歯科治療は愛の仕事


20年ほど前の出来事です。

ある患者さんの噛み合わせの治療を

必死で行いました。

ある時、

歯科治療をしたお陰で肩が動かなくなったと言われました。

ショックを受けた私は、

それこそ【ありとあらゆる】流派の治療を試みました。

が、

結果は改善の余地はありませんでした。

物凄い挫折感に苦しみました。

自信もなにもかも木っ端微塵になりました。

真面目に歯科医学に取り組んでいた自負は在りましたが、

修羅場をくぐり抜けて来たベテラン医師ではありません。

それを自覚しているが故に、

もっと、もっと勉強しなければと思いました。

しかし、

その患者さんの苦しみが、

私の為した治療が原因であれば、

大変、申し訳ないことをしたと、

誠意を尽くして治療することと、

結果のあまりにも大きな差に、

もがくほどに自分を責めました。

ある時、

医師損害賠償保険の会社の方から連絡を頂きました。

その患者さんの件です。

てっきり私は、

私の為した治療の事だと思って受話器を取りました。

先生、○○さんって方が治療に来られていますか?

で、

○○さんは目が見えていますか?

?????

何のコッチャ?

と、戸惑う私。

お聞きすれば、

その方は某眼科へと受診され、

そこで、

お前の治療で目が見えなくなったと、

眼科の診察の忙しい時間帯に現れ、

待合室にて大騒ぎするのだそうです。

その方は確かに目は見えています。

何故なら、

私の診療所の待合室にて、

持参のゴルフ雑誌を毎回、読んでいますもの。

で、

今度は逆に私がお伺いをたてました。

実はかくかくしかじか、こういうことが。

保険会社の方が仰け反って仰られたのです。

○○さんは、毎日ゴルフに行っています。

練習場ではないですよ。

ラウンドしてますよ。

そうですか、よく判りました、と。

私ですか?

呆気にとられました。

身体中の力が抜けました。

と、同時に、

何だったんだと。

それこそ叡智の限りを尽くして対応していましたから。

その時は、

仕事が一時、嫌になりました。

○○さんですか?

その時から姿は顕さなくなりました。

何故、その話題を持ち出したのか?

この前、

○○さんはが偽名を使って、

予約をとり診察に来られました。

予約を頂いた方を診療室へとご案内しようと、

待合室のドアを開けて、

私は固まってしまったのです。

○○さんはニヤニヤして、

こう仰られました。

ヤッパリ歯医者は先生じゃあないと。

―――――――――

咄嗟に言葉が見つかりません。

私は当時の事がキッカケとなり、

寝ても覚めても歯と云う生活を送っています。

勉強不足はプロの怠慢だと。

一生懸命、勉強もし、

一生懸命、丁寧に治療しています。

人を好きにならないとできない仕事が医療です。

でも、

当時は人が恐くなりました。

内村鑑三の【歯科治療は愛の仕事である】

と云う言葉を診察台の脇に掲げたのも、

この当時からです。

医療人とは?

を、常に自問自答して過ごして来ました。

宗教の書物も読むようになりました。

広い心を持ちたいからです。

が、

反して私の口から出た台詞は、

お引き取りください、でした。

ある時、

似たような機会も在りました。

私の何かがお気に召しませんでしたのでしょう?

ある時から突然にお越しにならなくなった患者さんが、

10年も経って、

お電話をかけて下さいました。

で、

ヤッパリ歯医者は先生じゃあないと。

同じ台詞であるのが不思議です。

その時の私は、

さぞお電話しにくかったでしょう?

思いだして下さりありがとうございます。

で、どうなさったの?

では、拝見しましょう?

後からお話しを頂くと、

私が仮の入れ歯をお造りしたのですが、

さっさと本歯を完成させないのが、

お気に召しません原因のようでした。

次の歯科医院にてさっさと造った入れ歯は使い物にならず、

ずっと私の造った仮の入れ歯をお使いだった様子。

治るのを待って、

次の手順に進む。

これが治療の原則ですから。

今でも、

この患者さんは、

申し訳ない、申し訳ないと、

此方はもう良いのに。

でも今回は、

私は飲み込めませんでした。

そういう私は自分が嫌いになります。

でも、

今は出来ません。

消化できる時が来るのでしょうか?