この日がくる度に


今日は叔母の命日であったなと、

朝からお仏壇の前にて読経する私です。

帰りに叔母の好物であったモノを買って帰ろう

などと考えながら、

幼い頃の記憶に想いを馳せていたのです。

幼少期には、

随分と可愛がって貰ったにも拘わらず、

青年期以降、

私はこの叔母に辛く当たりました。

叔母は生涯を独身で通し、

年老いた両親の世話が叔母の家での役目でありました。

商家に嫁いだ母にとっては天敵、

不倶戴天の敵が叔母であったと言って良いでしょう。

橋田壽賀子氏の小説丸出しのような家事情であったことが、

私が商家を継がずに

家から逃げ出した大きな訳でも在りました。

私も54です。

毎日の読経のなかで、

今まで見えなかったものが

観えるようになりました。

叔母は私を赦してくれるでしょうか?

叔母の位牌を眺め、

叔母との時間が

走馬灯のように脳裏に浮かんできます。

もう直にお盆がきます。

叔母は私の元へ帰って来てくれるでしょうか?

人を苛めることを最も嫌う私は、

過去に自分が逆であったことを

認めています。

酷い自分であったと、

赦しを乞う時には、

もう其の人は居ないのだと。

長崎市に投下された原爆の悲しい日に重ねて、

私も心も沈みがちになるのです。

今の私にでき得る限りのことをして、

仏さまとなった叔母にひたすら詫びる。

鏡に写った姿が美しいものであるように。