禁を破る


私は泣いています。

医師には秘密保持と云う大原則が在ります。

ですから、

私がホームページなどで患者さんと並んでポーズなどと云う

ハシタナイ行いは軽蔑しています。

患者さんを営業活動に利用しているのが

アリアリと伝わるからです。

当の医師には、その意識はないのだと思います。

ハシタナさと、美しさの判断基準の差は育ちだからです。

しかし今日、

私は禁を破ります。

20代後半からの患者さんであった武田宏子先生がお亡くなりになりました。

初診から15年ほどは、

東京に本拠を構えられ、

名古屋市、大阪市、高松市のレッスン会場を

駆けまわる多忙な日々を送られていらっしゃいました。

原稿の執筆、

メーカーの方とのヤリトリ、

治療の合間の雑談から、

そのコツを随分と伝授して頂きました。

ある時、

東京の先生のオフィスに所用があり、

立ち寄った機会が在ります。

気儘な先生でしたから、

この私を2時間以上待たせたんですよ。

先生のご性格は当の承知の介でしたから、

壁越しに聴こえる先生の演奏に聴きいっていました。

浪曲、都々逸、三味線が贔屓の私ですから、

普段、ピアノの演奏などには縁がありません。

それはそれで新鮮な想いで聴いていました。

で、

ドアが開いて、

隙間から小さなお顔を出した先生は、

いかにも申し訳なさそうに、

ごめんなさいねと。

私の方は、

何か特別なことがあっての長時間の演奏でしたか?と。

この愚かなる私の問いに、

かの有名な武田宏子節の炸裂が始まったのです。

私らはプロなのよ!

1年のうちの何回かの舞台のために

毎日、毎日、鍵盤と格闘しているの!

ガツン!と効きました、この台詞は。

以降、

今では人から笑われても、

毎日、毎日、歯の彫刻を続けているのは

武田宏子先生に影響されての事です。

随分と可愛いがって頂きました。

私の新築した今の診療所を観て、

物凄く喜んで下さった顔が懐かしい。

で、

私はモーツァルトや他人の書いた曲ばかり弾いてきた。

よし!

やってみよう!

若い時分から観てきた先生だ。

新築祝いに曲を創るから。

で、

私が弾いて録音しよう!

数ヶ月の後に、

先生から、いついつ、何処其処のスタジオへお出でと。

私はスタジオなんて初めてですから雰囲気に圧倒されました。

色々な関係者が居られましたが、

先生は女殿様のような気品が在りましたね。

先生、普段は何回もリハーサルするのよ。

でも、

私は、ず~と先生を観てきたから、

先生の性格を考えて、

ぶっつけ本番!

驚きおののくスタッフたちを顎で指しづし、

ピアノ前に腰をおいた瞬間、

小さな小さな先生の身体は、

大きな大きな西洋の鳥のように

羽ばたいたのです。

音にも命が在ることを

この時に初めて知りました。

また、

時代を創ったカリスマのプロの仕事に、

知らず知らずのうちに、

頬に涙が流れていました。

私にプロフェッショナルの生きようを

ご自身の生き方にて指導して下さった先生であり、

患者さんでした。

今日、告別式。

脳裏に先生から頂いた曲の音が消えません。

私は歯科医師ですが、

職域こそ違え、

私も武田宏子の弟子の一人です。

武田イズムは確かに私の歯科医学のなかに

生きています。