教え教えられて


私の大学病院での医局員時代の恩師である

当時準教授であった山口先生からは大変お世話になりました。

直接にどうのこうのとの手解きを受けた機会はありません。

私の机の上に読みかけの文献を通りすぎる際に

突然に手に取られ、

タイトルを眺め、

で、

ポンと机の上へと返され、

立ち去って行かれたことが在りました。

数日のあと、

深夜の医局に戻った私の机の上に、

関連する文献が置かれていたのです。

またある時は、

山口先生のお使いになった診療台の後を

片付けする歯科衛生士学校の実習生に頼んで、

先生のお使いになった器具と、

器具の消耗程度と癖を観察していたのです。

ある時から、

先生の治療のあとは、

多くのヒントの痕跡が残されるようになりました。

コックの修業は、

食べ残しの皿を舐める、

鍋にこびりついたスープを指ですくって舐める、

そうやって身体で覚えるもんだと

幼い頃から教えられていました。

ただ意地悪い輩も多いのが現実で、

鍋には直ぐに水を満たしてしまう。

皿にも直ぐに水で流す。

それでも、

その様な環境から、

職人は鍛えられるのではなく、

自分を鍛えてゆくものだと、

私は学んだのです。

ですから、

山口先生には本当に感謝していたのです。

数年前、

犬の散歩する山口先生と偶然に再会しました。

新潟市の柾谷小路です。

20年近く振りの再会でした。

三枝!お前何してる?

私は息子を新潟で鍛えようと思いまして、

明訓高校へと通わせております。

今は私も大学の仕事も終わり、

息子の夕食作りの買い物の途中で在ります!

こういう際の私らの関係は、

旧帝国海軍の如く、上司に対しては、

直立不動で両の手はズボンにピシッと、

と云う次第です。

翌年、医局の温泉旅行が在りました。

其処で、先生が言った台詞が忘れられません。

俺が本当に三枝を信用したのは、息子を明訓に入れたから。

コイツが越後贔屓と云うのは本当だ。

その時の縁で、

私と山口先生は二人で仕事をご一緒する機会が増えました。

奇想天外な私らです。

アイツら、また何かを仕出かすのでは?

保守的な人は、相当警戒していると思います。

しかし、私らにはもう欲はありません。

歯科への恩返しだと感謝の気持ちで動いています。

で、

つくづく私は山口先生に感心するのです。

学者としては私は到底、先生の及ぶ処ではありません。

しかし、

仕事においては学者の先生にも未知の世界や未経験のものも

多いのも事実です。

で、

私の脳味噌の中身を直ぐに納得する人を

嘗て私はお一人しか存じ上げません。

仕事の流れを先生にご説明します。

頭脳明晰である方ですから、

その辺りは楽です。

難しいのは、

見えない行間と、

恐らくこういう事が生じるであろうと仕掛けをして、

そこでチャンスとすると云う戦略と戦術論です。

こういう事は経験が物を言います。

恐らく先生には不明で、納得していない私の指示も多いでしょう。

しかし、先生は黙っています。

で、実直に行動なさいます。

あんまり不思議であるので、

コッチが不安になって聞いたのです。

先生は何故、黙ってるんですか?

判ってないこと、

納得していないこと多いと思うのですが?

先生の台詞は、こういうものでした。

私は三枝、お前を信用している。

段々と、お前の段取りは判ってきた。

網を張ったり、

仕掛けを仕込んだり。

本線だけで勝負するより、

バイパスで保険もかけている。

上手く進む時はソチラに専念、

何処かに遅れが出たら他の仕事を行いながら、

滞りの原因を探っている。

そうだろ?

俺はお前の今の診療を診た。

厳しい道のりであったことは、

同業であるから良く判る。

良い人たちと巡り会う幸運、

それをモノにしたお前の努力が判る。

俺にも新人時代が在った。

不条理さも経験した。

が、

経験の浅いうちは、

何事にも疑う心を捨てて、素直に観察させて貰う。

コレが上達の根本だと思う。

だから俺はお前には何も言わない。

私は本当に良い人たちに恵まれました。

先生は還暦を過ぎて居られます。

私はこのような人で居たいと思うのです。

歯科医師として、

まだまだお役にたちたいですから。