が付かねばなりません。

で、なければ、

私は単なる贔屓筋でしかありません。

遊びの中にも、

仕事に役たつ何かを探す感性を持つことが、

プロとプロとのお相撲みたいなものだと思います。

私は歯科医師ですから、

治療精度が向上できると、患者さんに喜んで頂けます。

また、

患者さんに対する心配りも、患者さんに喜んで頂けます。

この患者さんに喜んで頂だくことが、

私の原動力になっています。

当然、患者さんの側は私の工夫などお気づきになりません。

そこが大切な肝心処なのです。

相手に気づかれないように、

コツコツと自分と闘うことが、

自分を見つめ直すことが出来る唯一の方法だからです。

他人目をアレコレ気にしても、何も成長は期待できません。

鏡で自分の姿を写すこと。

鏡のなかで美しい姿で居られるように、

それが私の関心事です。